言われていた時計台の前に辿り着くと周囲はカップルで埋め尽くされていた。大粒の雨は降っているけれど、週の終わりの金曜日だからか学生や会社員っぽい人たちと色んな年齢層で賑わっている。
色とりどりの傘を見比べ辺りを確認していくと、明らかに一般人とは思えないスラッとした立ち姿で、真っ黒の傘をさす人影が見えた。
日野くんだ。
てっきり変装とかしているものだとばかり思っていたけど、制服にマスクをつけているだけだ。傘で顔を隠しているためなのか周りが気付く様子はない。どう声をかけようか迷っていると、彼がこちらに気付いた。
「あ、五十嵐さん。ありがとう来てくれて」
日野くんは私を見つけ平然と駆け寄ってくる。周りの人たちは彼の声を聞き、首を傾げはじめた。皆彼に注目して、連れの人とこそこそ話をしている。
「あの、ひ、人が見てるよ」
「そう? 気のせいじゃない?」
気のせいじゃない。断じて気のせいじゃない。明らかに周りの人の視線が、「どこかで見たことある人」を思い出す目だった。それにちらちらと「あの人さあ?」という声も聞こえる。写真を撮られたりしたら、一緒に居るのが私みたいなどこにでもいる凡人でも、彼に多大な迷惑をかけてしまうだろう。
「ばれてるよ。い、いくら私みたいなのでも、人と歩いてるのとか撮られたら、日野くんの仕事に影響が」
「無いよ。むしろ話題性利用するような場所選んだんだから。行こ?」
日野くんは周囲の視線を一切気に留めず、軽い足取りで歩いて行く。とりあえず、この場を離れた方がいい。私がそのまま日野くんについて行くと、彼は私に歩幅を合せてくれた。
「俺の事務所さ、使えないと思われたら秒で切られるんだけど、その分商品価値があって実力見せてれば、週刊誌に何枚写真撮られようが結婚しようが、大丈夫なところなんだ。それに俺、おいおい海外に拠点絞ろうと思ってるから、ある程度騒がれて顔が知れたほうがいいし」
日野くんは笑って話すけれど、ひやひやしてしまう。後ろを振り返ると、こちらについてこようとしないまでも人々の視線は彼に集中している。
「それに俺の知り合いとか、彼女いるの公表してるしね。知らない? 常浦って歌手。湖月と騒がれてたでしょ」
「ご、ごめん私あんまり詳しくなくて。でも、日野くんの事務所が自由なのは聞いたことあるような……」
美弥ちゃんも同じことを言っていた気がする。日野くんの事務所は交際自由だから、もう彼には彼女がいるかもしれない……とか。
「そう。俺の入ってる事務所、結構えぐいっていうか。ドラマの視聴率上げる為にあることないこと週刊誌に書かせるくらいのとこだからさ。気にしなくていいよ」
「そうなんだ……」
自由、というのは聞こえがいいけど、大変なところだな……。芸能界って大変だって聞くけど、もっと私の想像できない大変なことをいつも彼は前にして頑張っているのかもしれない。
話を聞いていると、不意に彼は思い出したようにこちらに顔を向けた。
「ん……、そういえば五十嵐さんの両親も確か海外でお仕事してるんじゃなかった?」
「そうだよ」
「じゃあ五十嵐さんは今一人暮らしなの?」
「うん」
頷きながら、私は疑問に思った。私は日野くんにそんな話をした覚えはない。
両親が仕事で家にあまりいないことは芽依菜ちゃんに話をしたけど、海外赴任についてまでは伝えてない。両親がすぐ傍にいないことを伝えるのは、無用心だと止められているからだ。八百屋のおじさんには両親が娘をよろしくと挨拶をしていたけど、なんで彼は知ってるんだろう。先生から聞いた……? 問いかけようとすると、日野くんは「なら俺と一緒だ」と笑う。
そういえば、彼は一人暮らしをしていると言っていた。食べるのは好きだけど、料理を作る時間があまりとれなくて、それで女の子たちからのごはん作りの申し出を断っていたっけ……?
「俺さー、基本朝は食べないし、夜は大抵仕事だから差し入れとかで済ませちゃうんだよね。打ち合わせついでにー、とかざらだし。だから五十嵐さんに作ってもらうご飯が唯一の食事でさ。最近すっごく調子いいんだよね」
「へえ……」
そんなの、絶対足りない気がする。お腹空いちゃうとかのレベルじゃなく、栄養も偏ってしまう気がする。
今度から、お昼と一緒に夕食、一品くらい持ってこようかな。でも、モデルとして身体作りとかもあるかもしれないし。余計なお世話ってこともある。
……これからはお昼のお弁当、もっと栄養計算して、もっともっと気を付けていこう。カロリーを抑え気味で、栄養もあって美味しいものを作ろう。
帰りに本屋さんに寄って栄養の本を買うことを決め、周りを見て今日どこへ行くのか全く分かっていないことに気が付いた。ショッピングモールの前で待ち合わせをしたけど、もう随分と離れている気がする。大通りからも離れて、人気のない路地の道を私は日野くんと歩いていた。
「あのさ、日野くん。そういえばお買い物のお手伝いって何をすればいいの?荷物持ちなら普段大根とか南瓜とか、お米で鍛えてるから大丈夫だけど……」
「はは、五十嵐さんに重たいものなんて持たせないよ。今日は雑貨屋に行きたくて、ほらここ」
そう言う彼は傘を畳んだ。周りを見るとすでに屋根があって私も慌てて傘を畳む。目の前に建っていたのは海外のブランドを取り扱ったセレクトショップだった。
確か手頃な価格帯と高級なハイブランド? のものを取り扱ってる……。みたいなことをやってるのをテレビで見た気がする。買い物カゴがバスケットになってるとかの……。うん、その後レシピ動画のアレンジコーナーを見たから、よく覚えてる。絶対にここだ。
「ここさ、結構好きでよく来るんだ。キッチン用品も取り扱ってて。俺の家、皿とかコップとか、食器? 殆ど無くて、五十嵐さんのアドバイスが聞きたくてさ。どういうのが使い勝手がいいかとか。教えてほしいんだ」
なるほど、食器の相談かあ。作る食べるほどじゃないけど食器を見るのは好きだし、集めるのも好きだ。専門家みたいなアドバイスは出来ないけど、便利な食器や洗うのが大変な器の区別は出来る。それなら私でも役に立てそうだ。
「うん。分かった」
「ありがと」
日野くんと一緒にお店の中へと入っていく。内装は白が基調とされて、床はぴかぴかとこちらを反射していた。端にはテレビで見たとおりのバスケットがあって、商品棚には紅茶だったり、食器だったり、小物が並べられている。彼は食器の列へ向かうと、一つ二つと手に取ってこちらに振り返った。
「早速だけどこのお皿と、この沢山あるやつならどっちがいい?」
視界に入ったのは大きめのお皿と、それより二回りほど小さな中皿の五点セット。
平たいお皿は冷ましたり、大きめのお皿にワンプレートとして盛ったり、とわりと使う。中皿は取り分けで一枚は必要だけど、五点もいらないような……。
「日野くんの家って小ぶりなお皿は一枚も無い?」