平良はひとり小さく息を吐く。
熱い友情と情熱なんて、自分には全く無縁の世界だ。
そう思った瞬間、その不思議な光景は起きた。ピンク色のだったはずの中薗のカギが徐々に青味を帯びていき、最終的に淡い紫色へと変化したのだ。つまり、昨日えびすやに来店した時に相談していた恋愛話から、別の何かに悩み事の優先順位が置き換わったということだ。
平良は軽く頭を振る。
だから何だと言うのか。何が起きようが、自分には無関係だ。それに、今はそんなことよりも・・・
凛花の耳に、その存在すら忘れていた平良の声が届く。
「僕は行っても良いよね?」
その場にいた6人の視線が、全く同じ動きで壁に掛っている時計に瞬間移動する。誰がどう見ても、長針が30を過ぎている。川中高校のホームルームは8時35分から開始され、その時に教室にいなかった生徒は遅刻扱いとなる。遅刻が多くなると、数多の不利益が頭上に降り注ぐ。
とりあえず、今は何を差し置いても教室に急ぐしかない。
平良は悠々と体育館の玄関へと向かい、着替えを済ませていない4人は猛スピードで更衣室に走った。
少しずつ遠ざかる平良の背中を、疲れた様子の声が追い掛ける。
「数学の教科書持って鉄板前に集合」
「了解です」
「昨日もちょっと思ったけどさ、2人って・・・・・アレなの?」
「いやいや、どう見ても違うでしょ!!」
「ツンだけ」と言われる凛花の動揺する様が可笑しくて、わざと疑うような素振りを見せる中薗。校内で圧倒的な有名人である凛花と、クラスメートでさえも記憶に無い平良。そんな2人が怪しい関係であるなど、本当は微塵も疑ってはいなかった。実際、凛花にとっても平良にとっても、お互いが特別な存在ではない。
結局、米軍さえも装備していない高度なステルス機能により、平良のみが遅刻せずに済んだ。
その日の夕方、数学の教科書を持参した平良が、珍しくお好み焼きを注文することなく鉄板の前に座っていた。手元には教科書と、凛花により花丸が付けられた問題集が置いてある。
「花丸のところだけやっとけば、とりあえず7割くらいは取れると思う。一応やってみて、分からなかったら言って。解き方を教えてあげるから」
正面に立っている凛花が、家庭教師の様な赤ペンではなく、ソースを塗るハケを持って支持を出す。その支持通りに、平良は問題集に視線を落とした。
「で、今朝のアレ、悩み事の原因とか分かった?私はさ、あのイジメのことだと睨んでるんだけどね。
あ、べ、別に、我を忘れて飛び出したわけじゃないし。ちゃんと、当初の目的どおり情報収集のために行動したし」
正直なところ平良には、あの時の凛花は怒り心頭で完全に目的を見失っていたようにしか見えなかった。そもそも、平良は数学を人質にとられてお供しただけなのだ。何がどうなろうと知ったことではない。
でも、あの潔いほどの短絡的な行動が、なぜか平良には心地良かった。誰が悪いとか、何が正しいとかではなく、自分の譲れないもののために躊躇せず行動を起こした凛花。その姿に、ある意味で感動すら覚えた。
当然、本人に伝える気などまったくない。
「そうかな、もっと違うことだと思うけど」
無表情で問題集を眺める平良が、珍しく明確に反対意見を口にした。
短い付き合いとはいえ、いつもとは違う反応に凛花は驚いた。平良は何かに流されるだけの存在だと、自分の意思を余り外に出さない人間だと、そう決め付けていた。だから何にも興味が無く、無関心なのだと。
「ふうん、何でそう思うの? 占い?やっぱり平良って占い師なの?」
「うざ・・・」
「何か言った?」
急激に下がった店内の温度に、さすがの平良も身震いする。
「イ、イジメではないよ。イジメが原因なら、中何とかさんが現れたときに、あんな表情はしない。だから、もっと別の何か。それに、中何とかさんも、昨日とは違う感じがする。でも、たぶん・・・」
凛花の気配を感じ平良が問題集から顔を上げると、目の前に凛花の顔があった。話しに聞き入って、知らず知らずのうちに身を乗り出していたらしい。目が合った凛花が珍しく慌てて、元の場所に戻り姿勢を正す。
「たぶん?」
「あの2人は、同じ理由で悩んでいる」