「入って構わないか?」
 部屋の外から玲夜の声が聞こえてきた。
「どうぞ」
 返事をすると、玲夜が静かに入ってきた。
 濃い藍色の羽織袴で現れた玲夜は、柚子の姿を見ると足を止めじっくりと観察するように目を細めた。
 柔らかな表情を浮かべる玲夜は満足そうにしている。
「綺麗だ」
 そう言って距離を縮めて柚子の頬にそっと触れるようなキスをする。
 躊躇いもなく、柚子には過剰な賛辞を口にするのはいつものこと。
 さすがに柚子も笑って流せるようになってきた。
 日々、経験値は上がっているのである。
「そろそろ行けるか?」
「うん。準備万端。忘れ物はないと思う」
「なら出発だ」
 柚子は部屋の隅で寝っ転がっているまろとみるくの頭を撫でる。
「行ってくるから、喧嘩しないで大人しくしててね」
「アオーン」
「ニャーン」
 二匹は返事をするように鳴き声を上げた。
 そして、鏡の前にいる龍を強制的に引き剥がし、子鬼を肩に乗せて、玲夜が差し出した手を取った。
 そのまま屋敷を出て車で向かったのは鬼龍院の本家である。
 その広大な敷地の中には、鬼龍院の分家などの家もあり、桜子や高道の実家も本家の敷地内にある。
 ふたりの結婚式は、そんな本家の敷地内の中心にある建物で行われる。
 昔ながらの古い和風建築は、鬼の一族が結婚式などの行事に使われる大事な建物のようだ。
「結婚式ってことだから、どこかの高級ホテルとか結婚式場とかでするんだと思ってた」
「披露宴はそうなるだろう。鬼龍院の筆頭分家である鬼山家に当主に仕えてきた荒鬼家の結婚だ。あやかし関係、仕事関係で数えても付き合いで呼ばなければならない人数はかなりになる。ホテルの一番大きな広間を借りて行う予定だ」
 聞いているだけでもかなり大がかりな披露宴になりそうなことを感じる。
 それと共に、自分たちの結婚式はそれ以上の規模になるのだろうと察してしまう。
 なにせ、玲夜は鬼龍院の次期当主。
 あやかしのトップに立つ男性だ。
 付き合いはそれはもう広いはず。恐らく柚子の想像以上に。
 そう思うと足が震えそうである。
 だが、今はまず桜子と高道の結婚式が先だ。
「じゃあ、ここでするのは挙式だけ?」
「ああ。昔ながらの結婚の誓いをした後に、一族で宴を催す。披露宴は外向きのための、今日は一族のための式だな。招かれている者も皆鬼の一族だけだから肩肘張らずにいつも通りでいたらいい」
「その披露宴にも出席するの?」
「俺はな。だが、柚子は留守番だ」
「えぇ!?」
 それは初耳である。
「行きたかったのか?」
「当然! だって披露宴ってことは桜子さんは挙式とは違う衣装を着るんでしょう? 前にドレスを着たいって言ってたから、きっとドレス着るはず。ドレス姿の桜子さんを見たかったのに」
 ショックである。
 結婚式と聞いていたので、てっきり挙式と披露宴を一緒にすると思っていたのだが、まさか別々の日に分けるとは思っていなかった。
 こんなことならもっと詳しくスケジュールを聞いておけばよかったと、今さらになって後悔する。
「玲夜、私は披露宴に行っちゃ駄目なの?」
「ああ」
「どうして?」
「披露宴の方には仕事関係の人間も来る。中には一龍斎と関わりのある者もな。そんなところに柚子を連れていくのは止めた方がいいと、父さんとも相談してそう決めた」
「一龍斎……」
「一龍斎の血族は呼んではいないが、警戒するに越したことはない。最初の花嫁のことを柚子も龍から聞いていただろう? 最初の花嫁のように一龍斎が狙ってくる可能性は潰しておきたい」
 鬼の花嫁となった最初の花嫁。
 彼女は龍の加護を持っていたが、それ故に鬼の嫁になった後、連れ戻されて一族の者と結婚を強要された上に龍の加護を奪われた。
 彼女が夫である鬼の元に帰ることができた時にはその命は儚くなる寸前だった。
 今は一龍斎から龍を解放して、柚子を加護しているが、そんな最初の花嫁のような目に柚子が合うことを玲夜は危惧している。
 柚子もそれを聞いてしまっては我が儘を言う気にはなれず、引かざるをえない。
 だが、分かっていてもがっくりときてしまうのは仕方がない。
 柚子は大きな溜息を吐いた。
「はぁ……。せっかくカメラも買ったのに」
 憎しや、一龍斎……。
 落ち込む柚子を慰めるように頭を優しくポンポンと叩く。
「代わりに父さんがプロのカメラマンを準備しているから、それを見せてもらうといい」
「前にも言ってたね。残念だけど、それで我慢する」
 本当は玲夜にカメラを渡してたくさん撮ってきてもらいたかったが、そんな性格ではないことは柚子もよく分かっているので頼みはしなかった。
 気落ちしつつ、式が行われる建物の中に入った。