土曜日の時点で、既に平良は芽衣の問いに対する答えをほぼ特定していた。平良は前もって教えられていた高見沢家の電話番号を鳴らし、火曜日の午後6時に「えびすや」で会うことを約束した。
そんな連絡をもらっていない凛花は、未だにノートの文字と格闘していた。去年の9月以降に書かれた備忘録は1冊のみ。内容を確認すること自体は、そんなに難しいことではない。はずだった・・・
今日もえびすやに平良は姿を現さず、凛花のイライラはドンドン積み重なっていく。確かに、月曜日には報告すると連絡は受けたが、それも本人からではない。伝言という形で回ってきたものだ。
そもそも―――――
凛花の生地を混ぜる手がスピードを上げ、カシャカシャという激しい音が周囲に飛び散る。
芽衣からの依頼を遂行することが元々の契約ではない。「自分の不在時に店番をして欲しい」と、そう頼んだはずだ。それなのに、凛花がバスケに行った時にも顔を出していない。重大な違反行為である。
「そんなに気になるなら、電話してみれば?」
隣で肘を張って掻き回す凛花に、呆れ果てた店主が母親の顔で声を掛ける。
「・・・知らない」
「何を?」
「電話番号・・・」
大きくため息を吐き、口を閉ざしてしまう母。その気持ちに、凛花以外の誰もが共感するに違いない。
「こんにちわ」
「いらっしゃいませ」
午後3時過ぎ。制服姿の熊沢が、「ようやく昼ご飯なんだ」と言いながら、凛花の前に座る。
当初は、時間が空いたら―――的な発言をしていたが、あの日以来、平良と入れ替わるようにして、毎日来店している。
オタマでお好み焼きの生地を広げながら、凛花は考えていた。
今日は日曜日だ。明日は否応無しに、生徒は登校しなければならない。
月曜日の午前8時、川中高校の校門―――
そこに陣取る生活指導の先生に混じり、腕を組んでイライラと靴を鳴らす凛花の姿があった。新入生であれば、先生よりも凛花に怯えながら挨拶しそうだ。
アスファルトに穴が開きそうなほど、ガシガシと地面を削っていた凛花の足が止まる。その視界に、無表情で下を向いて歩いて来る男子生徒を捕らえたからだ。
その男子生徒が校門を抜けた瞬間、凛花がその首根っこを捕まえた。早朝からの理不尽な行為に、その男子生徒、平良は自分を掴んだ相手を認識した。
「た、立花・・・」
「立花・・・じゃない。一体何がどうなってるのか、なぜバイトぶっち切ってるのか、キッチリと教えてもらおうか!?」
ダラダラと滝のような汗を流し、瞬時に脱水症状になりかける平良。言い訳を装備していなかった平良は、口をパクパクさせるだけで何の言葉も出すことができない。
しかし、そんな平良に救世主が現れる。背後から竹刀を持った教師がゆっくりと歩み寄って来たのだ。
「立花、バイトってのは何だ?
我校はアルバイト禁止になっていんるんだが?もしも止むを得ない事情でしなければならない時は、校長先生に申請するようになっているはずだ」
凛花は色メガネを掛けた体育教師に向き直り、爽やかな笑顔を作って答える。
「先生、何を言っているんすか!!
バイトですよ、バイト?バイトって言えば、英語で噛むっていう意味です。噛むと言っても、優しく噛む行為はバイトではありません。こう、ガブッっと、力強く、顎で噛み砕くというか、こう力強くですよ、力強く。ガブー!!みたいな・・・あの先生、聞いてます?こうですね、歯をむき出しにして、こういう感じで―――」
「あ、ああ、おう。そうだな、ガブだなガブ。分かった、私は生活指導があるから・・・こら、そこ―――!!」
生徒達から恐れられる体育教師を撃退した凛花が、ターゲットを平良に戻して牙を剥く。文句を言おうと大きく息を吸い込んだ凛花に、無表情な平良が事務的に報告する。
「明日の午後6時頃、芽衣ちゃんがえびすやに行く」
・・・行く?
「その時に、今回、芽衣ちゃんが依頼してきた問いに対する解答を、伝えようと思ってる。僕の推測に過ぎないけど、まず間違っていないと思う」
そこまで話すと、もう用は済んだばかりに、凛花の手を振り払って平良は校舎に向かって歩き始める。それ以上は何も言えず、振り払われた状態のまま凛花は平良の背中を見送った。