大きなあくびとともに平良が校門を通り抜けたのは、凛花がアスファルトの地面をへこむほど蹴り付けた後だった。煙を上げる地面を見て後ずさる平良の胸倉を掴み、凛花はバスケットボール部が練習する体育館に急いだ。

「今、何時だと思ってんの!?」
「7時50分?」
「くそっ、私がスーパー何とか人だったら、宇宙の果てまでぶっ飛ばすのに!!」

 一番南側の校舎を通り過ぎると、ダンダンダンというバスケットボール特有の床を叩く音が聞こえてくる。更に近付くと、床面と同じ高さに設置された小さな窓から、ボールの音に混ざり女性の声が漏れてきた。

 平良を引きずりながら歩いてきた凛花が、その小窓から薄暗い体育館を覗き込む。気付かれないように態勢を低くして様子を窺う姿は、背後から見れば盗女子高生を狙う盗撮犯だ。

「あ、中薗さん発見。おおーカッコイイ」

 昨夜、凛花が同級生に聞いてみたところ、2年生ながら中薗は女子バスケットボール部のポイントゲッターらしい。身長は168センチと決して高くはないが、卓越したシュート力で川中高校から唯一県の選抜選手にもなっているそうだ。

 中薗を確認した凛花は、コート内に島田を探す。
 しかし、姿が見えない。
 いくら探しても、コートの中に島田の姿は見当たらない。

 パスミスによりコートから外れていくボールを目で追っていると、それを拾いに走る島田の姿が凛花の瞳に写る。

「そっか・・・友達が選抜選手なのに自分は補欠。それだと、確かに悩むかも知れないなあ」

 まるで全てを悟ったかのように、見たままを仙人のような顔で語る凛花。しかし、そんな凛花の横から、胸倉を掴まれたままの平良が息も絶え絶えに疑問を呈する。

「そんなに単純かな」
「何よ、単純バカって。私にケンカ売ってるの?全力で買うけど」
「バカとは言ってないんだけど・・・思ってるだけで」

 そんなやりとりをしている間に、すぐに時刻は午前8時を回った。早朝練習の時間は厳格に決められている為、すぐに練習の後片付けが始まる。万一、早朝練習が原因で遅刻などしてしまうと、部活動停止の危険もある。


 3年生や中薗達レギュラー陣はコートを出て、体育館の更衣室に向かって移動を始める。移動時間を短縮するため、早朝練習時の着替えは部室を使わないようだ。
 その後、当番制なのか4、5人の部員がモップをもってコート内を走る。それが終わると、床に転がったボールを拾い集めていく。

「部活じゃないのかなあ・・・」

 問題が部活動にないと思い始めた凛花が、しがみ付いていた窓枠から離れようと手を放す。その時、既にライトが消えたコートから数人の声が聞こえてきた。

「ほらほら、早く行けよ」

 格子付きの窓枠に再び顔を押し付けた凛花の目が、床を転がる10個以上のボールと、床に横たわる島田の姿を写した。


 言葉を失う凛花。
 平良が表情を変えないまま、その状況を眺める。
 島田を囲むように立っている3名の女子部員が、2人の位置からでも分かるくらいに歪な笑みを浮かべていた。

 平良が様子を窺うよりも早く、隣にいた凛花の姿が消えた。平良は深くため息を吐いた後、体育館の扉に向かって歩き始めた。数日前に初めて言葉を交わしたばかりだが、平良には凛花が何をしようとしているのか容易に想像がついた。

 体育館の玄関で、何人かのバスケットボール部員とすれ違う。その訝しむ視線を置き去りにし、凛花の足は奥に広がるフローリングのスペースに向かう。
 目的地に近付くに従い、低くこもった声が聞こえてくる。やましい事がある人間特有の薄暗い声音だ。


 凛花は決して正義の味方ではない。
 「悪は滅びろ」なんて思ってもいないし、普通に校則も破る。他人の悪口だって言うし、ケンカだってする。理不尽な発言をすることだってあるし、先生の言葉を聞こえないフリだってする。
 善人ではないし、そのことを自分でよく分かっている。
 だから、自分が正しいなんて思わない。
 正しいはずなんてない。

 それでも、絶対に許せない事はある!!