ようやく祖父母の家に到着すると、東吉は逃げ出すように車から飛び出した。
 若干顔色が悪い。
「どうしたの、東吉? 車酔い?」
 透子には理由が分かっていないようだ。
 霊力を感じることのできない人間なので、東吉の怯えの理由が分からないのは仕方がない。
「むしろ、車酔いの方がよかった……」
 後部座席の扉を開けた運転手の鬼は、東吉の顔色の悪さの理由が分かっているようで苦笑している。
 だが、彼にはどうしようもできないことなので無言を通していた。
「それでは柚子様、お帰りの際はご連絡ください」
「はい。ありがとうございます」
 柚子たちを乗せてきた車は一旦そばを離れるようだ。
 黒塗りの高級車を一般家庭が並ぶ住宅街に置いておくのはかなり目立つ。
 そういうのを嫌う柚子のことを配慮してくれてのことだ。
 とは言え、玲夜がつけた護衛はそこら中に潜んでいるのだろう。
 まあ、近所に迷惑を掛けないのならそれで問題ない。
 柚子は喜び勇んで祖父母の家に入ろうとすると、手前で東吉が立ち止まる。
「なにしてるのよ。行くわよ、にゃん吉」
「分かってる。だがな、俺には心の準備というものが必要なんだ!」
「なにわけ分かんないこと言ってるのよ。さっさとしなさいよ」
 そう言って、透子は東吉の背中を押した。
「あっ、お前、バカッ。この強力な霊力が分かんないのか!?」
「分からん、分からん。なんせ人間だし」
 問答無用で強制的に敷地内に押し込んだ。
 どうやら玲夜の霊力の影響があるのは表面的なものだけのようで、中に入れば東吉はほっとしたように息を吐いていた。
「こんな強力な結界を別に張れるなんて、本当に鬼龍院様はとんでもないな」
 柚子と透子にはいまいち分からないことだ。
 龍だけは『これぐらいたいしたことなかろうに』などと言っている。
 玄関を開ければすぐに祖母がやって来た。
「いらっしゃい。柚子に透子ちゃんに東吉君」
「お邪魔します、おば様」
「こんにちは」
 透子と東吉がそれぞれ挨拶して、手土産を渡している。
「どうぞ。もう始まっているのよ」
 綺麗になった家の奥からは複数の人の賑やかな声が聞こえてきていた。
「あの人ったら朝から近所の男の人たちとお酒を飲んで、もうすでにベロベロよ。困ったものだわ」
 困ったと言いつつも、祖母のその顔はとても優しさに溢れていた。
 柚子が大好きな祖母の笑顔である。
「おばあちゃん、住み心地はどう?」
「ええ。それはもう最高よ。バリアフリーにもなって、廊下も広くなったし、とても歩きやすくなったわ。一番はキッチンが使いやすくなったことかしらね」
 どうやら喜んでくれているようで、少しでも祖父母孝行ができたのかもしれないと、柚子の方が嬉しくなった。
「ありがとう。あなたのおかげね」
 そう言って、宝くじを当ててくれた龍の頭を感謝と共に撫でる。
『むふふふ、そうだろうとも』
 褒められた龍は得意げだ。
「さあさあ、中に入って」
 祖母に促されて玄関を上がる。
 リビングに向かえば、顔を真っ赤にしてベロンベロンに酔ってご機嫌の祖父と、同じような状態になったご近所のお年寄りが大きな声で笑っている。
 テーブルの上にはカラになった酒瓶がいくつも転がっていた。
「うっ、くっさ」
 酒の匂いが充満している。
 柚子は一直線に窓に向かって空気の換気をした。
「おー、柚子。やっときたか」
 酒瓶を掲げて楽しそう笑う。
 そこには普段のような口数の少ない気難しさのある祖父の姿はなかった。
 そして、その存在を気付かれた柚子は年寄りの男たちに捕まった。
「柚子ちゃんじゃないか、別嬪になったなぁ」
「うちは男しかおらんから羨ましいなぁ」
「ほらほら柚子ちゃんこっちおいで~」
 逃げる間もなく捕獲された柚子は、酔っ払いのただ中に座らされ、ジョッキを渡される。
 そこに日本酒を注がれる。
「ささ、グイッと」
「いや、これビールジョッキで、日本酒を入れる大きさじゃないからっ」
「遠慮しなくていいんだぞぉ~」
 酔っ払いにはなにを言っても響かない。
 ジョッキになみなみと注がれた日本酒を前に途方に暮れる。
 二十歳となりお酒を嗜むようにもなった柚子だが、残念ながらあまりアルコールには強くない。
 こんな量のお酒を摂取したら一発KOされてしまう。
 どうしたものかと視線を巡らせれば、透子は巻き込まれまいと奥様方の輪の中に入っており、東吉もそこに。
 そして祖母はお客のもてなしをせんと動き回っている。
 だれも柚子を助けてくれる者がいない。
 ここは意を決して飲むべきかと、覚悟を決めた時、柚子の腕に巻き付いていた龍が移動して、器用に尾でジョッキを持ち上げ大きな口を開けて飲み始めた。
 ゴックンゴックンと一気飲みした龍に、柚子はポカンとする。
 そして飲み干した龍は陽気にしゃべり出す。
『うむ、美味ぃ。もっと我に酒を持ってくるのだぁ~!』
「おっ、いける口だねぇ」
「だったら次は芋焼酎だー」
 だれひとり龍の存在に疑問を抱いている者はいない。
 むしろ仲間が増えたとテンションが爆上がりしている。
 その隙を突いて柚子は酔っ払いの中から抜け出した。
「危なかった……」
 危うく酔い潰されるところである。
「あーい」
「あい」
 子鬼もほっとしたような顔をしている。
 さすがの子鬼も酔っ払いの相手は嫌だったようだ。
「ここは任せよう」
「あい」
「やー」
 ぎゃはははっと、うにょうにょ体をうねらせながらどんどん酒を消費していく龍に、酔っ払いたちは面白がってどんどん酒を注いでいく。
 そして、さらにそれを体に入れていく龍。
 いったいあの体のどこに吸収されていくのか甚だ疑問である。
 まあ、元の体はもっとずっと大きいので、問題はないのだろう。
 酔っ払いの相手は龍に任せることにした。