宴もたけなわとなった頃、ツンツンと柚子の袖が引っ張られる。
 誰かと見れば、それは龍であった。
 ずっと姿が見えなかった龍は、千夜に連れられ一族の面々に挨拶回りをしていたようだ。
 以前は一龍斎を加護していた霊獣。
 けれど今は柚子を加護していることをこの一族がそろったこの場で知らしめるためだ。
 それにより、柚子を花嫁として迎えることに不満を持っていた者たちへ牽制になる。
 どうやらそれも終わり帰ってきたようだ。
『ふぅ、疲れたぞ』
「お疲れ様」
 労うように背を撫でてやると、龍は柚子の手首に尾を巻き付けた。
『宴はもう終わりか?』
「うん。そろそろ終わりそう」
『ならば願いがあるのだが、聞いてくれぬか?』
「お願い?」

 宴が終わった後、柚子は龍を連れて本家の裏の森の奥にある桜の木に来ていた。
 もちろん、玲夜と子鬼たちも一緒である。
 どの桜の木より大きいその木は、とてつもない存在感を発してそこにあった。
 年中咲き誇る桜の木からは風に吹かれる度に花びらがヒラヒラと舞う。
 遙か昔からここにあるという桜の木。
 ここに行きたいというのが龍の願いだった。
 木のそばまで来ると、柚子の肩に乗っていた龍は離れ、本来の大きな龍の姿へと変わった。
 そしてゆっくりと桜の木に身を寄せるように寄り添った。
 なぜ龍がこの桜の木に来たがったのか分からない。
 龍はとても悲しそうな眼差しで花びらの舞う桜をじっと見つめていて、今はとても声をかけられるような雰囲気ではなかった。
 柚子は玲夜を見上げる。
 視線の合った玲夜は首を横に振った。
 玲夜もなにも分からないようだ。
 なにが龍をそんなにも悲しませるのか。
『サク……』
 今にも泣き出してしまいそうな声。
 けれど、龍の目から涙が溢れることはなく、代わりにこらえるようにぐっと目を閉じた。
 柚子たちはただ見守っていることしかできないまま、しばらくの沈黙の後ゆっくりと目を開けた。
 そして、ようやく他の者の存在を思い出したように、柚子たちを振り返った。
『柚子、お前もこっちに来てくれぬか?』
「うん……」
 ひとり歩き出そうとした柚子の手を玲夜が掴み手を引かれる。
 すぐ隣に立った柚子に、龍は優しく目を細める。
『この桜の木の下に、我が加護を与えていた最初の花嫁がいる』
「どういうこと?」
『最初の花嫁は、名をサクと言った。とても優しい心を持った子だったのだ。サクを花嫁に選んだ鬼もサクを心から愛していた。……それなのにっ』
 龍の目が剣呑に光る。 
 龍の怒りに呼び起こされるようにビリビリとしたものを肌に感じて、ぶわりと毛穴が開く。
 目に見えない圧のようなものを感じて、思わず柚子は玲夜の袖を掴む。
 そんな柚子を玲夜は後ろから抱き締めて、龍を睨み付けた。
「抑えろ。柚子が怯えている」
 すると、波が引くように息もできないような圧が消えていった。
『すまなかった。少し怒りで我を失った』
 謝る龍に対して、柚子は大丈夫だと首を横に振った。
『……一龍斎に連れ戻された後、にサクを待っていたのは地獄のような日々だ。愛する者から引き離され、我から強制的に加護を引き剥がされた。それはサクの体にとてつもない負担を強いるもので、サクの体はボロボロになってしまったのだ。鬼が助けに来た時には手遅れで、我はなんとかサクを一龍斎から逃がすのが精いっぱいだった。我がもっとしっかりしておれば……』
 龍は悔いているのだと分かった。今もなお。
 そんな龍を柚子は静かに抱き締めることしかできなかった。
『サクは生前この桜の木がとても好きだったのだ。それ故、サクは今もなお、この桜と共に眠っている』
「眠ってるって?」
『サクの夫である鬼は、サクの遺体をこの桜の木の下に埋めたのだよ。だからサクのいるここに我は来たかった。念願が叶ったよ』
 その言葉に玲夜が反応する。
「待て、そんな話聞いたことはない」
『さあ、なぜ知らないのかは我も分からない。サクの夫があえて知らせなかったのか、代を重ねる中で途絶えてしまったのかもしれぬ』
 玲夜は言葉もなく、なにかを考えるように黙った。
「じゃあ、最初の花嫁のサクさんは今はもうゆっくり眠れているのね。よかった」
『よかったのか我には分からぬ。ただ、もともとは普通の桜の木だったこれが、不思議な力を持ち枯れることなく咲き続けるのは、まるでサクの無念が今もなおここに残っているように思えてならない』
 龍は桜の木にそっと触れ話しかける。
『サク、お前はまだ恨んでいるか? あの男を。憎きあの男を……。我は憎い。未だあの時のことを思い出すだけで、あの男を八つ裂きにしたい気持ちが湧き出してくる。きっと、猫たちも同じ思いだろうよ。あやつらはお前によく懐いていたからな』
 額を木にくっつけて、龍は静かに目を瞑る。
 そして、目を開けるとゆっくりと木から離れた。
『ありがとう、柚子』
「もういいの?」
『ああ。また連れて来てくれるか?』
 柚子は玲夜の顔を窺ってから、こくりと頷いた。
「うん。また来ようね」
 聞きたいことはたくさんあった。
 けれど、今はとても聞けそうになかった。
 あまりにも龍が悲しそうで、寂しそうで、そして溢れんばかりの怒りを感じたから。
 玲夜もきっと気になっているだろうが、龍になにかを問うことはなかった。
 そして、家路につくと、まろとみるくが出迎えてくれ、早速龍にちょっかいをかけ始めた。
『ぎゃあぁぁぁ!』
 猫たちに追いかけられて叫びながら逃げていく龍を見て、いつも通りの龍に戻ったようで、柚子は密かにほっとしたのだった。