柚子は恐る恐る聞いてみることにした。
 なにかの間違いであってほしいという願望があったのかもしれない。
「ねぇ、優生。昔、山瀬君に私と別れるように言ったの?」
「なんのこと?」
 優生はなんのことか分からないという表情を浮かべた。
 その表情があまりに自然で信じそうになったが、山瀬の言葉を聞いた後では、そのままに優生の言葉を鵜呑みにすることはできない。
「山瀬君に暴力振るったの? なんでそんなことしたの?」
「俺が? 暴力?」
 あくまで知らぬ存ぜぬを貫こうとする優生に、山瀬が怒りを表す。
「したじゃないか、僕に! 柚子と別れろ、別れなければどうなっても知らないぞって」
 優生は大袈裟なほどに溜息を吐いた。
「なにを言ってるんだ、俺がそんなことするわけないじゃないか。あぁ、きっと大事なはとこが誰かと付き合ったことに寂しく感じてたから、それを勘違いしたんじゃないかな?」
「違う! 勘違いなんかじゃない」
 やった、やってないの押し問答だ。
 きっと、証人らしい者もいないのだろう。
「柚子。柚子はどっちを信じるの? もちろん血の繋がった俺だよね?」
 優生からはそんなことをしでかした雰囲気はない。けれど、柚子は昔から優生を苦手としていたのだ。
 どちらを信じるかと問われたら……。
「私は……山瀬君が嘘を言っているようには思えない」
「ふーん。柚子は山瀬を信じるんだ?」
「うん。優生、どうしてそんなことしたの? 私が誰と付き合おうと優生には関係ないでしょう?」
「関係ない?」
「そうよ、ただの親戚じゃない。そこまで仲がいいわけでも親戚付き合いがあるわけでもなかったでしょう?」
 急に優生をまとう空気がガラリと変わった。
 震えそうになるほどに恐ろしく、息が詰まるような威圧感。
 肩に乗っていた子鬼が目つきを鋭くし、柚子を護ろうと警戒する。
「関係なくなんてないよ。柚子は昔から俺のなんだ。それなのに横から出てきて俺の柚子と付き合うなんて。身の程を教えてやっただけさ」
「なにを言ってるの……?」
 これが優生の本性か。
 明るく人望があり、分け隔てなく笑顔で接する優生の。
「なに言ってるのよ。私は優生のじゃないわ」
「俺のだよ。ずっと昔から。そう、ずっとずっと、遠い昔から君は俺のものだ」
 そう言う優生からは狂気すら感じる。
 恐い……。
 今まで感じたことのない鳥肌が立つような恐れを湧き上がってくる。
「お前まじおかしいよ。別にさ、今さら昔のことを掘り返してどうこうするつもりはないけど、柚子には婚約者がいるんだし、そっとしておいてあげなよ」
 山瀬は顔を強張らせながらも柚子を後ろに下がらせる。
「黙れ」
 いつも笑顔を浮かべている印象しかない優生は無表情で静かな声を発した。
 全ての感情をそぎ落としたかのような無。
「忌々しい鬼。また俺から柚子を奪おうとする。柚子も柚子だ。俺がいながら今回も鬼を選ぶというのか?」
「なんのことを言ってるの? またって?」
 まるで前回があるかのような言い方をする優生に、柚子は戸惑うばかり。
「そんなことが許されるはずがない!」
 優生が山瀬を腕で振り払い山瀬は地面に倒された。
「山瀬君!? 優生、なんてことするの!」
「また他の男のことを気にして。まだこいつが好きなのか?」
「そういう問題じゃないでしょう?」
「じゃあ、なに? 俺と柚子の邪魔をするやつのことなんて気にしなくていいのに」
 優生が近付いてくる。
 じりじりと後ずさる柚子に、優生が手を伸ばしてきたが、柚子はそれを叩き落とした。
「やめて、近付かないで!」
 今の優生はこれまで以上に危険だと柚子の中に警鐘が鳴る。
 優生は少しの間、柚子に叩かれた手に目を落としていたが、スッと顔を上げる。
 まるで深淵を見つめるような、底のない深い闇が広がっているような暗い瞳。
「ゆう、せい……?」
 これは本当に優生かと疑いを持ってしまうほどに別人に見えた。
 そして……。
 ゆらりと黒いもやのようなものが優生から発せられた。
「な、なに、あれ?」
 その問いに答える者はいない。
 ただ、あれはとても危険なものだと柚子の勘が告げていた。
 あれに捕らわれてはいけないと。
「あーい」
「あーい!」
 子鬼も危険を感じたのか、柚子の服を引っ張る。
 そのことでようやく我に返ると、地に根を張ったように立ち尽くしていた足を動かした。
「待て!」
「あーい!」
 追いかけてくる優生に向けて、子鬼が青い炎を投げつけた。
 それは一瞬の足止めにはなったものの、ほんの一瞬でしかなく、優生は子鬼の炎をひと払いで消し去ってしまった。
「あい!?」
 これには子鬼もだが、柚子も驚いた。
 なにせ子鬼はそこらのあやかし程度なら返り討ちにするぐらいには強く作られた使役獣なのである。
 そんな子鬼の攻撃を一瞬でないものにしてしまった。
「どうして?」
 優生には子鬼に対抗するほどの霊力を持っているということなのか。
 だが、これまでそんなことを感じたことはないし、聞いたこともない。
 ますます優生のことが分からなくなる。
 けれど、優生に捕まるのは危険だということだけは分かる。
 なので、柚子は同窓会が行われているカフェから急いで離れた。
 心の中で透子に謝りながら。
 角を曲がると、黒塗りの高級車が止まっており、柚子も見知った鬼龍院の護衛が柚子を呼び込んでいる。
「柚子様、こちらに」
 柚子は開けられた後部座席に飛び乗った。
「あの青年はこちらで処理しますか?」
 窓の外に優生の姿が見える。
 さすがに車に乗り込んだ柚子を追ってくることはないようだが、恨めしそうに睨み付けている。
 護衛は優生の後始末をどうするか柚子に問いかけてきたが、鬼の処理がどういうことを意味するのか分からない柚子は否定しようとしたが、その前に龍が声を発した。
『駄目だ、あれに手を出すな!』
 龍が怒鳴るように止める。
「こう言ってるので、なにもしなくていいです」
「かしこまりました。お屋敷へ戻ります」
「はい。お願いします」
 同窓会を途中退席することになってしまったが、あの場に戻りたいとは到底思わなかった。
 すると、龍が手のひらを温めるように絡みつく。
『大丈夫か? 震えておるではないか』
 そう言われて、柚子は自分の手が小刻みに震えていることに気付く。
 子鬼たちも気が付いて、そっと柚子の手をその小さな手で撫でてくれる。
「あいあい」
「あいい」
「大丈夫。なんともないから、心配しないで」
 優生の姿が見えなくなったことでやっと人心地つけた気がする。