五章

 玲夜は、高道と桜子の結婚披露宴に出席していた。
 高級ホテルの大広間を借りて行われた披露宴には政界経済界の大物が多数出席していた。
 鬼龍院の筆頭分家である鬼山と古くから当主の側近を努める荒鬼の結婚だ。
 付き合いも広く、呼ばねばならない者はかなりおり、これでも厳選した方なのだとか。
 きっと鬼龍院の当主である玲夜と柚子の結婚式はこれ以上の規模になるだろうと考え、玲夜はげんなりとした気持ちになってくる。
 柚子が本当の意味で花嫁となるのだけが救いだ。
 その柚子を妻にできるのならば、玲夜はどんな苦難にも立ち向かえるだろう。
 さらし者になるようで本当はとんでもなく嫌なのだけれど。
 しかし、柚子の結婚衣装姿を見られると考えると、一度でなく二度三度挙げてもいい気がしてくるから不思議である。
 そんなふうに柚子のことを考えていると、自然とポケットに入れていたスマホの確認をしてしまう。
 柚子は祖父母の家。
 護衛には鬼龍院でも指折りの者をつけた。
 祖父母の家には結界も張ってある。
 心配をする必要など欠片もないはずなのに、胸に渦巻く不安が消えない。
 ただの取り越し苦労ならばいいのだ。
 けれど……。
「玲夜君、顔、顔」
 向かいに座る千夜が眉間を指差す。
「そんなに眉間に皺を寄せてたら駄目だよぉ。お目出度い席なんだから」
「分かってます」
 千夜に指摘されて、少し表情を和らげた。
 しかし“少し”である。
「もう、また柚子ちゃんの心配でもしていたんでしょう」
「当然でしょう」
 恥ずかしげもなく平然と言ってのけるのが素晴らしいほどに潔い。
「んふふ~。柚子ちゃんにメロメロだねぇ、玲夜君は。だけど、だからこそ気を抜いたら駄目だよ。今は……」
 予想外に真剣な表情をした千夜に、玲夜は目を見張る。
「なにかあるんですか?」
「柚子ちゃんのはとこの話は聞いているね?」
「はい」
 いつも人をおちょくってるように笑顔な千夜が真面目な顔をしているため、玲夜も自然と顔を引き締める。
「気を付けるんだ。かなり危険な人物だから。人間と思って油断してはいけないよ」
「……父さんはなにを知ってるんですか?」
「ん~、玲夜君の知らないことかなぁ」
 千夜は急にいつものへらりとした笑みに変わる。
「父さん」
 とても父親に向けるものではない眼光を向ける玲夜。
「恐いよぉ、玲夜君~」
「だったらちゃんと話してください」
「それがぁ、話しちゃ駄目って言われてるんだよねぇ」
「だれにですか?」
「龍と猫ちゃんたちにかな?」
 玲夜はその組み合わせを不思議に思う。
 千夜が玲夜の屋敷に来ることはあるが、同窓会ではとこの存在が危険分子として認識されて以降、その三匹と千夜が揃うようなことがあっただろうかと。
 同窓会以後で千夜が屋敷に来たことはなかったはずだ。
 ならばどこで龍や猫と話をしたのか。
 それを聞いたところで、のらりくらりとかわされるのは目に見えていた。
 未だに、この父親には勝てる気がしないのだ。
 玲夜は聞くことを早々に諦めた。
 どっちにしろ屋敷に帰れば子鬼たちから聞き出すことも可能だろうと考えて。
 そして宴もたけなわとなった頃、マナーモードにしていた玲夜のスマホが震えた。 
 席を立ち上がり、広間の外に出た玲夜に電話をしてきたのは柚子に付けた護衛からだった。
「どうした?」
 護衛から話を聞いた玲夜は、すぐに駆け付けることを考えた。
 しかし、鬼龍院の次期当主として冷静になれと言う自分がいた。
 この腹心の分家同士の結婚という重要な披露宴最中、自分が抜け出すことはなにかがあったと周囲に教えているようなものだ。
 冷静になれと何度となく自分に言い聞かせる。
 これが一族だけのパーティーだったのならなにを置いても駆け出していたが、玲夜には責任がある。
 その責任が玲夜の足をその場に止めさせていた。
「くそっ」
 自分自身に悪態をついてから、護衛には帰るまでじゅうぶん用心しろと告げて電話を切った。
 そして、玲夜はなにごともなかったかのように元の席に戻った。
 しかし、取り繕った顔はすぐに千夜に見破られる。
「なにがあったんだい?」
「……柚子がはとこと接触しました」
「おかしいねぇ。はとこ君には監視を付けていたはずだろう?」
 優生の監視のための人員を補強したのは他でもない千夜だ。
 おかげで柚子の護衛をじゅうぶんに取ることができた。
 しかし、それも意味をなさなかったようだが。
「はとこと柚子が接触しそうになったのを察知して、すぐに柚子を移動させようとしたのですが、全員気を失っていたと」
 これにはさすがの千夜も驚いて目を丸くする。
「全員って柚子ちゃんにつけていた護衛全員?」
「はい」
「けっこうな数を動員していたよね?」
「ええ。父さんにやり過ぎだと言われる程度に。しかし、その全員が役に立たない状態になったようです。その結果、柚子とはとこが接触したと事後報告がありました」
 今にもテーブルを叩き割りそうな怒りを押し殺して平静を装う。
「さすがにそれは予想外だよぉ。鬼を戦闘不能にするなんて、あの子たちはそんなことまで言ってなかったんだけどなぁ。あっ、でも力が変質しているとも言ってたやような。そのせいかな?」
 うーんと腕を組んで唸る千夜に、玲夜が詰め寄る。
「あの子とは龍のことですか? 力の変質とはなんです? なにを知っているんですか!?」
 玲夜の知らないことを千夜は知っている。
 だれよりも柚子のことを知っていたい玲夜としては許されざる事態だ。
「駄目だって。その辺りのことは内緒なの。あっ、でも力のことはいいのか。そこは内緒って言われてないし」
 ひとり納得する千夜は玲夜に顔を近付け声を潜めた。
「そのはとこ君はかなりの霊力を持ってるらしいんだ」
「一龍斎の血を引いているからですか?」
「ちょっと違うけど、似たようなものかな。で、龍が言うには、その力はとても強い上に邪悪な感じに変質しちゃってるんだって。あの龍の力でも大変だって言ってたから、普通の鬼じゃ手に余るのかもね」
「しかし、人間でしょう?」
「そうだねぇ。けれど、霊獣であるあの龍を封じたのもまた人間だ」
「けれど、それはまだ人間が強い霊力を持っていた大昔の話で……」
「そんな人間が今の時代にいないとどうして言えるんだい?」
 玲夜は反論の言葉を失った。
「さっきも言ったようにくれぐれも気を付けるんだ。はとこ君はただの人間ではない。ひどく柚子ちゃんに執着している。このままだと初代の花嫁のようなことになりかねないよ」
 愛する夫から引き離された初代の花嫁。
 それにより寿命を縮めてしまった憐れな花嫁。
 そんな花嫁と同じようなことが柚子にも……。
 そう考えただけで血が煮えたぎるような怒りを感じる。
「ほらほら、玲夜君抑えて。ここはお目出度い宴の席だよ」
 ブチ切れ寸前の玲夜を、のんびりとした千夜の声が引き戻す。
「披露宴が終わったらすぐにお帰り。後のことは僕がなんとかしておくから」
「はい。ありがとうございます」
 披露宴が終わると、玲夜は素早く屋敷へと戻った。