主役である高道と桜子にはほんの少し悪いと思いつつも、柚子至上主義の玲夜は後のことを千夜に任せて帰ってくると、一目散に柚子の部屋へ向かった。
 柚子の身にはなにもなかったことは護衛から聞いていたが、それでも無事な姿を見なければ安心ができない。
「柚子!」
 勢いよく柚子の部屋の扉を開けた玲夜は、次の瞬間自分めがけて飛んできた丸いクッションを受け止める。
 一瞬、柚子の顔が頭を過ったが、柚子が玲夜にこんなことをするはずがない。
 案の定、玲夜にクッションを投げてよこしたのは龍だ。
 龍はぎろりと玲夜を睨み付けている。
『騒ぐでない。やっと寝たところなのだ』
 声を潜める龍のそばでは、ベッドに眠る柚子の姿があった。
 無事な柚子の姿に安堵したこともあり、今度は静かに部屋の扉を閉めて柚子のそばに近付いた。
 そっと柚子の顔を覗き込む。
 よく寝ているようだ。
 その寝顔を見ることでようやく肩の力が抜けた気がした。
 そうしてから龍に視線を向ける。
「なにがあった?」
 静かに、柚子を起こさない声で問いただす。
 護衛から少し話は聞いているものの、全員が全員気を失っていたので詳しいことは分からないのだ。
「あーい」
 子鬼が玲夜の膝の上に乗り、玲夜はその子鬼の頭に手を置いた。
 それと共に流れてくる子鬼の情報。
 玲夜の作った使役獣だからこそ、玲夜は子鬼が見聞きしたものを共有することができる。
 しかし、そこで見たのははとこである優生の柚子への執着心しか分からない。
 時々会話される柚子と龍、そして優生の言葉で分からないことが多々あった。
 それは子鬼を通してだけでは理解できないことだった。
 玲夜はもう一度龍に問う。
「なにがあったんだ?」
『…………』
「父さんもあの優生という人間を警戒していた。俺とは違う理由でのようだ」
 玲夜は柚子に近付く害虫として警戒をしていたが、千夜は優生が人には過ぎたる力を持っていることを知っていた様子だった。
 いや、玲夜も少しは知っていた。
 同窓会での邂逅で、子鬼の攻撃をものともしなかったのを子鬼を通して知っていたのだから。
 けれど、今回のように多くの鬼が戦闘不能状態にさせられるとは欠片ほども予想だにしなかった。
 知っていたのは、目の前にいる龍だけのように感じた。
「お前はなにを、どこまで知っている?」
『…………』
 龍は答えない。
 それが玲夜をイラつかせた。
「答えろ!」
 龍は眠る柚子をじっと見つめた後、玲夜にその眼差しを向けた。
 どこまでも澄んだ真っ直ぐな目を。
『……あそこまでとは思わなかったのだ。柚子のように今は力が衰えておると考えていた。それならば我でもなんとかなるかと安易に考えておった。けれど、奴は力を歪めてしまったようだ。あやつの心そのもののように』
「言っている意味が分からない」
 玲夜は眉間に皺を寄せ、龍は力ない笑みを浮かべる。
『だろうな』
「優生というのはなに者だ?」
『そうだな。……あえて言うなら、前に進めぬ過去の残滓、と言ったところか』
「先程から俺には分からないことを言っている。もっと分かるように言え」
 決定的な言葉を口にしない龍に、玲夜のイライラは募る。
 しかし、玲夜の苛立ちを分かっていてもなお、龍は教えられぬと首を横に振った。
「っ! 柚子になにかあったらどうする!?」
『声を抑えろ。柚子が起きるではないか』
 歯噛みする玲夜を見て、龍はやれやれという笑みを浮かべる。
『若いな、お前はまだ。父親のようになるにはもう少し時間が必要か』
「それは今は関係のないことだ」
『そうとも言えぬ。いざという時に冷静さを欠ければ、それにより柚子が傷付くかもしれぬだろう』
「そんなことはさせない」
『口ではなんとでも言える。それを実行するにはお前では力不足だ。今回の件に関して言えば特にな』
「……いったいなにが起きているんだ? 教えてくれ」
 柚子の身に起こること。起きていること。
 それを知らぬままではいられない。
 玲夜にとっては代えがたい大事な花嫁なのだから。
『この件はお前の手におえない。いや、我でも難しい。ただの人が持つ霊力だったのならなんとかなったが、あそこまで変質してしまえば、サクほどの祓う力を持った者でなくては。それが今の世に存在するのか……』
「それほどに、優生という人間は危険というのか?」
『そうだ。下手に手を出そうとするでないぞ。そんなことをしてお前になにかあっては柚子が悲しむ』
「ならば俺はなにをしたらいい?」
『お前にできることなど……』
 言葉を終える前に龍ははっとする。
 そして少しの間考え込んだかと思うと先程とは違う諦めを感じさせない顔で玲夜を見上げた。
『お前、陰陽師に知り合いはおるか?』
「陰陽師だと?」
『そうだ。大昔と違い、今は陰陽師との仲は険悪ではなかろう。表面上は』
「ああ」
 龍の言うように、昔は敵味方の関係であったあやかしと陰陽師も、今の時代では共存している。
『陰陽師とて祓う力を持つ者だ。昔ほどの霊力を持つ者はおらぬだろうが、少しは役に立つやもしれぬ。あやつの力を祓うことができるやも』
 すると、まろとみるくまで同意するように鳴き声を上げた。
「アオーン」
「ニャーン」
 そして、三匹の目が玲夜を窺う。
「陰陽師を連れて来ればいいのか?」
『そうだ。雑魚ではないぞ。飛びっ切り力の強い陰陽師を探してくれ』
「分かった。すぐに手配する」
 今や敵対関係にないとはいえ、友好関係にあるというわけでもなかった。
 つかず離れずのそんな関係。
 そんな陰陽師の協力を得るのは簡単なことではない。
 それを分かっていたが、それが柚子のためになるというなら、玲夜が迷うことはない。
 必要ならば矜持だって捨てて頭を下げ縋り付いてみせる。
 玲夜はそれぐらいの意気込みで陰陽師に接触を図らんと動き出した。