「僕が子供だから?
子供だからダメなの?
それなら、僕は今すぐ大人になるよ。
小学校に行って、いっぱい勉強して、偉くなって、そして、そして、そして、そして・・・・・」
大粒の涙が陸斗の頬を流れる。
一度決壊した涙はとどまることなく、後から後から溢れてはロビーの床に落ちていく。それでも、陸斗は言葉を続けようと、自分の想いを伝えようと力を振り絞る。
下を向かず、真っ直ぐに最愛の人の顔を見据える。
「ごめんね」
そう言った清水川の目からも涙が落ちる。
同情などではない。
相手の気持ちを受け止め、その純粋な想いに応えることができない。その想いが涙になって零れたのだ。
「ごめんね」
2度目にその言葉を聞いた時、陸斗は両手でゴシゴシと目をこすり、無理矢理ニカッと笑った。
「その人のこと、好きなの?」
「うん」
「いっぱい?」
「うん」
「いっぱい、いっぱい?」
「うん」
「幸せになれる?」
「うん」
「・・・分かった」
陸斗は幼くても、男だった。
それ以上は何も言わず、揺るぎない笑顔を見せた。そして、クルリと背を向け、進んで来た道を引き返す。その表情は、ここに来た時とは別人になっていた。
その光景を見詰めていた凛花が、ホッと安堵の表情を見せる。隣にいる母親はオロオロしながら、でも、掛ける言葉が見付からずにいる。
それでも、全ては終わったのだと、そう思っていた。
「ちょっと・・・」
そう、この声が聞こえるまでは。
「どういうこと?
私に告白したいから、っていう話しだったからワザワザこんな所まで来たのに。なんで、どうして、私を放置してるの?」
芽衣だった。
だが、どう言われても、どうしてあげることもできない。フォローのしようがない。
更にスルーしていると、芽衣がその場で地団太を踏んで叫んだ。
「陸斗君!!」
突然名前を呼ばれた陸斗が振り返り、そこに不機嫌丸出しの芽衣が詰め寄る。
「どういうこと?
私より、あんなオバサンが良いなんて、目が悪いんじゃないの!?
どう考えたって、私の方が若くて綺麗だし、そのうちオッパイもボーンってなるんだから。本当になるんだからね!!
だから、だから、私を好きになりなさいよ!!
ならないと、怒るわよ!!」
唖然とする陸斗。もちろん、居合わせた全員が同じ顔をしている。1人だけ、芽衣だけが、「しまった」という表情をしている。
しかし、こうなってしまっては開き直るしかない。そう思ったのか、芽衣は陸斗の母親に歩み寄った。
「高見沢 芽衣です。以後、よろしくお願いします。あと、電話番号を教えてもらえますか?」
芽衣は母親に挨拶し、電話番号までゲットして帰って行った。清水川も、何度も頭を下げてその後を追って行く。
エレベーターのドアがゆっくりと閉まり、零れる光が完全に消えた時―――――ついに、全てが終わった。
3人に背を向け、エレベーターの方を向いたまま動かない陸斗。そんな陸斗に、平良が近付いて行く。
「よく頑張った。立派だったぞ」
陸斗の両肩に、背後から平良が手を乗せる。同時に、陸斗の身体が小刻み震える。そして振り返り、ガバッと平良の足にしがみ付いた。
「頑張ったよ」
「うん」
「僕、僕・・・」
「うん、見てたから」
陸斗が大声で泣いた。
嗚咽を含んだ泣き声がロビーに響き渡る。
もう我慢する必要はない。
誰に気兼ねすることなく泣ける。
泣けなかった。
泣くと責めることになる。
我慢した。
陸斗は思いやることができる人間だ。
もう泣けばいい。
泣いて、泣いて・・・
顔を上げたら、今までと違うものが見える。
また頑張ればいい。
その時―――
陸斗を見下ろす平良の目に不思議な光景が飛び込んだ。
カチカチという小さな音が聞こえる。
平良は目を見開いた。
平良の胸に刺さるカギ。
そのダイヤルが、ゆっくりと回っていたのだ。
何だこれ?
初めての経験に、平良はその光景を凝視する。
ダイヤルはカチカチと動き、2周ほど回った所で停止した。当然、カギは消えることもなければ、開くこともない。
「帰ろうか」
凛花に声を掛けられて、平良は我に返った。見下ろすと、既にそこには陸斗の姿はなかった。
「陸斗君のお母さんが、ウチまで乗せて帰ってくれるって」
「分かった」
背を向けて、いつものように平良の前を歩く凛花。そんな凛花が突然クルリと振り返り、グッと親指を立てた。そして、満面の笑みを浮かべる。
「平良、グッジョブ!!」
その言葉に少し嬉しくなり、平良は思わず笑顔で応えた。
「立花もな」
陸斗のカギは涙とともに形を崩し、そして消えていった。