カメラを手に入れた柚子は、次に上の階にある飲食フロアに向かう。
 そこにはたくさんの飲食店が並んでいた。
 普段玲夜と出かける時に食べているような高級店とは違う、極々一般的な価格のお店だ。
 昼食時とあって、どの店も賑わっている。
「玲夜、なにが食べたい?」
「柚子の食べたいものでいい」
「またそういうことを……」
 玲夜と暮らして数年経つが、未だ柚子は玲夜の嗜好がよく分かっていない。
 好きな食べ物も分からないとか、恋人として問題ではなかろうかと思う。
 逆に玲夜は柚子の好みはばっちり頭に入っていて、会社帰りのお土産も、実に柚子のツボを押さえたものを買ってくるのだ。
 教えた覚えはないのに、柚子のわずかな反応を見て、どれが好きかを言い当ててしまう。
 柚子も見習おうと思うが、食事の時の玲夜を見ていてもどれが好みかなど一切分からない。
 どれを食べていても表情が変わらないのだ。
 唯一表情が緩んだのは、バレンタインに柚子が作ったチョコや、少し前に玲夜のために作ったお弁当だ。
 その時ばかりは美味しそうにと分かる表情で食べてくれた。
 しかし、その中のどれが好きかまでは分からなかったのは残念だ。
 なにせどれが美味しいかと問うても、全部と言うのだから、嬉しい反面好みが分からず困ったのを覚えている。
 玲夜なら真っ黒焦げの食べ物を出しても美味しいと言いそうな勢いだ。
「私は玲夜の好きなものが知りたいのに」
 本当に今更すぎる願望。
 普通そういう趣味嗜好などは最初に話題になることだろうに、柚子はまだ玲夜を分かりきってはいない。
 それが非常に不満である。
「玲夜が食べたいもの! 玲夜が好きなもの教えて!」
 どんな答えが返ってくるかと真剣な眼差しで見つめていると、玲夜はしばし考え込んだ後、口角を上げた。
「ひとつだけある」
「なに!?」
 期待する柚子の耳元に顔を寄せ囁く。
「柚子」
「……っ!」
 一拍の後意味を理解した柚子は、一気に顔に熱が集まる。
「玲夜! こんなところでなに言ってるの!?」
 赤くなった顔で叱りつければ、玲夜はクックッと笑った。
 完全にからかわれている。
 いや、玲夜のことなので半分本気かもしれないが、柚子の反応を面白がられているのは確かだ。
「もういい。あのお店にしよう」
 玲夜に聞くのは諦めて、勝手に店を決めてしまう。
 選んだのは若い女性でいっぱいのパンケーキのお店だ。
 人気なのか、店の前には列ができている。
 その最後尾に並ぶと、玲夜が珍しく戸惑うような反応を見せた。
「並ぶのか?」
「もちろん」
 なぜそんなに玲夜が不思議がっているのか柚子は分からないでいる。
「パンケーキ嫌だった?」
「そうじゃない。こんなふうに並んだのは初めてだ」
 何度も言うが、玲夜は鬼龍院の次期当主である。
 そんな玲夜が行く高級店なら、玲夜が来店すればすぐに席が用意される。
 こんなふうに一般人のように、列に並ぶようなことはないのだ。
 とは言え、初めてと言われたのには柚子もびっくり。
 普段は一般的な価格のお店になど入らないのだろう。
 確かに、玲夜がパンケーキのお店に並んでいる光景は違和感がありすぎる。
「玲夜、ファミレスとか入ったことある?」
「ないな」
 やはりというかやはりだった。
「じゃあ、今度一緒に行こう」
 セルフのドリンクバーの前で戸惑っている玲夜をぜひとも見てみたいと、柚子のいたずら心が刺激される。
「なにか企んでいないか?」
「全然」
 柚子は想像しただけでクスクスと笑う。
 ドリンクバーどころか、メニューの安さにも戸惑うに違いない。
 しばらく待っていると、ようやく柚子たちの順番がやって来た。
 なにを頼むのかとじっと玲夜を見ていると、いちごたっぷりのパンケーキを選んだ。
 それを意外そうに見る。
「玲夜はいちごが好きなの?」
「いや、柚子が食べたそうだから」
「私?」
「どっちにするか迷っているんだろう?」
「…………」
 本当によく見ていると、柚子はがっくりする。
 玲夜が言うように、いちごのパンケーキにするか、バナナチョコのパンケーキにするかで悩んでいたところだった。
「玲夜は私に甘すぎる……」
 そう、パンケーキに乗っている生クリームよりも。
「柚子を甘やかすのが生き甲斐だ」
 クスリと笑う玲夜は誰から見ても魅力的で、周囲の視線を集めているにもかかわらず、柚子は玲夜から目が離せなかった。