翌日―――5分とはいえ、平良は入学以来初めて遅刻した。別に寝坊した訳ではない。もちろん、電車に乗り遅れた訳でもない。
 それでも、遅刻した。

 授業が終わると同時に教室を出て、授業の開始と同時に教室に戻る。昼休憩も、いつもなら購買でパンを買ってきて自分の席で食べる。でも、今日の平良は教室に戻って来なかった。

 5時間目の授業が始まるギリギリのタイミングで教室に戻った平良を、珍しく中薗が引き止めた。

「平良、凛花が捜してたけど?」
「・・・」

 微妙に変化した平良の顔を、中薗が頭を下げて覗き込んでくる。強制的に目を合わせられた平良は、反射的にバッと顔を背けた。その態度は、ふてくされた子供と同じだった。

「あのさあ、平良」

 椅子にもたれ掛かった中薗が、呆れたように大きなため息を吐く。

「あんたのソレ、ヤキモチじゃん」
「は?」
「気に入らないんでしょ?」
「な、何が?」
「自分よりも、附属の男を優先されてるみたいで、面白くないんじゃないの?
 だから、凛花に会わないように、会わないようにってしてんじゃん。お子様かっての」

 目を見開いて硬直する平良。その指摘に激しく動揺し、中薗が目の前にいるにも関わらず自問自答を繰り返す。

 嫉妬?
 誰が?
 僕が?
 あの男に?
 何それ?
 何だよそれ?

「そんなことは・・・」

 それだけの言葉をどうにか吐き出す。

 そもそも、立花を特別視なんかしていないし、まして好きだなんて・・・有り得ない。そう、有り得ない。

 思案を巡らせている平良を見て、再び大きなため息を吐いた中薗が面倒臭そうに告げる。

「まあ、平良のことなんてどうでも良いんだけど・・・私さ、あのお店の雰囲気がギクシャクするのは嫌なんだ。もう、憩いの場所になってるしね。だから2人には、いや、平良には、いつも通りにしてて欲しいんだ。
 まあ、できる限り、でいいんだけど」


 チャイムが鳴り、午後の授業が始まる。

 平良は惰性で自分の席に戻り、出口の無い自問自答を続けた。しかし、何を考えていたのかさえも分からなくなり、結局、凛花とは一度も顔を合わせないまま、放課後になると逃げる様にして学校を後にした。

 川中高校の生徒が誰ひとりとして乗っていない電車に飛び乗り、とりあえず中央駅まで帰る。西川駅よりも1つ手前の駅だ。
 あの日凛花に声を掛けられるまでの平良は、中央駅で下車し、駅ビルの隣にある大型書店に立ち寄ることが多かった。最近はいつも「えびすや」に直行していたため、その本屋を覗いていなかった。

 久し振りに書店に入ると、いつも真っ先に向かっていた新刊コーナーに足を運ぶ。
 初めて見る表紙、新刊を追っかけてきたタイトル。いつもならアレコレと手に取って内容を確認したりするのだが、今一つ気分が乗らない。

 結局、1冊も買うことなく、1時間余りウロウロして書店を出た。面白いと感じていた本なのに、なぜか心が動かない。ほんの少し前まで、あれほど新刊が待ち遠しかったのに。

 もう立花は帰っているだろうか?
 そんなことが頭に浮かび、瞬時にブンブンと頭を振って思考を吹き飛ばす。

「あーもー何なんだ一体・・・何かの病気なのか?」

 珍しく愚痴をこぼす平良の耳に、記憶に新しい涼やかな声が飛び込んできた。

「良太郎君、何してるの?」

 声がした方向に平良が振り向くと、そこには制服姿の紗希が立っていた。今度は普通に名前で呼ぶようにしたらしい。

「どうしてここに?」
「どうしてって、すぐそこにある塾に通ってるからだけど」
「ああ、そうですよねー」

 平良は内心で手を打って首肯した。
 確かに昨日話した時、駅前の塾に通っているとは聞いていた。平良はそれを勝手に、西川駅の前にある塾のことだと思っていた。しかし、よく考えてみると、あそこは中学生までしか塾生を募集していない。

「たまたま昨日は、受けてる講義が遅い時間だったから、一度帰宅したんだけど。あと30分くらいで始まるかな」

 紗希が中央駅の電子時計を指差す。時刻はいつの間にか午後5時30分を過ぎていた。

「そろそろ行って席を取っておかないと。競争率高いから」

 紗希が通っている塾は、全国展開している有名な進学塾だ。学校であれば後ろの席が争奪戦になるが、意識が高い塾生は前の席が奪い合いになるらしい。