月には不思議な力があるという。
 いつだったか、そう言ったのは龍だっただろうか。
 その時は特に興味もなく聞き流していたが、今は無視などできない。
 その力をだれより今実感しているのだから。
 柚子はとある公園で空に昇る月を見ていた。
 そんな柚子に近付く人影。
「こんな時間に呼び出すなんて、どうしたの? まさかやっと俺のものになる気になったのかな?」
 柚子は自分から呼び出した優生に向き合った。
「透子を治して」
「言ったはずだ。それにはこちらの条件を受け入れることだよ」
「どうしてそこまで私に執着するの?」
「運命だからだよ。俺たちは出逢うべくして出逢ったんだ」
 自分の言葉こそがすべて正しいと疑っていない眼差し。
「それをあの鬼が後から出てきて邪魔をしたんだ。ずっと目を付けていたのは俺だ。俺の方が柚子に出逢ったのは早いのに」
 優生は苛立たしそうに爪を噛む。
「それが優生の考えなの?」
「そうだよ」
「本当に?」
「なに?」
「それは本当に優生の心の声? 本当にあなたは優生なの?」
「なにを言ってるんだ? おかしなことを言うんだね」
 柚子はじっと優生を見た。
 まるで真実を見通すかのような眼差しで。
「そんなことより、どうするかは決まったのか?」
 柚子は優生に背を向け、振り返った。
「ついてきて。別の所に移動して話したい」
 不思議そうにしながらも言われるままに柚子の後に付いてくる優生を伴い、公園の外に止めていた車に乗り込む。
「乗って」
「どこに行くんだ?」
「行ってみたら分かるわ」
 少しの逡巡の後、優生は車に乗り込んだ。
 車の中で優生が何度か話しかけてきたが、それらすべてを柚子は無視し無言を通した。
 優生も話さないことを悟り話しかけることを止めたため、車内は無言に包まれる。
 そして、着いたのは鬼龍院本家。
 もちろん優生はここがどこだか分かっていない。
「ここは?」
「こっちに来て」
 さすがに不審そうにしながらも優生は言われるままについてくる。
 柚子は緊張する心と体を悟らせないように必死で平静を装っていた。
 今そばには玲夜も龍も子鬼もいない。
 警戒されるのを避けるためだが、いつも一緒にいる面々がいないととたんに心細くなる。
 それでも、彼女の願いと自分の願いを叶えるために己を奮い立たせる。
 森を抜けると目に飛び込んでくる桜の木。
 満月の光が桜の木を照らし、ひらりひらりと舞う花びらが幻想的な空間を引き出していた。
 これには優生も素直に感嘆する。
「凄いな、ここ」
 そんな優生を置いて、柚子は小走りで桜の木へ向かった。
 そこには、柚子の最愛が待っている。
「玲夜」
 玲夜のそばには龍と子鬼、そして少し離れた所に千夜がいた。
 柚子は玲夜に一度ぎゅっと抱き付いてから振り返り、こちらへ歩いてくる優生を強く睨み付けた。
 優生もまた険しい顔をしている。
「柚子、これはどういうこと?」
「私はあなたのものにはならない。そうはっきり伝えるためよ。そして、透子を治してもらう」
「くっ、はははっ。どうやって? 俺の善意を期待しているなら無駄だよ。俺は柚子が手に入らないなら治さない。ならどうする? 殺すか?」
 その瞬間、ぶわっと優生から黒いもやが噴き出すように辺りに広がった。
 嫌な感じのするそれは、これまで以上の広がりを見せ、鳥肌が立つ。
「俺を止めることはできない。鬼でも、そこにいる霊獣だとしても」
「……そんなの分かってる。あなたのその力は祓う力でしか対抗できないって。それもとても強い祓う力を持っていないと」
「その通りだ。現代にはそれほどに強い祓う力を持つ者などいやしないさ」
「だから、ここに連れて来たの。あなたに会いたがっている人がいるここに」
 優生は意味が分からないという顔をしている。
「この桜の木の下にはね、初代の花嫁が眠っているの」
「サクが……」
 なぜ優生が初代花嫁の名を知っているのか、それを問う者はいなかった。
「サクさんは愛した人と引き離されて、龍の加護も引き剥がされ、ボロボロになってようやく帰ることができたけど、その命は長く保たなかった。それをしたのは、一龍斎の幼馴染みの男だった。サクさんは死の間際、のこしていく旦那さんのこと子供のことを心配して逝った。けれど、最後の最後に残ったのは、自分をそんな目に合わした男への深い怒りと憎しみ。そんな深い執着と執念は念となって想いだけがこの世へ留まった」
 柚子は桜を見上げる。
「この桜が年中咲くのは、サクさんの残した想いが昇華されていない証拠」
「いるのか、サクがそこに……」
 優生は手を震わせる。
「あなたもそうなのでしょう? サクさんの幼馴染みで、彼女を深く苦しめた元凶の男」
 優生の姿をした男は目を見開いた。
「生まれ変わりとかって言われても私は半信半疑だけど、彼女が教えてくれた。優生として生まれ変わったあなたは優生の中に眠っていたけれど、深い執着と怨念が表面に出て優生を押しのけて出てきてしまった」
 それが桜の木を通して残されたサクの思念が柚子に教えてきたことだ。
 まるで二重人格のように柚子のことで豹変していたのは、そもそも別の人格だったのである。
 なぜサクではなく柚子に執着していたのかまでは教えられなかったけれど。
「だったらどうだと言うんだ?」
「優生を元に戻して、あなたは再び眠りについて。そうするのなら許してあげる」
 そう言うと、優生は声を上げて笑った。