そこは大きなウミガメがのんびりと泳いでいた。
「あはは……。あのウミガメ、蒼君に似てる~!」
「ねぇ、結菜。彼氏の顔をウミガメに似ているって酷くない?」
「別にディスってるわけじゃないからね? その、のんびりした顔をしているなぁって思ってるだけ」
「……のんびりとした顔ってなに」
ウミガメコーナーのすぐ隣には、ヒトデやウニ、ナマコ、ヤドカリなどの生き物に直接触れることができるコーナーがある。
ヒトデは砂浜にどっしりと構えており、ウニは黒く伸びたトゲがなぜか愛らしく見える。
ナマコはモゾモゾと動く姿がイモムシみたいで可愛いねと結菜は言っているし、ヤドカリは二人揃って可愛い可愛いと連呼していた。
生き物の触感や動きを、手に取ることで分かる。
ヒトデはヒダのようなものが表面に無数にあってザラザラとした手触りだったし、ウニは近寄ると痛そうだが、それは野生に限った話で、ここのウニはそんなに痛くない。
ナマコは顔がどこなのかあんまり分からなかったけれどその部分がプニプニしてるし、ヤドカリは殻をつつくとすぐに怯えて隠れる。
結菜がでてきたところをつついて、ヤドカリの隠れる姿を見て少し楽しんでいた。
僕らはこれだけでも楽しかったけれど、それより可愛いのはカワウソだ。
この水族館にはペンギンとヒトデのような触れ合い以外にもカワウソと触れ合いことができる。
ここが人気な理由ひとつにはこれがある。
小さな体格に可愛らしいつぶらな瞳。
僕は結菜を動物に表すのなら、ペンギンだが、彼女の性格を表すのなら、カワウソだと思っている。
「こっちだよ~、おいでおいでー! えらいえらいねー!」
もう、結菜は自身のペットのようにカワウソを愛でている。
キュキュと声をだして、結菜が持っている小魚をちょうだいと言わんばかりに見つめる。
ついでに、僕も見つめられる。
「可愛い~! はい、ごほうびだよ」
結菜から魚を受け取ったカワウソたちは半分ずつ仲間だろうか、友達だろうか、恋人だろうか、他の子にも分け与える。
決して、独り占めしない性格にも好感が沸く。
「蒼君、一緒に住んだらカワウソ飼おうよ!」
結菜との同棲生活は絶対に楽しい。
僕は、輝かしい未来を夢見ながら、カワウソを愛でる結菜を見ていた。
《第4話 完》
「ばいば~い!」
結菜がカワウソに手を振り、僕らは深海の生物コーナーに向かうことにした。
一本の動画を視聴したあと、実際にリュウグウノツカイやシーラカンスなどの深海魚を見る。
深海魚のイメージで、グロテスクな生物が多いが、それは深海で生き抜くための進化で必要な器官があるからだ。
たとえば、「ゴブリンシャーク」の異名で知られるミツクリザメという深海サメは前に大きく出た口の部分を普段は収納しているが、獲物を捕まえるときには飛び出して、その口で獲物を喰らうという。
そんな不思議な進化を遂げた深海魚に僕は興味があった。
絶滅したと言われていたシーラカンスは、深海にいたからそう思われていたのだろう。
それが、『生きた化石』として現代まで生き続けているのだから本当に海はただ神秘なものではなく、生き物のためのものだと思う。
「蒼君ってなんかこうしていると博士みたいだよね」
結菜はクスクスと笑いながら、こちらを見ていた。
そうとう僕は熱心に見ていたらしい。
「そんなの結菜だってペンギンへの愛がすごいでしょ」
「あ、愛とそれは違うもん! 蒼君は熱心に見すぎだよ!」
「結菜、その言い方なんか語弊があるからやめて?」
「蒼君がえっちなこと考えてる……」
ジト目で結菜は僕のことを見る。
えー……、なんで。
なぜか結菜の機嫌を損ねてしまったので僕は今日の本来の目的であるペンギン触れ合いコーナーに向かう。
「結菜、そろそろ15時だし、ペンギンの所に行こうか」
そう言うと、目をキラキラと輝かせて、
「うんっ! 行こう! 楽しみ!」
結菜がどれだけペンギンの事が好きなのか、触れ合いコーナーに向かっているときに説明された。
「──でね、ペンギンって南極みたいに冷たくて分厚い氷に覆われているところで生活していると思っている人が多いけど、ケープペンギンっていうペンギンは南アフリカとかの暖かい地域で生活してるんだよ!」
「知らなかったな。ペンギンって暖かい場所でも暮らせるんだ」
結菜はよくぞ言ってくれたと言わんばかりにうなずいて、
「そうそう。そういう子って普通のペンギンとは違って脚とかには羽が生えていないんだよ!」
このように、ペンギンの事を話すときすごく興奮して話す。
ペンギンに嫉妬してしまうくらい、結菜のペンギンへの愛が深いんだなと僕は思う。
「結菜は飼育員さんになれそうだね」
「いきなりだね。それなら、蒼君は図書館司書さんだね! お互い、夢を叶えれるといいね!」
「まだ、夢って決まったわけじゃないけど」
結菜のぶっ飛んだ言葉に苦笑してしまう。
けど、図書館司書か。
悪くないのかもしれない。
結菜と出会う前なら、自分が将来のことなんて真面目に考えた事もなかった。
ただ、のんびりと生きていつの間にか死んでいる。
そんな未来を見ていたから。
でも、のんびりと生きていつの間にか死んでいるのは、もう今の僕にはつまらない。
どうせなら、結菜と沢山の思い出を作って笑って死にたい。
「そういや、結菜は高校卒業してから進路はどうするの?」
「んー、大学に行くつもりかな。飼育員さんになれなくても動物に関わる仕事をしたいからね。蒼君は?」
「そっか。別にひとつにこだわらなくてもいいんだ。僕も大学に行く予定。図書館司書、目指してみようかな」
「いいんじゃない? 今の蒼君にピッタリの仕事だと思うよ!」
僕にピッタリの天職。
その言葉が当てはまるだろう。
図書館司書になろうかな。
結菜といれば、きっとその夢も叶うのだろう。
ペンギン触れ合いコーナーには、やはりここの人気コーナーのひとつというだけあって、沢山の人で長い行列が出来ていた。
「さいしょはぐー! じゃんけんぽん! 勝ったー!」
結菜は僕のほっぺたをつねる。
「たてたてよこよこまるかいてまるかいてちょん!」
上下左右にほっぺたを動かされたあと、二回円を描かれて、最後思いっきり伸ばされた。
「いったぁ……」
「蒼君のほっぺた、プニプニだねー! それによく伸びるし」
「うー……。結菜、じゃんけん強いね」
「私は神様に愛されてるからね!」
「縁結びの神様とペンギンの神様に?」
「あとひとり神様いるよ」
「なんだろ……」
「蒼君がきっと一番愛されている神様の名前は?」
「小説の神様」
「だよ! ゴッツラブミー!」
結菜のきれいな発音はともかく、自分から言っておいてだが、ペンギンの神様ってなんなの。
「そういえば、結菜は自分を動物に表すならなに?」
「間違いなく、ペンギン!」
「だよね。僕はなに?」
「蒼君は、猫だね! 普段はそっけない態度でツンツンしているけど、デレを引き出したら可愛いからね!」
「どっちかって言うと、僕は犬じゃない?」
「んー、犬ってほど人懐っこい性格じゃないしね」
確かにそう思う。
「そうだね、さ、じゃんけんの続き。次は勝つよ」
「私だって負けないよ!」
それから三回勝負をしたが僕が結菜のほっぺたを触ることはなかった。
そうこうしている間に、僕らはペンギンと触れ合えるようになった。
結菜は間近でペンギンを見てから、もう興味はそっちに移っていた。
「可愛いー! フサフサ!」
この時を夢にまで見ていたのだろう。
顔をほころばせて、もうずっと見ていれそうな笑顔でペンギンを愛でていた。
ほとんどのペンギンは結菜の方へ行った。
えー、なんか悲しい。
さすがは、ペンギンの神様に愛されし少女。
僕の方へヨチヨチと歩いてきてくれた一匹で行動していたペンギンに餌を手渡すと、なぜかプイッとそっぽを向かれた。
でも、そのペンギンはもう一度こちらに来てくれて、餌をくれと言わんばかりにひと鳴きした。
僕はそのペンギンにめがけて、餌であるカットされた魚の切り身を放り投げると、くちばしを伸ばして、見事にキャッチした。
「なんだかその子、蒼君に似ていない?」
結菜が横に来る。
その動きにつられて、結菜に集まっていたペンギンたちもこちらに近寄り、餌を求めて鳴く。
「この子が僕に似ているってどこが?」
「ひとりでいるところと、皆が来たら逃げるところ」
結菜のいう通り、さっきまで餌を食べていたペンギンは、どこかに行ってしまった。
「言い方酷いよ?」
「それと、その子の名前、『アオイ』らしいよ」
「へぇ、偶然だね」
「そこは嘘でも運命だねって言おうよ」
アオイペンギンは、確かに僕に似ているのかもしれない。
「ユナペンギンはいないの?」
そう聞くと、結菜はニヤニヤと笑って、
「それがね、居るんだよ! あの子! あのちょっと羽が黒い子」
ユナペンギンは、他のペンギンと共に行動している。もちろん、結菜に餌への期待の眼差しを向けながら。
「しかもね、この子たちカップルみたいだよ! 私たちと同じだね!」
「そうだね」
アオイペンギンがひとりで泳いでいるところに、ぴょんとユナペンギンが来た。
アオイペンギンは、まるで『泳いでいるのに邪魔しないで』と言いたげだったが、楽しそうに泳ぐユナペンギンを見て、『まぁ、こういうのもアリか』と思って一緒に泳いでいるようだった。
息のあった二人の泳ぎは、お客さんの視線を釘付けにする。
出来れば、ひとりでいたい。
あんまり人と関わりたくない。
僕もアオイペンギンも同じような考えを持って生きているのだろう。
けれど、結菜のように親しくこられるとやはり、無理に追い返す事も出来ずにそのスタンスは少しずつ形を崩してしまう。
そして、いつの間にか自分じゃない自分が当たり前になっている。
人と関わるのが当たり前になっている自分や誰かと共に過ごすのが楽しいと思う自分が。
そうして、自分を変えてくれた人に少なからず、感謝の気持ちを覚える。
そして、いつの間にか恋をしている。
ペンギンのような君に恋をしている。
僕は改めて、結菜に大切なものを貰ったんだと思う。
僕がそう思ったとき、アオイペンギンは、照れくさそうにユナペンギンを抱きしめた。
アオイペンギンがユナペンギンを抱きしめたとき、結菜と目があった。
彼女はペンギンの抱擁に顔を朱に染めて、恥ずかしそうにしていた。
「蒼君、その、大好きだよ」
突然言われたその言葉に、体が熱を帯びる。
同時に、結菜を抱きしめたくなる衝動に駆られる。
それを抑えようと必死だったから、こんなことを口走ってしまった。
「……僕もだよ」
恥ずかしいな、こうやって改めて言うと。
お互い恥ずかしくなって、沈黙が流れてしまう。
「……次、行こう?」
結菜の声に我に返る。
彼女の方を見てみると、恥ずかしそうにしていたが、それでも楽しそうに微笑んでいた。
「うん」
僕は彼女の手を握り、次のコーナーに行く。
そこは、屋上に水槽があり、少しスペースが狭いのがネックだが、小さな秘密基地のような感覚になる。
そこにいるのは、オットセイとアザラシ。
太陽に照らされて、すいすいと気持ちよく泳いでる。
「……そと、暑いね」
結菜は手をうちわ代わりにしながら、自身を仰いでいた。
僕はそんな彼女に朗報と言わんばかりに話す。
「かき氷、買ってこようか?」
「いいの!?」
結菜が食いつく。
やはり、涼味を欲していたようだ。
目をキラキラと輝かせて、こちらを見るその姿はご褒美を待つ犬のようだった。
この子はチワワかな?
可愛すぎるので、僕が飼ってあげたい。
「いってくる」
「ありがとう!」
僕は屋台のおじさんにかき氷を頼んで、お金を渡す。
頭にタオルを巻きつけているおじさんは、笑顔でかき氷を作っている。
そういえば、前に輝たちと遊びにいった時のかき氷屋台をしていたおじさんを思い出す。
「兄ちゃん、あそこにいる子、彼女だろ? 持っていってやるからいってやりな。兄ちゃんイケメンだし、彼女ちゃん可愛いからサービスだ」
聞き覚えのある言葉に、僕はハッとする。
おじさんは、僕とじっと見て、穏やかな目を見開いた。
「おおっ! 兄ちゃんあの時の! 久しぶりだなぁ! わははっ!」
まさかの本人だった。
「あの時はお世話になりました」
「そーかそーか、それにしても兄ちゃん、いい彼女持ったな。顔つきがよくなったし。ほれ、かき氷」
おじさんから、ふたつ、かき氷を受け取ると、僕は会釈して結菜のところへ向かう。
この人、また僕らの関係をあてたよ。エスパーかなと思っていると、
「〝青春に年齢なんて関係ない。何年経っても終わらない。死ぬまで楽しめ〟」
不意におじさんが言った言葉に反応した。
僕が一番好きな小説のラストのセリフだ。
僕の亡き祖父──不知蓬の遺作である『ペンギンの恋』という作品のセリフをなぜ、言ったのだろう。
真意は分からないが、僕は結菜が待っている水槽へと足を運んだ。
僕が近付くのに気が付いた結菜はこちらに振り向き、笑顔で手を振った。
「蒼君、ありがとう! はい、お金」
そう言って、150円を僕に渡す。
「いいのに……。まぁ、ありがたく受け取っておくよ」
「いやぁ、なんかほら、お金のトラブルって一番嫌じゃない? それで蒼君と別れるなんて私は嫌すぎる」
たしかに、金銭トラブルでの離婚などは多い。
「僕も嫌」
結菜は本気で僕と向き合ってくれているのだ。
それがとっても、嬉しい。
「ありがとう」
きっと結菜はいい母親になるはずだ。
しっかりしているし、面倒見もいい。
そんな未来を想像して、頬が緩む。
「蒼君、なにか考えている?」
「結菜がお母さんになったらどんな感じかなって考えてたよ」
そう言うと、結菜の頬はますます赤くなる。
ぷしゅーと、煙まで出ている。
「あ、蒼君、私、嬉死しちゃうかも」
結菜の目は今にもグルグルと回りそうだ。
「蒼君は、図書司書さんをしながら、小説を書くの。そして、書籍化して映画化して、バカ売れしてほしいなぁ」
「そんな無茶な」
そう言いながらも、頭の中は僕が結菜と一緒に書いた小説がアニメ映画化している映像が浮かぶ。
「でも、本当にそうなったらいいね」
「絶対私たちならなれるよ」
結菜はかき氷のストローをこちらに向ける。
いたずらっこのような笑顔が可愛くて、つい頭を撫でてしまった。
「も、もうっ! 髪が乱れちゃう……。でも、気持ちいいからいいけど」
結菜との時間がずっと続きますように。
そう、願いながら、そっと手を髪から離した。
かき氷を食べ終えて、それから僕らは先ほどいた場所で、アザラシのエサやりを体験することになった。
やはりこれも人気のひとつのようで、僕らがかき氷を食べて休憩している間に多くの人だかりができていた。
「蒼君、すごい人だね!」
「うん、こんなに人だかりができるとは思わなかったよ。ペンギンより多いんじゃない?」
「確かにね!」
結菜と共に最後尾に並び、話とゲームをしながら待っていた。
「マジカルバナナ! バナナと言ったら黄色!」
「黄色と言ったらレモン」
「レモンと言ったら果物!」
「果物と言ったらリンゴ」
「リンゴと言ったらスマホ!」
「スマホと言ったら自撮り」
「自撮りと言ったら……んー! 分からない!」
結菜は詰まってしまい、僕が今回のゲームは勝った。
「自撮りって言ったら、坂本さんじゃない?」
「あぁ~‼ 確かに! 桜ちゃん、自撮りしていそうだね!」
結菜にゲームに勝てて嬉しい。
「次は何する?」
「なんでもいいよ」
僕らはそれからリズムゲームをして、エサやりまで待った。
長蛇の列はいつの間にか僕らを前に押し寄せていた。
エサが入ったカップをふたつ、僕は飼育員らしいお姉さんから受け取ると、結菜に渡した。
「ありがとう!」
ヒュウヒュウと餌をちょうだいと言わんばかりにアザラシが鳴く。
結菜はそれに反応して、
「はい、餌だよー!」
と餌の魚の切り身を、アザラシの口元に運ぶ。
アザラシは、ぱくりとそれを食べて、物足りないのかまだまだちょうだいとひと鳴きする。
僕の餌を次は食べてくれた。
交互に僕と結菜の餌を食べるアザラシの食欲に僕は驚かせられる。
「この子すごいね。もう私の餌食べちゃった」
空になったカップを僕に見せながら、結菜は笑う。
僕も先ほどあげたのが最後だった。
「このあとどうする?」
アザラシへの餌やりを終えた僕らは、一度手を洗ってから、手持ちぶさたになってしまった。
僕にとっては予想外のことだったので、少し焦る。
しかし、それと同時に結菜に喜んでもらうため、サプライズだって考えているのだ。
まだ、時間はある。
夕食を共にするという事は結菜に事前に伝えてある。
でも、さすがにまだ早すぎる。
策が尽きた僕は、
「ねぇ、結菜。少し休憩がてらに色々なところにまわろっか」
こう言うしかなかった。
うん、仕方ないよね。
「じゃあ、もう一度ペンギンコーナーに行っていい?」
結菜についていくと、ペンギンコーナーには、人はあまりおらず、ペンギンが自由に泳いだり、餌やりの時に食べ損ねた餌を食べたりと各々自由にしていた。
アオイペンギンは眠たそうにしていた。
ペンギンがいつ寝るのか僕には詳しく分からないが、昼寝でもしているのだろう。
「可愛い!」
結菜は触れ合い体験と同じように目を輝かせて、ペンギンを見ていた。
「可愛いよね。僕もペンギン好きだなぁ……」
「お! 蒼君と好みが共有出来ちゃった! これは、青色に染まるんじゃない?」
「あれ? 結菜は抹茶色じゃなかったっけ?」
「むー! 何色でもいいじゃない!」
頬を膨らませて、ポコポコと僕の胸をたたく結菜。
「あはは。結菜はやっぱり可愛いね」
「あ……ありがと。やっぱり素直に褒められるの慣れてないや」
結菜の顔はトマトのように真っ赤だった。
素直に褒められて、嬉しかったのだろう。
「そういえば、蒼君ってお姉さん居るんだよね?」
「うん。そうだよ。どうしたの?」
「や、聞いてみただけ」
「ふーん、結菜は?」
「私は、お母さんとお父さん居ないの」
そういう結菜の表情が曇ったのが、分かった。
同時に言ってしまったとハッとした顔にもなっていた。
「あ、今のは忘れて」
「ごめん、僕も不用意に聞いちゃって」
「いやいや、蒼君は悪くないよ。私、トイレ行ってくるね」
結菜は無理に笑顔を作ってそう言った。
「……いってらっしゃい」
初めて表情を曇らせてしまった。
申し訳なくなってしまったからか、サプライズを用意するためには結菜が居ない今が適切だからと思ったからか僕は結菜に喜んでもらうためにある場所に行くことにした。
結菜に喜んで貰うため、僕は水族館の土産店に向かった。
そこには、デフォルメされた大きなサメやイルカ、ペンギンなどのぬいぐるみが飾ってあり、そこそこの広さがある。
結菜がトイレに行っている間、彼女が欲しそうな物を選ぶ。
まず、頭に浮かんだのはぬいぐるみ。
結菜はペンギンが好きだから、ペンギンのぬいぐるみにしようと思ったが、結菜はぬいぐるみは持っているから、ぬいぐるみは止めておいた。
次に缶バッチ。
クラスの女の子がアニメのキャラの缶バッチを筆箱などに付けているのを見ていた。
でも、水族館の名前が入っていて記念にするにはちょうどいいのだろうけど、なんか見る度に思い出しそうで少し恥ずかしい。
悩んでいる時間はあまりない。
けど、結菜が喜ぶ顔を見たくて悩んでしまう。
となれば、なにがあるのだろうか。
あまり可愛すぎないものが好ましいと思うのだ。
食べ物はどうだろう。
ここの水族館の名前と可愛らしい動物のイラストがプリントされたクッキー箱を手に取る。
なんだか、よくない気がして箱を元に戻す。
冷静に考えてみれば、初デートのサプライズプレゼントがクッキーなんて黒歴史でしかない気がする。
「お客様、なにかお探しですか?」
みつあみの店員さんが、僕に聞いてきた。
きっと、悩んでいる僕を見かねて、聞いてきてくれたのだろう。
「実は、彼女にサプライズしたくて似合うものを探しているのですがいいものが見つからなくて……」
「なるほど。それは素敵なサプライズですね! 彼女さんが好きな動物はなんですか?」
笑顔でその店員さんは僕に聞く。
「ペンギンです」
「そうですか、でしたら──これはいかがでしょうか?」
そういって、店員さんが勧めてきたのはキーホルダーとキーケースだった。
キーホルダーはデフォルメされたペンギンの形になっており、中は透明になっていてなにかが入っている。
キーケースは、革で作られていておしゃれだ。
「このキーホルダーの中には換羽という抜け落ちた羽根が、この中に入っているんです。どれも同じように見えますけど実はこれのように少し白い毛が混じっていたり、同じものはひとつもないまさにオンリーワンなキーホルダーなんですよ!」
店員さんの熱意のこもった説明に少し引きながらも、これなら普段使いも出来るし、可愛いからいいなと思う。
「その、キーケースはなんですか?」
店員さんはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、目を輝かせて、
「このキーケースは、ペンギンの希少な革を使っています。ですが、とても希少なため、サイズが普通のキーケースよりは小さく、お値段は値を張りますが使い心地は抜群です」
また店員さんの熱意のこもった説明を聞いて、少し引いたが、同時にこの人は本当に動物が好きなんだとも思った。
「おー……。いいですね。ではこのふたつ買います。あとひとつ普段使い出来るのがあったらいいと思うんですけどなにかありますか?」
「ありますよ。これは高校生さんにオススメなんですよねー」
店員さんについていくと、文房具コーナーに向かう。
そのすぐ横には実物大のサメの標本が置いてあった。
値段は諭吉三人分とそうとうの魚好きではないと手を出せない。
「ここです、ここ。高校生カップルさんに人気なんですよね。私のオススメはこれです」
店員さんが勧めてきたのは、木製のペンだった。
挟む部分には、ペンギンの飾りが付いている。
「このペンは、木製品なので高級感がありますし、複数個買ってお揃いでお使いになられるお客様もいらっしゃいますね」
これは結菜は絶対喜ぶだろう。
「では、それも買います」
「お買い上げありがとうございます。さっそくレジにいきましょう」
僕は店員さんについていき、会計をしてもらう。
「合計で4000円になります」
僕は英世四人分を財布から取り出して、店員さんに渡す。
「ちょうどお預かりいたします。レシートです」
「わざわざ選んでいただきありがとうございました」
僕はレシートと結菜へのプレゼントが入った袋を受け取り、そう言った。
この人がいなければ自分でも納得のいく買い物が出来ていなかったかもしれない。
本当に助かった。
「いえいえ、お客様がお困りの際に我々がサポートするのは当然ですから」
店員さんは笑顔を崩さず、そう言った。
「ありがとうございます」
もう一度、お礼を言って土産店を後にした。
そして、結菜が待っているであろうトイレの前に急ぐ。
気に入ってくれるといいな。
そんな期待を持ちながら。
結菜はトイレの前でスマホをいじって待っていた。
「蒼君、おかえり! どこ行ってたの?」
「あぁ、ちょっと飲み物を買いにね」
「そっか。遅かったね」
結菜の声のトーンが少し落ちているのに気がついた。
「ほ、本当だよ。混んでいたから遅くなって」
「ふふっ。分かってるよぉ。試しただけ」
どうやら、また遊ばれたらしい。
「もうすぐライトアップの時間だね」
「そうだね! 楽しみ!」
結菜は今日一日ずっとウキウキルンルン気分だ。
これ以上、嬉しいことはない。
夜のライトアップまではまだ時間があるので、僕らは早めの夕食を食べることにした。
水族館近くにあるファミレスに移動する。
「結菜、なに食べるの?」
肘を机において両手にほっぺをつけながら、結菜は考えるそぶりを見せて、
「んー、なに食べようかな。ピザふたりで分けようよ! あんまり私お腹空いていないからさ」
「そうしようか」
ピザを注文して、水を飲みながら、僕らは雑談をしていた。
「ペンギン、可愛かったね」
「でしょ! 蒼君にペンギンの可愛さが伝わってよかったよ! あ、ライトアップ行くときに水族館に着いたらペンギンコーナーに戻っていい?」
「いいけど……。なんで?」
「夜はペンギンも寝る時間だから、あそこでいるペンギンたちも眠たくて寝ちゃう子がいるはずなんだよね! ペンギンの寝顔ってとっても可愛いから、私見ておきたいんだ!」
「なるほどね。それならペンギン見に行ってからライトアップ見ようか」
僕は夜の水族館自体行くのが初めてで、昼と夜ではまた感じ方が違うのだろう。
本当に楽しみだ。
僕らの会話が途切れたタイミングでピザが届いた。
「さ、食べよ!」
結菜がピザカッターで六等分に分け、僕にピザを向ける。
「ありがとう」
手で取ろうとすると、ペチと軽く叩かれた。
え? なんで?
「蒼君、よく見て」
結菜はジト目でそう言う。
結菜が僕にピザを向けてくれている。
僕が取ってはいけない。
まさか、これが。
彼女のあーんなのか。
「あ、あーん」
僕がドキドキしながら口を開けると、結菜はやっと分かってくれたと言わんばかりにピザを口の中に入れてくれた。
僕が結菜のあーんを食べ終えると、まだ五枚残っていた。
結菜はピザを取ろうとしないということは、僕が結菜にあーんをしろと言うことだろう。
「結菜、あーん」
僕がピザを近づけると、結菜は笑顔で口を開けた。
「あーん。んー! ピザおいひい!」
満面の笑みでピザを咀嚼する結菜。
本当に美味しそうに食べるな。
将来、CMに出れそうな気がする。
僕はもう一度、あーんをするのかと思っていたけど、早めに水族館に戻るには毎回あーんをするわけにもいかないので、ここで終了することになった。
あーんタイムを終えた僕らは、ライトアップの話をしながら、ピザを食べる。
「今回のライトアップだけどね、クラゲコーナーだけじゃなくてプロジェクションマッピングを使って床とかも光るみたいだよ!」
ホームページに書いてあったよと結菜はスマホをこちらに見せる。
トイレ前で待っている間に見つけたのだろう。
「すごいね。僕らいいときに来たね」
「これも蒼君のおかげだよ! ありがとう!」
「こちらこそ。デートに付き合ってくれてありがとう」
僕らはお互いを見てクスリと笑い合う。
最後の一枚のピザに手を伸ばした時、ちょうど結菜も食べようとしていたのだろう、彼女の指に触れた。
「蒼君、食べてよ」
「いや、結菜が食べて」
結菜が蒼君がと言うので、僕は食べる。
それから、どちらからもそろそろ行こうかという雰囲気が流れたので、僕らはファミレスを後にした。
さて、戻って、ライトアップとペンギンを見よう。
水族館に戻り、再入場すると、変化があった。
朝、受付前にいたクラゲはライトアップのためからか水槽からいなくなっており、館内の電灯が暗くなっていた。
僕は、結菜がはぐれないように彼女の手を握る。
少しビクッとしたのか手に振動が伝わったが、それはすぐに収まって結菜が手を握り返してくれた。
やはり、昼と夜では全然違った。
昼ではいきいきと元気よく泳いでいた魚も、夜になればそれほど活発に動かなくなる。
寝ているのか、じっとしてることが多い。
だからか、どこか水槽内が寂しく感じる。
結菜が言っていたペンギンコーナーを向かうと、そこには昼と同じく人だかりが沢山できていた。
やはり、ペンギンは昼夜関わらず、人気のようだ。
しかし、ペンギンたちは誰も泳いでいなかった。
飼育スペースで身を寄せ合いながら、寝ていた子がほとんどだった。
その中でも、起きているペンギンが数匹いて、そのなかの二匹がユナペンギンとアオイペンギンだと気がつく。
「あ、アオイだー!」
「なんか、僕が呼ばれているみたい」
「アオイはアオイでしょ?」
「まぎわらしいね」
ユナペンギンは、アオイペンギンの体に寄り添って寝ようとしている。
アオイペンギンは、そんなユナペンギンに『おやすみ』とひと鳴きして、自身もユナペンギンに体を預けた。
同じ角度で寄り添い、寝ている姿を見ているとなんだかこっちが恥ずかしくなる。
同じ名前だからなおさらだ。
結菜が僕の手を握る力が少し強くなった気がした。
「……私たち、ラブラブだね」
「そうだね」
僕も少し結菜の手に力を入れて握る。
ペンギンも、僕たちも。
本当に仲良しだ。
僕は思う。
君とデートを出来て幸せだと。
そして、この幸せを何回も繰り返して、ずっと幸せを感じて生きていきたい。
──大好きだよ、結菜。
口に出そうになった甘い言葉はまだとっておこう。
これは、ライトアップの時に言いたいから。
お互い、ペンギンを見ながら、手を握りあっていると、ライトアップが開始されるという放送が流れた。
「ライトアップ、行こうか」
「うん」
結菜につられて、僕は歩き出す。
ユナペンギンとアオイペンギンは、もう夢の中で一緒に泳いでいるのだろうか。
それとも、楽しそうに魚を食べているのだろうか。
どちらにせよ、僕らは幸せだ。
デートの終盤、僕は確かに幸せを感じた。
ライトアップの会場は昼にイワシを見ていた大きな水槽だった。
サメやイワシはまだ数匹、優雅に泳いでいる。
その中に、数十匹ほどのクラゲが漂う。
フワフワと能天気に、それでいて日々の喧騒を忘れさせてくれるように。
その姿が幻想的でとても涼しげだった。
まだ暑さが残っている九月の夜だったが、これを見ていたからか、それとも館内のクーラーが効きすぎていたからか、僕は少し寒くなった。
「カーディガン、着ていい?」
「あ、着て着て。外と違って少し寒いもんね」
結菜はそっと僕の手を離す。
「ありがとう」
気にかけてくれた結菜にお礼を言い、紫色のカーディガンを羽織って、結菜の手を再び握る。
上着を持ってきてよかった。
ライトアップされたクラゲは見ていても飽きずに、昼と違う一面を見せてくれた。
他の魚たちもクラゲにつられて、心なしかゆっくり泳いでいる。
「クラゲって結構いいね」
「そうだね! 神秘的できれいだし、私結構好きかも!」
「うんうん。それにしても、海っていいね」
「分かるよ、その気持ち。私は生まれ変わったらペンギンになりたい」
「僕もなりたいな。そして結菜と一緒に泳ぎたい」
自分でも結構恥ずかしいことを言っている自覚はある。
きっと、今の僕は顔が真っ赤に違いない。
でも、そんな恥ずかしさを忘れるくらい結菜といる時間が楽しかった。
それから、僕らは時が流れるままに泳ぐクラゲを見ていたが、さすがに少し飽きてきたのか、結菜が、
「蒼君、そろそろお土産買おっか!」
「自分土産だね」
「うんうん!」
結菜についていき、僕は先程行った土産店に向かった。
「んー、お土産何にしようかな。蒼君は何にするか決めた?」
僕は結菜へのサプライズ用と一応自分用に買っているため、買わなくてもいいのだけど、さすがに不自然だからなにかしら買うことにした。
ちょうどお金にもまだまだ余裕があったため、問題はない。
「とりあえず、クッキーとか買おうかな」
「クッキーいいよね! 美味しそうだし! あとは、蒼君、これとかどう?」
じゃーんと効果音が鳴りそうな雰囲気で、結菜はこちらにネックレスを付けて見せてきた。
結菜の胸元に小さなペンギンがキラリと光る。
可愛らしいし、結菜の今の服装とマッチしていて普通に似合うと思う。
「可愛いね。それに似合っているし」
「えへへ……。率直にくるとは思わなかったから恥ずかしいな。ありがとう!」
結菜はそれをカゴにいれて、また次の品物を見ていく。
僕は手持ちぶさたで結菜が聞いてきたら答える程度のことしかやっていなかったけど、結菜があるものを見つけて、テンションが上がった。
「蒼君、蒼君! 見て見て! カバーがあるよ!」
それは僕がいつ結菜にプレゼントを渡そうと考えていたときだ。
結菜が興奮した様子で僕を呼ぶからなにかと思って、カバーの意味も分からなかったからついていった。
すると、そこには、革で作られて、魚がプリントされているブックカバーがあった。
「おおっ! すごい!」
「でしょでしょ! 私もこれ見たときに蒼君絶対欲しがるかなって思ったの!」
僕は本を買ったときに付く紙のブックカバーしか持っていなかったから、これは嬉しい。
革製のブックカバーを使うことはあこがれだった。
「あとね、しおりもあるよ!」
結菜が指さすブックカバーの下の棚には、ブックマークが沢山置いてあった。
これも、本を買ったときに付く紙製のものではなく、プラスチック製の高級感があるものだ。
これにより、僕のテンションは今年一番の高さとなった。
「すごいね! 本当に来てよかった。結菜、本当にデートに付き合ってくれてありがとう」
結菜は普段の僕と違うテンションに少し困惑しながらも、
「なんだかこっちがメインになってない? ……まぁ、蒼君が喜んでくれているなら私も嬉しい」
「結菜はどれがいいと思う?」
僕と結菜はブックカバーから選ぶことにした。
「やっぱり、この紺色のブックカバーじゃない?」
結菜が選んだのは金色のペンギンがあるブックカバーだった。
確かにシンプルでクールな感じがしてかっこいいと思うが、僕は初めに結菜に見せてもらったブックカバーの方が好みだ。
でも、これはこれでいいものだし、またいつか来たときに買えばいい。
「僕は初めの方がいいと思うな」
「これ? カラフルでいいよね! 私もどっちか迷ってるんだよね」
でも、どちらもよくて迷ってしまう。
「じゃあ、せーので指さそう」
「うん、いいよー!」
「「せーの‼」」
僕らが指さしたのは、ペンギンがあるブックカバーだった。
結局、迷ったあげく、こっちの方がおしゃれだったから、これにした。
「次はしおりだね!」
しおりは、沢山あったから候補を決めてから選ぶことにした。
そして、選んだ三種類の中から決めることにした。
よくある長方形型のしおりにイルカ型のしおり、クラゲ型のしおりだ。
長方形型のしおりのには、沢山の動物がイラストされている。
「じゃあ、いくよ?」
「「せーの‼」」
僕と結菜が指さしたのは、イルカ型のしおりだった。
「やっぱりこれだよね」
「うん! クラゲもよかったけどやっぱりイルカが一番だったよ」
それから、僕らは会計を済ませて、水族館を出ることにした。
初デートは大成功と言えるだろう。
だが、まだ終わりじゃない。
最後、結菜にサプライズプレゼントを渡すことと甘い言葉をかけることがまだ残っている。
それがすることで初めて大成功と言えるのだ。
まだ気を抜いてはいけない。
結菜が最後の最後まで喜んでもらえるように、あとひとふんばりだ。