明日、君が死ぬことを僕だけが知っていた

 とある日の休み時間。遊びにいった隣のクラスで、ひとりの男の子がごみ箱にノートを捨てる瞬間を目にした。
 ごみ箱に入れるくらいなのだから、それは価値のないものに違いない。彼は放り投げるようにそれを捨てると、すぐに教室を出ていった。
 教室内の誰もが談笑に夢中になっている中で、私だけがその姿を目で追っていた。

「ごめん、ちょっと待ってて」

 友人たちの席を離れ、ごみ箱を覗き込む。捨てられたノートは他のごみに濡れて酷く汚れていた。

「どうしたの、愛梨」
「ん、ちょっとね」

 彼には悪いと思いつつも、捨てられたノートを拾い上げた。
 教室を出ていった男の子の表情があまりにも苦しそうだったから、何を思ってこれを捨てたのかが気になった。
 家に帰るとすぐにノートを開いた。ページをめくり、一文字たりとも読み逃すことなく目を通していく。

「……凄い」

 心からの感嘆の声が漏れた。
 ノートには、手書きの文字でびっしりと小説が書かれていた。
 重い病を患った少女が、死を前にしてもなお、前を向いてひとりの少年と向き合う純愛の物語。
 どうやら未完結のようで、死のシーンでヒロインの少女が「君のことが好き」と告げる場面で文章は途切れている。

 読み終えた後、涙を流している自分に気が付いた。
 小説を読んで泣いたのは生まれて初めてのことだった。今まで、読書好きの友人が言う「この本読んで泣いちゃった」という言葉をいつも大げさだと思いながら聞いていたし、すすめられた本を実際に読んでみて面白いとは思っても、泣いたことだけはなかった。

 そのくらい私の涙腺は固かった。にもかかわらず、名前も知らない男の子が書いた小説で私の感情はいとも容易く揺さぶられた。
 間違いなく、私が今まで読んできたどの作品よりも胸に刺さるものだった。同じ高校一年生の男の子がこれを書いているというのだから驚きだ。

 こんなにも凄い小説を、どうして捨てようと思ったのだろう。
 もったいない。それ以上の言葉が見つからなかった。
 読み返すたび、健気に前を向き続ける少女に感情移入していった。
 そして私は思った。

 私もこの少女のように、最後の瞬間まで、全力で――。

 運命というのは残酷だ。
 成功する人間、しない人間。
 幸せになる人間とそうでない人間。

 もしも当人たちの努力の有無を問わず、初めから結末が定められているのだとしたらこれほど無情なものはない。
 僕はいつもそんなことを考える。

 夏の暑さが残る二学期初めの午後、熱心に授業を行う先生には目もくれず、僕はただ一冊のノートを眺めていた。それは退屈な授業の内容をまとめたノートではない。

【山田省吾が授業中にあくびをして先生に怒られた。クラスメイトたちは笑っていた】

 ノートには僕の字でそう書かれている。何の変哲もない、日記のようなくだらない記述。文面だけで言うなら授業よりもよっぽど退屈な内容だ。
 ただしこのノートには一つだけ普通とは違うところがある。
 そろそろだろうか、斜め前方で気だるそうに授業を受ける山田省吾に目を向けた。

 すると彼は後ろから見てもわかるくらい盛大に口を開けてあくびを一つ。直後、先生の鋭い視線が彼に突き刺さり、彼は見事にお叱りを受けてしまった。

「す、すんません」
「まったく。今回は特別に許してやる。次からは気をつけろよ」
「はい……」

 軽く制服を着崩したお調子者の彼がぺこぺこと頭を下げる様子が面白かったのか、教室内に笑い声が溢れる。どこからか聞こえてくる蝉の声がより教室を賑やかに飾り立てていた。

 まさにノートに書かれていた出来事がたった今起きた。
それこそが、これが普通のノートとは違うという所以。
 このノートには、これから起こる未来の出来事が書かれている。誰にも言えない、僕だけの秘密だ。

 昔から、いわゆる予知夢を見ることがある。
 きっかけは幼い頃、交通事故で意識不明になっていた最中に見た夢だった。夢の中で、両親が泣きながら僕を抱きしめる様子を、僕は空中から見下ろしていた。

 それから数日が経って目を覚ました時、夢で見た通りの出来事が現実でも起きた。
 両親の息遣いや姿勢、言葉の数々、それらがあまりにも夢で見たままだったから、すぐにあれが予知夢だと理解できた。

 以来、不定期ながら未来の夢を見ることがある。頻度も内容も疎らで、酷い時には数年後に起こる自分のくしゃみを予知するだけの日もある。ただ、僕が関心を寄せる事象に関した夢を見る確率は若干高い傾向にある。

 これは予知夢の内容をまとめた、言うなれば予知ノート。
 彼が今あくびをしたのも、こうして教室内に笑い声が溢れているのも、数日前の夢の中で既に見ていたことだ。

 そして今朝、僕はとても信じがたい未来を見てしまった。
 つい、ひとりの少女の、そのご機嫌そうな後ろ姿に目がいく。

「あはは、省吾くん今すっごい口開いてたよ! 昨日あんまり寝てなかったの?」

 あくびをした彼を茶化す彼女の名は早川愛梨。
 クラスの中でもひときわ目立っていて、僕のように教室内でひとり物思いに耽りがちな人間とは正反対の存在だ。
 快活でノリも良く、目鼻立ちも整っている彼女の周囲にはいつも人がいる。

「実は昨日カノジョとずっと電話しててさ、あんまり寝てないんだよ」
「うわぁ惚気だ~。もしかして寝落ち通話?」
「もちろん寝落ち通話」
「いいねー青春だね。私も誰かとしたいなあ寝落ち通話!」

 盛り上がるふたりは当然注意をされるが、彼女はそれすらも楽しそうだった。先生も先生で、呆れながらも笑っている。周囲の生徒たちも同じだ。

 彼女が笑えばおのずと周りの人々も笑顔になる。いつもだそうだ。彼女には人を魅了するような特別な力がある。

 きっと、誰もが彼女の幸せを願うだろうし、実際に幸せになると思っているだろう。
 だからこそ、運命というのはたまらなく残酷なのだと考えてしまう。

 ノートのとあるページの、とある文章を、何度も読み返す。
 とても信じられない。いいや、信じたくない。
 本当に、こんなことが起きるというのだろうか。

【早川愛梨が死亡する】

 予知ノートには、そう書かれていた。
 死因はわからない。
 夢の中で、僕はじっと彼女の遺影を見つめていた。

 わかるのはこの未来がそう遠くない日の出来事だということ。遺影に写っている彼女も、葬儀に参列する僕も、この学校の制服を身にまとっていた。
 今は二年の二学期。早ければ今年中、遅くても来年中にそれは起きてしまう。

 経験上、予知した未来は決して変えることはできない。
 仮に転ぶ未来が見えた場合、その後どれだけ足元に注意を払っても転倒は避けられない。さっきの彼も、あくびをするよう運命が定まっていた。

 つまり、予知で彼女の遺影が見えたということは、そういうことだ。
 身近にいる人間が亡くなるというのは想像もしたくない。

「それじゃあ、この問題がわかる人いるか?」
「はいはーい!」

 教師に当てられるまでもなく、よく通る声で早川さんが手を上げた。

「よし、答えてみろ」
「わかりません!」
「じゃあ手を上げるな!」
「はい!」

 打ち合わせでもしたのかと勘繰りたくなるようなやり取りに、またも教室内が賑わう。彼女はいつもこうして授業を盛り上げようとするし、実際に盛り上がる。

 僕だって今朝の予知さえなければ多少は笑っていたかもしれない。
 彼女のユーモアセンスは嫌いではないし、授業の妨げにならない程度に行われるためストレスにもならない。

 ただ、今日に限っては話が別だ。
 早川さんが話すたび、笑うたびにどうしても今朝の夢が頭によぎる。
 僕はこれからどんな顔をして彼女と関わっていけばいいのだろうか。

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