そして、柚子は透子の病室を訪れていた。
 相変わらず透子の目は覚めておらず、首と体には黒いもやが絡みついていた。
 東吉はあれから眠れていないのか、目の下にクマを作っており、元気もない。
「にゃん吉君、ちゃんと食べてる?」
「そんな気が起きない」
「ちゃんと食べておかないと透子が起きた時に怒られるよ。一度家に帰って身嗜みを整えてきたら?」
「いつどうなるか分からないのにそんなことしていられない」
「それなら大丈夫」
 透子にのみ向いていた視線が柚子に移る。
「どういう意味だ?」
「今夜、決着付けてくる。透子は絶対に大丈夫」
 確信めいた柚子の言葉に、東吉は目を見開く。
「透子は助かるのか?」
 柚子はこくりと頷く。
「だからにゃん吉君は、透子が起きた時に心配させないためにもちゃんと食べて寝ておかなきゃ。でないと透子が安心して起きられないよ」
 東吉はなにを思っただろう。
 確証のない言葉を信じられたのかは分からない。
 けれど、東吉は立ち上がった。
「……一度家に帰ってちゃんとしてくる」
 その声には先程にはない力強さがあった。
「うん」
 病室を出て行った東吉の背を優しい眼差しで見送ってから、透子に視線を向ける。
「透子、もうちょっとだから、あと少し我慢しててね」
 透子を見つめる目には強い意志が宿っていた。

 病院を後にした柚子の視線の先には黒塗りの車があり、そこで玲夜が待っていた。
「玲夜、お待たせ」
「もうよかったのか?」
「うん。私がいてもなにもできないし」
「そうか」
 玲夜は不意に柚子の頭に手を回し、引き寄せる。
 軽く触れた唇と唇に、柚子の顔はあっという間に紅くなった。
「なななにするの!? こんな外でっ」
「いや、最近色々とあって柚子との触れ合いが少なかったなと思ってな」
「別に今じゃなくても! だれかに見られたら……」
「見せつけておけ」
 傲岸不遜な玲夜の言葉に、柚子はパクパクと口を開けたり閉じたりさせる。
 けれど、確かにこんなやり取りは久しぶりのような気がする。
 実際はそんなことはないのだが、優生のこと、透子のことで頭がいっぱいで、随分と前のことに思える。
 そう思ったらとたんに玲夜が恋しく感じた。
 柚子は自分から玲夜の背に腕を回す。
「だれかに見られたくなかったんじゃないのか?」
 顔を見なくても玲夜が意地悪く口角を上げているだろうことが分かった。
 それでも、離れるにはならなかった。
「うん……。少しだけ」
 そう言うと、玲夜も腕を回し柚子をよりしっかりと抱きしめる。
 お互いの体温を感じるこの距離がとても愛おしい。
 彼女はこの温もりを手放さざるを得なかった。
 そう考えると、悲しく胸が痛くなり、今なお桜が狂い咲くその理由が分かる気がする。
 自分も同じようになったのならきっと彼女のように残すだろう。
 形を作るほどの強い想いを。
 時を越えてもなお現世に残り、あり続けるほどの強く痛いほどの憎しみを。
 それを知ったからこそ大切でしかたない。
 玲夜がそばにいること。
 玲夜の温もりを感じることのありがたさを。
 これからのことを考えると、不安がないと言ったら嘘になってしまう。
 本当に上手くいくか保証などなにもないのだ。
 けれど、玲夜も龍も千夜も柚子のことを信じてくれた。
 だから柚子も信じよう。
 どんな姿になってもなお待ち続けた彼女のことを。
 今夜すべてが終わる。
 月が満ちる満月の夜に。