熊沢は凛花に向き直ると、再び深々と頭を下げる。

「す、すいません。いきなり変なことを口走ってしまい、本当に申し訳ない。
 でも・・・僕は本気です。信じてはもらえないかも知れませんが、僕は貴女に一目惚れしました!!」

 熊沢が頭を上げ、真っ直ぐに凛花を見詰める。凛花は最初だけ驚いた表情をしていたが、今はいつもと同じ涼しげな顔を見せている。ただ、よく見ると若干耳が赤い。

「付き合って下さい―――とか、そんなことを言うつもりはありません。ただ、時々お好み焼きを食べに来た時に、少しだけでも話しをして頂けないかと。そう思っています・・・ダメ、ですか?」

 路地裏で震える子猫のような瞳。それを見ていた、その他3人が、凛花を見上げてウンウンと激しく頷いている。まるで、民芸品の赤べこだ。

 赤べこトリオはともかく、「冷酷非道、難攻不落と言われたツンだけ姫が、そんな簡単に籠絡されてたまるか」と、思いながら平良は様子を窺っていた。
 しかし次の瞬間、平良は想像すらしていなかった言葉を耳にする。

「構いませんよ」

 反射的に凛花を見上げる平良。その平良の目に、少しだけ頬を赤くした凛花の顔が写る。視線を外し、今度は熊沢の様子を確認する。そこには自分とは真逆の、自信に満ち溢れた笑みがあった。

 自分の意思では抑えられない苛立ち。
 今まで経験したことのない焦燥感。
 そして、敗北感・・・

 何だコレは?
 一体、何なんだコレは?

 戸惑う平良の耳に、女性陣の「ヒューヒュー」という冷やかしの声援が聞こえる。なぜか、胸の奥がキュッと締め付けられ、呼吸が苦しくなる。

「では、今日はこれで帰ります。1時間だけ塾を抜けて来たので、そろそろ戻らないといけませんから。あ、持ち帰りにして頂けますか?」

 上品な立ち振る舞い。いかにも機転が利きそうなスマートな言葉のチョイス。おそらく熊沢は、これまでの人生で常に中心にいた人物なのだろう。平良とは対極、絶対に交わることがない人種だ。

 熊沢の胸に大きな紫色のカギが見える。
 そのカギを見て、平良は表情を曇らせる。それでも、そんな人生を送っていたとしても、そんな大きなカギを背負うのか。


「ありがとうございました」

 店内に凛花の声が響き、熊沢は平良にはマネできそうにない爽やかな笑顔で去って行った。手にしていたお好み焼きが、まるで1つ星レストランのお土産に見える。

「いやあ、良いモノ見たわあ」
「だねー」

 中薗に続き、島田が立ち上がる。鉄板の上を見ると、あれだけ冷やかしていたにも関わらず、お好み焼きは跡形も無く消えていた。それぞれ会計を済ませると、手を上げて「またねえ」と言って帰って行った。
 色んな意味で満腹になったようだ。

「あ、アタシも、そろそろ帰らないと」

 2人が返った後、そそくさと帰宅準備に入る長谷川。そんな様子を凛花が見下ろす。

「あ、い、いや、誰にも言わないし」

 立ち上がった長谷川が、視線を左右に泳がせながら財布を取り出す。

「そんなことはどうでも良いの。そうじゃなくて・・・本当にハルと、茜と仲直りしたのなら、私も、その・・・もう許すから。だから、もし、いや、ダメなら、ムリは言わないけど・・・部活を引退したら、一緒にバスケしない?」

 凛花の要望に長谷川が目を見開く。

「私って、所詮素人だし、それに、交代要員がいないと色々困るし。2人には、私が誘ったって言うから、どう?」

「うん・・・うん、一緒にやりたい!!」

 そう言った長谷川の目には、今にも溢れそうな涙が浮かんでいた。限界を超えた涙が目尻から零れていく。そして、蛍光灯の光を反射してキラキラと光りながら落ちた。
 わだかまりが、流れて消える。

 長谷川が店を出ると、店内にお客さんの姿が無くなった。午後7時を過ぎたとはいえ、まだまだ客が途切れるには早い時間帯だ。
 珍しく2枚目を平良が要求しないため、鉄板の上も静かだった。