自分の部屋に戻った柚子は、ベッドの上に倒れ込む。
柔らかい枕をぎゅうぎゅうと抱き締めてから深い溜息を吐いた。
恐らく今日のことは護衛から玲夜の耳に入ることだろう。いや、もうすでに入っているかもしれない。
般若と化した玲夜の姿が目に浮かぶようだ。
きっと優生は鬼龍院のブラックリストに載ったに違いない。
だが、それでもなぜか安心できない自分がいることに柚子は不安が押し寄せてくる。
「あーい」
子鬼が心配そうに柚子を窺っている。
そんなふたりの子鬼の頭をそれぞれ撫でてやると、にぱっと笑った。
そのかわいい笑顔を見て柚子もわずかに表情をほころばせる。
「どうして子鬼ちゃんの力がきかなかったのかな?」
「あーい?」
子鬼にも分からないのか、こてんと首を傾げる。
「まさか陰陽師とか?」
『それはない』
柚子は答えた龍の方を見る。
「どうして違うって言えるの?」
『陰陽師とはただ霊力があるものではない。特別な修行を受けることで陰陽師になれるのだ。その力は洗練された、とても美しい力だ。あの男の力はそれではない』
そう言われても柚子には分からないが、龍からしたらそう感じるものなのだろう。
「じゃあ、あなたはあれがなにか知ってるの?」
『あれは……』
龍は言葉を詰まらせた。
「優生から出ていた暗いもやを子鬼ちゃんやあなたも見た?」
「あい?」
「あーい」
子鬼は分からなかったのか、お互いに顔を見合わせて首を横に振っている。
だが、龍は……。
『やはり柚子にも見えていたのか?』
「それって普通は見えないもの?」
『そうだな。普通の人間やあやかしには見えないものだ。前々から感じていたが、どうも我の加護を得たことで、以前より柚子の力が強くなっているな』
「それって神子の素質ってやつ?」
『うむ』
「結局、神子の素質ってなに?」
何度となく神子の素質があると言われたが、柚子はいまいちどんなものか分かっていなかった。
『人でありながら人ならざる力を持つ者。神の意を伝える者。人ならざる世界を見ることができる者。まあ、陰陽師と似たような存在だが、神子は陰陽師のように修行をして強くなれるものではない。元来持つ素質が重要になってくる』
「ふーん」
説明されても柚子はよく分からなかったようだ。
「あのもやが見えたのはその神子の素質のおかげってのは分かったけど、優生をなんとかできないの?」
『それは、難しいな。そもそも、柚子は神子の素質があるが見ることができるだけだ。血が薄まりすぎている。それに、神子の力は祓う力はあっても、実体を持つ者にはなにもできない』
「それじゃあ意味ないのに」
自分で優生をなんとかできればと柚子は思ったのだが、世の中そんなに甘くないようだ。
『そんな力があれば、そもそも最初の花嫁は一龍斎に捕らわれたりはしなかったであろうな』
「確かに」
『柚子はなにもせず護られておればいい。あれは我がなんとかする』
「できるの?」
『分からぬ。なにせあれは……』
龍の言葉を遮るように部屋の扉が開いた。
我が物顔で部屋に入ってきたのは玲夜である。
その顔が険しいのは、今日のことを聞いたからだろう。
柚子はベッドから身を起こすと、自分から玲夜に抱き付いた。
そして、玲夜の存在を確認するようにすりすりと頬を寄せる。
そんな柚子に玲夜は目を見張る。
「珍しいな。柚子がこんなふうに甘えてくるのは」
「駄目?」
「いや、駄目じゃない」
玲夜は柚子を抱き締めたまま隣に座り、膝の上に抱え直す。
いつの間にか、龍や子鬼の姿は消えていた。
「今日は大変だったようだな?」
「優生のことだよね?」
「元彼か?」
「違うよ。優生は私のはとこ」
「そうだったな。確かに別の名前だった」
もしやと思ってはいたが、やはり玲夜は柚子の元彼のことは調査済みだったようだ。
それはそうだろう。
玲夜が自分にとってそんな重要なことを調べていないはずがない。
最初同窓会に出席したいと言った時にすぐに賛成しなかったのはそんな理由があったからかもしれない。
まあ、山瀬の方は今日の同窓会で柚子に婚約者という存在がいることを知ったぐらいなので、元彼の存在を知った玲夜が山瀬に対してなにかをしたわけではないだろうが。
あるいは、今日の同窓会で未練でも見せれば話は違ったのかもしれないが、予想外の伏兵が現れてしまった。
「どういう奴だ?」
「ただのはとこ。学校では人気者でいつも人の輪の中にいるような好青年。……けど、私はなんだか苦手だった」
「珍しいな、柚子がなんの問題もなさそうな人間を苦手にするなんて」
「そうだよね。私もなんでか分かんない。透子も不思議がるぐらいだし。でも、昔からなんだか恐かったの。彼を目の前にすると体が強張っちゃって、早く逃げたいって思うの」
柚子はより一層玲夜にしがみ付いた。
玲夜はそれを受け入れ、柚子の髪を梳く。
「それでも、なにかをされたわけじゃないの。でも、今日は……」
今から思い出しても震えてきそうになる。
「いつからあんなふうに思われてたのか分からない。ずっとって言ってたけど、なんだか言葉がおかしかったし、私を見る目もなんだか知らない人みたいで」
そう、まるで別人と話しているような気さえした。
きっと祖父母に話しても信じてもらえないかもしれない。
それほど柚子の知る優生ではなかった。
まあ、柚子とて、知ってると言うほど優生のことを知っているわけではないのだが。
なにせ、散々避けてきた相手だ。