「たーいーらー」
授業が終わって10秒後、廊下から呪いの言葉が響く。
平良は嘆息して、教科書が詰まった重いリュックを背負った。
ノロノロと廊下に向かう平良を、イライラして待つ凛花。平良にとっては地獄の門番だが、他の男子生徒の目には天使に写っているのだろう。
「遅い!!」
「・・・はい」
仁王立ちで平良を睨み付ける凛花に、中薗と島田が声を掛ける。
「凛花あ、明日は練習するから、いつもの場所でイチロクサンマルね」
「じゃあね、凛花」
「バイバーイ」
教室の中に向かって手を振る凛花。その様子を眺めていた平良の肩が、ポンと軽く叩かれた。
「じゃあな、平良」
「何かしたら、宇品港に沈めるからな」
振り返ると、そこには昼休憩に絡んできた男子生徒の姿があった。平良に関わっていれば、「凛花と言葉を交わすチャンスが増えるはずだ」とか、「距離が縮めるチャンスがある!!、かも知れない」とか、他人の感情に鈍感な平良にさえ、その邪念がビンビン伝わってくる。
「ふうん、私以外に平良を認識する人がいるんだね」
気が付くと、違う意味で驚いている人物が平良のすぐ隣に立っていた。
渡された紙に書いてあった住所によると、長谷川の自宅は川中高校の近くの新興住宅地の中にあった。
距離にして約2キロちょっと。そんなに遠くはない。バスなら、ほんの10分。自転車でも15分あれば到着する。
しかし、徒歩となると、それなりにツラい距離だ。しかも、既に真夏の空気が漂い始めた6月。目指すは「陽光台」。「台」が付くということは、小高い丘の上にあるということを意味している。運動不足で体力が無い高校生には、軽く脱水症状に襲われるほどの過酷な道のりだ。
陽光台という青い看板の下で、ゼイゼイと呼吸を荒くする平良。ほとんど汗もかいていない凛花が、その姿を涼やかに見下ろしている。
「体力が無いにもほどがあるわ。無い無い人間だけど、体力も無いとはね」
的を射た嫌味を叩き付けられても、一言も言い返すことができず両手を膝に置いて休憩する平良。そんな平良に3分の休憩時間を与えた凛花は、電柱に取り付けられている番地の表示を確認する。
「たぶん、あの辺り・・・もうすぐだと思う」
自転車で昇るには厳しい傾斜の坂。その上に立ち並ぶ住宅を、細い指で指し示す凛花。
坂道を目の当たりにして目まいを覚える平良だったが、許してもらえそうにないので仕方なく足を動かす。とにかく、行き着かなければ帰れない。まるで、目標を達成しないと帰れない何かのテレビ番組のようだ。帰れません。
坂を昇り切った先に、長谷川の自宅はあった。白い柵に囲まれた庭付きの一軒家だった。凛花が物音さえしない背後を振り返ると、平良の口から魂が半分抜けていた。
「平良、着いたよ」
返事がない。ただの屍のようだ。
仕方なく凛花が門柱に近付き、設置されたインターホンのボタンを押す。同時にピンポーンという電子音が響き、暫く待つと玄関のドアが開いた。現れた長谷川の母親を目にし、凛花は改めて納得する。確かにあの日、陸斗を迎えに来た人物だ。
「わざわざ、本当にごめんなさいね」
事情は既に長谷川から伝わっているらしく、ほぼ初対面の高校生2人に頭を下げた。その態度に恐縮した凛花が、ブンブンと頭を左右に振る。実際、こちらの都合で首を突っ込んでいるのだ。余計なお世話感の方が強く、逆に凛花は恐縮してしまう。
短く自己紹介を交わした後、そすぐに本題へと移る。この後で市民病院に行くのであれば、急がなければ面会時間に間に合わなくなってしまう。
「陸斗が、入院していた時のことよね?」
母親の問いに、凛花がコクリと頷く。
「陸斗は足の骨を折っていたから、ほとんど病室を出ることがなかったんだけど、それでも、たまに廊下とかに出ることがあってね。その時に知り合った女の子とは仲良くなっていたみたい。
確か・・・メイちゃん。
陸斗より1学年上の、小学1年生って聞いた気がするわ」
「その女の子っていうのは、まだ入院しているんですか?」
「たぶん・・・詳しくは分からないけれど、どこかが悪いのか分からないけれど、もう3ヶ月くらい入院しているとか」
「なるほど、とりあえず行ってみます」