「私は結蘭よ。どの虫とも話せるの。今から? 宴に行くのよ。そう? じゃあ一緒に行く?」
 黒狼は会話が終わるのを無言で待っている。
 やがて、袖口に蜘蛛をのせた結蘭が振り返った。
「この子も一緒に行きたいって。連れて行くわ」
「見えない位置に隠せ。妃嬪に見つかったら悲鳴を上げられるぞ」
 蜘蛛は糸を垂らし、袖から垂れ下がった。



「結蘭公主さま、おなりにございます」
 豪華絢爛に彩られた園林に、結蘭は感嘆の息をこぼした。
 深紅の毛氈が敷かれ、紫檀の卓には獣肉や蒸篭に盛られた点心がずらりと並べられている。雅楽師が演奏する琵琶や笙の雅な音色が流れるなかを、艶やかな装いをした妃嬪たちのさざめきが重なる。
「ごきげんよう、結蘭公主。こなたは李昭儀(りしょうぎ)。よろしくね」
 挨拶に赴いた結蘭に、李昭儀は嫣然と微笑んだ。
 肉感的な身体を真紅の衣で包み、高髷には黄金の歩揺がいくつも挿されている。
 頭が重くないのかと思うが、着飾ることは妃嬪としての嗜みなのだろう。
「お招きいただき、ありがとうございます。素晴らしい宴ですね」
 紅を引いた唇を扇で隠した李昭儀は、鼻で嗤う。洗練された隙のない挙措なので、不思議と嫌味がない。
「田舎暮らしだから珍しいでしょう。どうぞ、お酒とお喋りを楽しんでちょうだい」
 九嬪の筆頭である昭儀は正二品で、皇后の次の次くらいに偉い。
 と、結蘭なりに宮廷での序列を学んだ。
 妃嬪は永久職位ではない。功績を上げた者は昇格することも充分ありえる。例えば、皇帝の寵愛を受けること、子を産むこと。機会に恵まれさえすれば、下級女官でも庶子でも寵姫になれるのだ。
 歴代の妃嬪のなかには庶子から皇后まで登りつめた者さえ存在する。親しそうに会話しながらも、にらみを利かせる妃嬪たちの張りつめた空気が伝わるようで、結蘭は居心地悪く隅っこへ腰を落ち着けた。
 ひとりの妃嬪が、輪の中心にいる李昭儀に話しかける。
「皇后さまは、いらっしゃらないのね。私は皇后さまのお顔を一度も拝見したことがないわ。そんなに人前に出られないお顔なのかしら」
 妃嬪たちの上品な笑いがこぼれる。
 いない人の悪口を言うのもどうかと思うが、そういえば結蘭も皇后には会ったことがない。
 虫入りの月餅を頂戴したのは記憶に新しいが、朱里は皇后付きの女官に文句を言ってやったら受け流されたと憤慨していた。
 李昭儀は面白くもなさそうに、扇を優雅に煽がせる。
「病で床に伏せっているそうね。病弱なら子はできないだろうから問題ないわ」
「では李昭儀に子ができれば、その子が次期皇帝ね。男子ならということだけれど。陛下は永寧宮においでになって?」
 なんだか嫌味たっぷりの言い方だ。
 女の戦いは怖いなぁ、と思いながら、結蘭は点心にかぶりついた。
 きりりと描いた李昭儀の黛が跳ね上がる。
「司馬才人は正五品でしょう。間違って子ができても、きっと公主ね。虫と話せるだなんて言い出すのじゃなくて?」
「ぐふっ」
 突然自分のほうに話を振られて、結蘭はむせてしまった。
 皆の視線が一斉に集まるなか、慌てて茶を飲み下す。
「い、いえ、あの、私はですね、虫と話せるというのは嘘ではなくて……」
 顔から火が吹き出るほど恥ずかしい。
 こんなにたくさんの人と接するなんて経験がないので、どう対応してよいのかわからない。
 妃嬪たちは慌てる結蘭が面白いのか、くすくすと笑い出した。
 李昭儀は紅を引いた唇に形ばかりの笑みをのせて、声高に問いかけた。
「結蘭公主は奏州でお暮らしになっていたのよね? あちらの地方で流行している芸などはあるのかしら。できたら、こなたたちにお手本を見せてくださらない?」
 芸を披露してくれと言われても困る。琵琶でも弾ければ場に馴染めるのだろうけれど。ああ、練習しておけばよかった。
「また李昭儀の、おねだりが始まったわ」
 妃嬪たちは侮蔑と、ほんの少しの期待を込めて結蘭を見つめている。
 なにかやらなければ恥をかいてしまう。結蘭はうつむきながら視線をさまよわせた。
 すい、と袖下に隠れていた蜘蛛が姿を見せる。
『お困りのようですね、結蘭公主。私が、蜘蛛の巣を編む早業をお見せしましょう』
「え、ほんと? いいの?」
 蜘蛛の巣はそれは美しい芸術品だ。作成する様子を披露するのは芸といえるだろう。
 結蘭は快く蜘蛛の申し出を受け入れ、妃嬪たちの前に蜘蛛を掲げて見せた。