一章

『ぎゃあぁぁ! た~すけて~!』
 早朝の屋敷に響く雄叫び。
 寝起きの柚子はまたかと呆れつつ、身嗜みを整えてから部屋を出ると、黒猫のまろと茶色の猫のみるくに追い掛けられている龍が、柚子に助けを求めて飛んできた。
 柚子の腕に巻き付きほっとする龍に、柚子はやれやれといった様子で、龍を受け入れる。
 なおも、ランランとした目で龍の行方を見つめるまろとみるくの頭を撫でて、落ち着かせる。
 この三匹は同じ霊獣という存在で、あやかしよりも神に近い神聖な生き物なのだが、どうも彼らの日常を見ているとそんなすごい存在とは思えない。
 特に龍など、いつもまろとみるくの獲物となっており、日々追いかけ回されている。
 そこに霊獣などという崇高さは微塵もない。
 龍がこの家に来てしばらく経つ。
 以前は一龍斎という家に囚われ無理やり護らされていたが、まろとみるくの活躍でその呪縛から解き放たれた。
 そこからなぜか、今度は柚子を加護すると言ってこの屋敷に居座っているが、加護らしい力を感じたことはない。
 それは玲夜や他の使用人たちも同じで、まろとみるくの遊び相手程度にしか思われていないのが現状だ。
 一龍斎の一件では散々迷惑を被ったわけだが、今となってはその時の龍と同じなのかと疑問を覚えるほどである。
 柚子の二の腕に巻き付いてブルブル怯える龍を連れて、朝食を食べる広間に行く。
 広間に入れば、二人分の座卓が用意されており、すでに玲夜が座っていた。
 その側には、玲夜が柚子のために作った使役獣である黒髪と白髪の子鬼がふたりいる。
 ふたりはトコトコと歩いてくると、柚子と一緒に入ってきたりまろとみるくの頭をそれぞれ撫でて挨拶をしている。
「あーい」
「あい」
「アオーン」
「ニャン」
 なんとも微笑ましい光景だ。
 思わず笑顔が溢れるが、龍はまだ怯えている。
『童子どもよ、ちゃんと躾をしておくのだ。こやつら我をおもちゃにしよる』
「あーい」
「あいあい」
 子鬼は身振り手振りで龍になにかを言っている。
『むっ。我も悪いと言うのか?』
「あいあい」
 こくこくと頷く子鬼に、龍が憤慨する。
『我はなにもしておらぬぞ!』
「あーいあいあい」
『うにょうにょするのが悪いだと? 我とて好きでうにょっておるのではないぞ。これは仕方のないことなのだ。人やあやかしとて息をするであろう? それと一緒なのだ』
「あーい」
 何気に会話が成立しているのがすごい。
 柚子には子鬼たちがなにを言っているか分からないのだが、龍には分かるようだ。
 柚子が突っ立っている内に、湯気の立った朝食が運ばれてきたので自分の席に座る。
「いただきます」
 箸を持って食べ始めた柚子を確認してから玲夜も食べ始めた。
「柚子、今日の予定は?」
 玲夜から問われ、いったん箸を置いてお茶を一口飲む。
「透子の家に課題をしに行くことになってるよ」
 今日は平日だが祝日なので大学は休みだ。
 それで友人の透子の家へ行くことにしていた。
 家にいても、玲夜は仕事と聞いていたので屋敷にいないだろうと考えていたから。
 しかし、玲夜は柚子の予定を聞いて少し残念そうな顔をして「そうか」と口にした。
「玲夜はお仕事でしょう?」
「いや。仕事が片付いたから、今日は休みになった。たまには柚子とデートでもしようかと思っていたんだがな」
「えっ!?」
 それを聞いて、柚子は激しく動揺する。
 玲夜は鬼龍院グループという大きな会社の社長であり、はっきり言って忙しい。
 休日となると毎週決まって取れるとは限らず、取れたとしても急な仕事が入ったりする。
 なので、玲夜と仕事のことを気にせず出掛けられるのは本当に貴重なのだ。
「と、透子に別の日に変更してもらえるか聞いてみる!」
 食事の途中で立ち上がり、部屋に走ってスマホを手にすると透子に電話をかけた。
 電話に出た透子に事情を説明すると……。
『柚子、あんたはいつから友情を蔑ろにするような子になったのよ』
「ごめん~。けど、お願いします!」
 友情より男を取ったと言われようとも、譲れないものはあるのだ。
『もう、しょうがないわねぇ。若様の邪魔したら後が怖いから今回は譲るわ。その代わり次に家に来る時は、なにか手土産持ってきてよ』
 不満を言いつつも怒ることなく、仕方なさそうな声で透子は納得してくれる。
「うん、分かった! 透子の好きなスイーツたくさん持っていく。ありがとう、透子~」
『はいはい。若様によろしくね』
 そうして電話を切った柚子は、食事の席に戻る。
 どうやら玲夜は食事を止め柚子が戻ってくるのを待っていてくれたようで、食事は冷めてしまっていた。
「ごめん、玲夜。食べてくれててよかったのに」
「柚子がいなければ味気ないからな。気にするな。それで、どうなった?」
「うん、別の日にしてくれた。玲夜によろしくって」
「そうか」
 ふっと優しく笑みを浮かべる玲夜に、柚子も嬉しくなる。
 玲夜が非常に機嫌がいいことが分かる。
「なら、早く食事を終わらせて出掛ける準備をしよう」
「はーい」
 柚子は大急ぎでご飯を口に放り込んだ。