透子が入院しているのは病院の中でも特別室と呼ばれる個室だ。
普通の個室よりも広く、まるでホテルの一室のよう。
簡易ベッドが運ばれており、きっと東吉が泊まり込みで看病するつもりなのだろう。
いかに東吉が透子を心配しているかが窺える。
「透子、柚子が来てくれたぞ」
まるで透子が起きているかのように話しかける東吉だが、透子の目はしっかりと閉じられていてなんの反応もない。
「透子、なにしてるんだよ。もう朝はとっくに過ぎたぞ。とっとと起きろよ……」
透子の手を両手で握り懇願する東吉は、見ていられないほどつらそうだ。
「透子……」
柚子も東吉がいるのとは反対側から透子の横に立つ。
瞼の閉じられた透子の寝顔を見た柚子は息をのんだ。
「な、なんでこれが透子にっ!」
柚子は透子に掛けられていた布団を剥ぎ取るように取り払った。
「おい、柚子!?」
東吉が驚いたように大きな声を上げるが、柚子はそれどころではない。
透子の首、胴体に、黒いもやが絡みついていたのだ。
「黒いもやが」
「もや? なに言ってんだ?」
「この間、護衛の人が急に意識を失ったでしょう?」
「あ、ああ」
「その時と同じ。黒いもやが透子のこことここに見える」
柚子は首と胴体を指差して説明するが、やはりというか東吉には見えていないようだ。
「俺には分かんねぇよ。つまりなんだ? 透子がこんなふうになってるのはそのもやが原因ってことか?」
「分かんない。分かんないけど、このもやが無関係なはずがない。前と同じでよくない感じがする。あなたにも見えてるよね?」
柚子は龍に問いかける。
『見えておる。確かにこれはこの前と同じものだ』
「じゃあ、そのもやをなんとかすればいいんだな? どうしたらいいんだ!?」
光明を見いだした東吉は身を乗り出して問う。
だが、その答えを柚子は知らない。
残酷な宣告を柚子の代わりに龍がしてくれた。
『できぬ』
「は? できぬってどういうことだよ?」
『これは強い負の力を持つ。これは祓う力を持った者にしか取り除くことができぬ。それもかなり強い祓う力を持った者でなくては』
「どこにいる?」
『おらぬ。初代花嫁ほどの神子の力を持った者など、今の時代ではそうそう見つかるものではない』
「だったら……透子はどうなるんだ?」
『このままでは衰弱して死にいたる』
柚子は悲鳴を押し殺すように口を押さえた。
東吉は絶望の色をその顔に宿す。
「な……死ぬ? 透子が?」
なんの冗談だ……と呆然と呟き、東吉は髪をくしゃりと握りしめた。
『柚子、そなたの旦那に連絡を入るのだ』
「えっ、玲夜に?」
『そうだ。祓う力を持つのはなにも神子だけではない。今、あやつが陰陽師を探しておるはずだ。運がよければすでにこれを祓えるだけの強い力を持った陰陽師を見つけておるかもしれん』
東吉は少しの期待を持った目を柚子に向ける。
「すぐに連絡してくる!」
病院の外に出た柚子は急ぎ玲夜に連絡を入れた。
玲夜はすぐに動いてくれ、その日のうちに陰陽師を数人連れてやって来た。
陰陽師だという数人の男女は、透子を見て息をのむ。
「これは……」
「これほど邪悪な気配は初めて感じるわ」
「マズいな」
一様に困惑した表情をする陰陽師たちに、柚子は不安になる。
その隣にいる玲夜と龍が話をしている。
『あれらが力のある陰陽師か?』
「急だったからな。協力を得られた中で特に霊力のある者を厳選してきた。どうだ?」
『あれらでは無理であろうな。力が足りぬ』
「そんなっ」
耳に入ってきた言葉は柚子を絶望させるものだった。
そして龍の予想通り……。
しばらく柚子には分からない呪文や儀式のようなものをしたいたが、もやが取り払われることはなく、逆に陰陽師たちの方が力尽きその場に膝をついてしまった。
息を切らし、額に汗を浮かばせる陰陽師たちを見て、彼らでは無理なのだと悟る。
『やはり難しかったようだな』
龍は険しい顔をし、玲夜は舌打ちした。
「これ以上となると時間がかかる。どれぐらい保つ?」
『長くは保たぬだろうな』
そんなふたりの会話は部屋にいる東吉にも聞こえていた。
柚子はなにも反応しない東吉を窺ってから、気を使うように問う。
「他になにかないの? 祓う以外のなにか方法は?」
『柚子、気持ちは分かるがそれは無理というものだ。あるいは、これを行った者が取り払うなら話は別だが……』
「これをしたのって優生のこと?」
『だが、言う通りには動かぬだろうよ。言葉で解決できるならそもそもこんなことせぬだろう』
確かにその通りだ。
柚子の脳裏に優生の言葉が蘇る。
『後悔するよ』
『そのために他のだれかが傷付いたとしても同じことが言えるのかな?』
あれはこういう意味だったのか。
柚子の中に激しい怒りが渦巻く。
そして、柚子は決めた。
「……私、優生に会ってくる」
それしか方法が見つからない。
しかし、当然というか、玲夜と龍は反対する。
「駄目だ」
『我も同じ意見だ。奴に自分から近付くなど危険すぎる。そもそも、それが奴の狙いなのだろうからな』
「けど、このままじゃ透子が死んじゃう! そんなの嫌よ!」
柚子は玲夜の前に立ち、じっとその目を合わせる。
「玲夜、行かせて」
柚子は並々ならぬ決意を目に宿して玲夜から視線をそらさない。
その意思は玲夜に伝わったのだろうか。
けれど、玲夜は柚子の真剣な眼差しを受け止め、少し迷ったように瞳が揺れたが、最後には頷いたのだった。
「俺も一緒に行くことが条件だ」
「分かった」
柚子もひとりで行くつもりなどはない。
玲夜ご一緒に来てくれるというならこれほど安心なことはなかった。
柚子は東吉の前に立つ。
その手はぎゅっと握りしめられており、爪が皮膚を傷付けていた。
柚子は東吉の握られた手をそっと外す。
「にゃん吉君、私行って来るから。絶対に透子は助ける」
「柚子……」
「だから、にゃん吉君は透子のそばにいてあげて」
東吉は一瞬泣きそうな表情を浮かべ、柚子の肩に額を押し付ける。
「頼む……」
胸が痛くなるほどの懇願を柚子は耳の奥に刻み込み、玲夜と共に優生の元へ向かった。