顔の色艶もよくなった詠帝は朗らかに笑んだ。
 始めに侍医より、毒についての見解が説明される。
「附子の生薬に間違いございません。修治はなされておらず、大変毒性の強い状態です。極めて微量だったこと、すぐに吐き出したことが症状が軽度で済んだ要因にございます」
 鳥兜の塊根である附子は、漢方薬として一般的に用いられる。毒性を薄めるために薬師が修治と称される加熱処理を行うが、その調整には専門的知識が必要だ。
 修治を怠った附子を侍医の指示もなく、御膳房で勝手に混ぜることは考えられない。何者かが意図的に毒を入れたことは疑いようがなかった。
「大膳をここへ」
 低頭して下がる侍医に代わり、衛士に連行されて御膳房の大膳が皇帝の前に引き出された。
 両手を縛られた状態の大膳は恐怖に震え、床に額を擦りつける。
「わたくしではございません! どうして陛下を害するようなことをしましょうか」
 もし下手人と認められれば、死刑は免れない。必死に無実を訴える大膳は当時の状況について問い質され、話し出した。
 詠帝が毎日食後に飲む龍井茶は、御膳房の責任者である大膳が直接淹れている。その日もいつも通りに湯を沸かし、同じ茶器を使用したとのことだ。
 廷尉が、詠帝と王尚書令の顔色をうかがいながら話す。
「厨子より毒物の所持は確認されませんでした。御膳房からも見つかっておりません」
 王尚書令は鷹揚に頷く。
「それはそうであろう。証拠をそこらに置いておくわけがない」
「毒の反応が見られたのは、陛下の愛用しておられる青白磁茶碗のみです。茶具から毒物は検出されておりません」
 ということは、茶を淹れてから附子が混入したことになる。茶碗に触れたのは大膳と詠帝のみ。皆の注目を集めるなか、大膳は身を乗り出した。
「そういえば、茶を淹れた後に康舎人に呼ばれて少々席を外しました」
 玉座の傍らに立つ康舎人は眉をひそめた。
 だが彼は思い出したように頷くと、詠帝に向き直る。
「あのときは、祝賀の食材に関する相談をしたのでした。しかし、ほんのわずかのことでございますし、私は茶のことを存じませんでしたゆえ」
 廊下に出た大膳と康舎人が話している間、御膳房は無人だったことになる。
 皆の疑惑の眼差しが、ふたりを交互に舐めた。
 結蘭は、ふと首をかしげる。
 先ほどから審理を進めているのは王尚書令だということが気になった。
 刑罰は廷尉の管轄なので、機密文書を司る尚書令が本来携わる案件ではない。
 だが、皇帝の叔父である王尚書令に異を唱えられる者はいない。いるとすれば、同等の地位に立つ呂丞相くらいである。
 ひと通りの証言を聴き終え、王尚書令は得心したように一同を見渡した。
「こたびの件は、私の指示した調査のもと、すでに事実は明白になっている。陛下を害した下手人は、このなかにおります」
 ざわめきが殿を巡る。瞠目した詠帝は声高に訊ねた。
「このなかにだと? 誰なのだ、下手人は」
「それは……」
 掲げられた人差し指が、居並ぶ者たちの顔をなぞる。
 皆は、ごくりと息を呑んだ。
「あの者です」
 指先は、ぴたりと結蘭の上で止まった。
「え……?」
「下手人を捕らえよ!」
 駆けつけた衛士が、結蘭の後ろに控える黒狼を捕縛する。
 皇帝の面前に引きずられた黒狼は剣を奪われ、無理やり土下座させられた。
 いったい、なにが起こったのか。
 驚いた結蘭は声をあげる。
「お待ち下さい、王尚書令! どういうことです」
「蟲公主。貴女は、黒狼校尉の正体を知った上で近侍に取り立てたのですかな?」
「正体? どういう意味ですか」
 そもそも下手人とは誰のことなのか。自分が指されたと思った結蘭は、それすらも理解できなかった。
 王尚書令は詠帝に向き直り、慇懃に拱手した。
「陛下に申し上げます。この男は、北蜀の次期皇帝になるはずだった長子、趙瑛でございます」
 一瞬、結蘭の息が止まる。
 ――嘘。なにを言っているの?
 黒狼とは、ずっと一緒に育った。亡国の皇子だなんて、そんなことあるわけがない。
 唇を震わせる結蘭の耳に、周りの喧騒が遠く鳴る。
 詠帝は疑念を含んだ眼差しで黒狼を見やる。