その間に何をされたかは分からないけど、信号が赤になった時、咄嗟に車から逃げ出した彼は、近くの交番に駆け込んだそうだ。
事件の詳細を私は未だに知らない。ただ保護された直後の彼に会いに行った時、彼はがたがた震え人と話せる状態じゃなかった。物音一つにも怯えてずっと俯き、人の気配を感じれば吐いてしまう真木くんは、当然学校に行くことなんて出来ず、家から出れずにいた。
私は何度も真木くんの両親に謝って、彼に会いに行った。日が経つにつれ何かに怯えたり、吐いたり、泣き出すことはなくなっていったものの、徐々に物事に対する気力を失い、ぼんやりし始めた。年を重ねるに連れ幼さが目立ち、言動も行動もあどけないまま止まっている。それは全部、私があの時、彼から目を離したからだ。
眠りすぎるのも心配になるけれど、誘拐されたときの真木くんは全く眠れていない様子だった。泣いて叫ぶ時間のほうが圧倒的に多かったから、眠れているのなら……と、、彼が寝ているたびに安心しているのも事実だった。
遊びに行くわけじゃないのに、沖田くんの家に、何か迷惑をかけてしまう可能性のある真木くんを連れて行くのはよくないと思う。けれど、真木くんを置いてどこかへ行くという選択肢は私にはない。
そう思って私は真木くんと一緒に、放課後沖田くんの家に向かったけれど……。
「ここからどうすればいいんだろう……」
辺りには、貰ったメモにあった町名が記された電柱が並んでいるけれど――真木くんが住所の書かれたメモを見たいと言うから見せた結果、風に吹き飛ばされてしまい、ここから先の番地がわからず途方に暮れている。
だいちゃん先生から受け取ったとき、メモを見たものの、暗記したわけでもないからこのまま一軒一軒探していくのはなかなか厳しい。早く帰らないと、暗くなってしまうし……。
「真木くん、沖田くんの家のメモにあったアパートの名前とか覚えてない?」
「わかんない……ごめん……」
彼はしょんぼりした様子でがっくり肩を落とした。このままだと暗くなってしまう……ひとまず目についた青薬荘というアパートのポストから名前を確認しようとすると、真木くんは私のもとを離れ、ゴミ捨てをしているお婆さんに声をかけた。
「すみません……あの、沖田って高校生のいるおうち、知りませんか……?」
「ええ、沖田……?」
お婆さんは新聞で包んだ『危険・刃物』と書かれたゴミを持っている。包丁を捨てるところだったのだろう。他にも電球や乾電池など、名前を書いた袋や、オレンジと紫の歯ブラシをいくつも捨ててから、「あぁ、あの兄弟のいる家か」と、思い出したように呟いた。
「そこの奥のなしづかって書いてあるアパートに住んでるよ。……町内会で少し話題になったから……うん。沖田って兄弟だ」
お婆さんは「あんたらあそこんちの同窓生かい?」と尋ねてくる。
「はい。同じクラスで」
「大変だねぇ、文化祭も近いのに。その制服、天津ヶ丘だろう?」
「はい……」
「何やってんだ! 婆さん! あんたまた勝手な時間にゴミ出して!」
頷こうとすると、横から怒鳴り声が響いた。アパートの向かいの一軒家から、おじさんが飛び出してくる。おじさんはものすごい剣幕でお婆さんに近づいていった。
「婆さんだめだって言っただろう、夜にゴミ出すのは!」
「なんだよ。これはアパートのゴミ箱だよ。そっちとは関係ないだろう」
「関係ないわけないだろう! 決まりも守れんで、お前さん子供出てったら孤独死だぞ! 俺はこの町内の会長でもあるんだからな」
「うるさいねぇ」
おじいさんとお婆さんは口論を始めてしまった。どうしようか考えていると、お婆さんは私に振り返り、「じゃあ、気をつけるんだよ。この辺りひったくり多いから」と、アパート一階、「大家」と書かれた表札の家へと帰っていった。おじいさんは「カメラでも買わなきゃ駄目だな」と、神経質そうな溜息を吐いて、自分の家へ戻っていく。
事件の詳細を私は未だに知らない。ただ保護された直後の彼に会いに行った時、彼はがたがた震え人と話せる状態じゃなかった。物音一つにも怯えてずっと俯き、人の気配を感じれば吐いてしまう真木くんは、当然学校に行くことなんて出来ず、家から出れずにいた。
私は何度も真木くんの両親に謝って、彼に会いに行った。日が経つにつれ何かに怯えたり、吐いたり、泣き出すことはなくなっていったものの、徐々に物事に対する気力を失い、ぼんやりし始めた。年を重ねるに連れ幼さが目立ち、言動も行動もあどけないまま止まっている。それは全部、私があの時、彼から目を離したからだ。
眠りすぎるのも心配になるけれど、誘拐されたときの真木くんは全く眠れていない様子だった。泣いて叫ぶ時間のほうが圧倒的に多かったから、眠れているのなら……と、、彼が寝ているたびに安心しているのも事実だった。
遊びに行くわけじゃないのに、沖田くんの家に、何か迷惑をかけてしまう可能性のある真木くんを連れて行くのはよくないと思う。けれど、真木くんを置いてどこかへ行くという選択肢は私にはない。
そう思って私は真木くんと一緒に、放課後沖田くんの家に向かったけれど……。
「ここからどうすればいいんだろう……」
辺りには、貰ったメモにあった町名が記された電柱が並んでいるけれど――真木くんが住所の書かれたメモを見たいと言うから見せた結果、風に吹き飛ばされてしまい、ここから先の番地がわからず途方に暮れている。
だいちゃん先生から受け取ったとき、メモを見たものの、暗記したわけでもないからこのまま一軒一軒探していくのはなかなか厳しい。早く帰らないと、暗くなってしまうし……。
「真木くん、沖田くんの家のメモにあったアパートの名前とか覚えてない?」
「わかんない……ごめん……」
彼はしょんぼりした様子でがっくり肩を落とした。このままだと暗くなってしまう……ひとまず目についた青薬荘というアパートのポストから名前を確認しようとすると、真木くんは私のもとを離れ、ゴミ捨てをしているお婆さんに声をかけた。
「すみません……あの、沖田って高校生のいるおうち、知りませんか……?」
「ええ、沖田……?」
お婆さんは新聞で包んだ『危険・刃物』と書かれたゴミを持っている。包丁を捨てるところだったのだろう。他にも電球や乾電池など、名前を書いた袋や、オレンジと紫の歯ブラシをいくつも捨ててから、「あぁ、あの兄弟のいる家か」と、思い出したように呟いた。
「そこの奥のなしづかって書いてあるアパートに住んでるよ。……町内会で少し話題になったから……うん。沖田って兄弟だ」
お婆さんは「あんたらあそこんちの同窓生かい?」と尋ねてくる。
「はい。同じクラスで」
「大変だねぇ、文化祭も近いのに。その制服、天津ヶ丘だろう?」
「はい……」
「何やってんだ! 婆さん! あんたまた勝手な時間にゴミ出して!」
頷こうとすると、横から怒鳴り声が響いた。アパートの向かいの一軒家から、おじさんが飛び出してくる。おじさんはものすごい剣幕でお婆さんに近づいていった。
「婆さんだめだって言っただろう、夜にゴミ出すのは!」
「なんだよ。これはアパートのゴミ箱だよ。そっちとは関係ないだろう」
「関係ないわけないだろう! 決まりも守れんで、お前さん子供出てったら孤独死だぞ! 俺はこの町内の会長でもあるんだからな」
「うるさいねぇ」
おじいさんとお婆さんは口論を始めてしまった。どうしようか考えていると、お婆さんは私に振り返り、「じゃあ、気をつけるんだよ。この辺りひったくり多いから」と、アパート一階、「大家」と書かれた表札の家へと帰っていった。おじいさんは「カメラでも買わなきゃ駄目だな」と、神経質そうな溜息を吐いて、自分の家へ戻っていく。