「そうね。製塩所って、すごく簡素なのね」
 ひとつひとつの工房を見て回る。巨大な竈が設えられた房室、薪の保管庫、完成した塩を袋詰めにする房室。
 不審な点は見られず、闇塩につながるような証拠はなさそうだ。
 結蘭は雑多な道具の保管庫を覗き、無造作に積まれている彫刻刀をふと手に取る。
 製塩は、火を焚いた竈で湖水を蒸発させ、結晶化した塩から不純物を取りのぞくという作業だ。大量生産するには手間が掛かるが、複雑な工程はない。
「これ……なにに使うのかしら?」
 先が丸いものや平たいものなど様々な形の彫刻刀が、箱に放り込んである。
 結蘭の手元を覗いた黒狼は、双眸を細めた。
「刃が毀れている。相当、使い込んでいるな」
 そのとき、一匹の羽虫が、ふわりと結蘭の肩に降り立つ。
『それは人形を彫るための刀ですよ』
「え。人形?」
「うん? どうした。……虫か」
 羽虫は舞い、導くように奥へと移動した。
『毎日人がきて、奥で人形を作っているんです。ほら、あそこで』
 羽虫は袋小路の壁で止まる。結蘭は後を追ったが、行き止まりなのでなにもない。
「どこかしら?」
 壁に手をつくと、ぐらりと身体が揺れた。壁に見立てた扉はくるりと回転して、房室が現れる。
「ここは……! 隠された房室か」
 驚きの声をあげた黒狼はあとに続いた。
 とても広い工房だが、窓がない。出入口は隠し扉ひとつしかないようだ。
 秘密の房室には仏像の大群が鎮座していた。羽虫の言う人形とは、仏像のことらしい。
「こんなにたくさん、すごいわね。でも、どうして隠しておくのかしら」
 辺りには甘い匂いが立ち込めていた。陶器に入れられた液体が、作りかけの仏像の傍に置いてある。製作に使用する薬剤らしい。
 仏像の正面に立ち、面立ちを眺める。
 朝陽が木窓から射し込み、釈迦像をきらきらと輝かせた。
「塩だわ! この仏像、塩で出来てる」
 まさか、ここにある仏像すべてがそうなのか。人の大きさほどのものが数百体はある。
 結蘭の脳裏に、突如黒狼の肩を蹴り上げ、よじ登った記憶がよみがえった。
 先ほどの塀を越えたときではない。もっと前に同じことがあった。これと同じ仏像を、そのときに見た……。
 あれは確か――。
 怒号と白刃がぶつかる衝撃音に、はっとして身をひるがえす。
 襲い掛かる刃を、黒狼は咄嗟に抜刀した双手剣で受け止めていた。
「曲者! なにをしている」
 一旦引いた劉青は八双に構えると、ふたたび倭刀で斬り込む。
 体勢を整えた黒狼は斬撃を悠々と凌いだ。
 朝靄の残る房に、火花が飛び散る。
 面識があるにもかかわらず、彼にとって結蘭たちは秘密を知った曲者でしかないらしい。本気で黒狼に挑みかかっている。
「おまえは、やはりあのときの……」
 黒狼は確信をもってつぶやいた。
 鉄壁の防御を崩そうと、劉青は倭刀を高く掲げる。上衣から覗いた手首に、一筋の刀傷が垣間見えた。
「よしなさい。劉青の敵う相手ではないよ」
 まるで散歩のついでとでもいうような風体で、夏太守は扉から顔を出した。
 殺気染みた工房に呑気な空気が差し込み、気勢を削がれた双方は剣を控える。
「夏太守、お久しぶりです。無断で忍び込み、申し訳ございません」
 挨拶した結蘭に、軽やかな笑い声が降ってくる。
 夏太守は愛しそうに、傍にある仏像を撫でた。
「見てしまったね。この仏像はね、私が作ったんですよ。この上薬を塗ると、雨水くらいでは溶けないのさ。屋敷の壁で試したのを見たでしょう」
「……仏像にすれば、人目をごまかせるというわけね。それを永寧殿の庫房へ隠したんだわ」
 李昭儀の庫房で見た仏像は、これだったのだ。
 光が当たらなければ石と見分けがつかない。
「あれは、お買い上げいただいたんですよ。それをどうしようとお客様の自由だ。あのときは、すまなかったね。お怪我はありませんでしたか」
「夏太守もいたのね……!」
 悪びれもせず、夏太守はにこりと笑んだ。