もう五分も、里美と鈴子は二人っきりでしゃべり続けている。茉奈は退屈そうに爪の手入れをしていて、わたしはぼうっと二人の話を聞いていた。
「毎回毎回家デートだと、なんか嫌になるよねー。もう、やる事ひとつしかないっつーの!」
「うちもそう。でもそれは嫌だ、たまには公園をお散歩したりとか、それだけでいいって言ったら、近くの公園ぐるっと散歩して、芝生で二人で昼寝したけど」
「鈴子の彼氏は聴き分けいいねぇ。うちなんて、公園でも人気のないところに連れてかれるよ。公園でヤッてみたい、とか言われてー!」
「えーマジ? 野外プレイー!?」
「ちょっと里美、声でかいよっ」
怒りながら楽しそうに笑う鈴子。まるでここは女子校か、と言わんばかりにこういう話を二人は昼休みの教室であけすけにする。まぁ、廊下では男子がキャッチボールをしてはしゃいでいるし、男女混合グループの方がテンション高いから、誰もわたしたちのことなんて気にしてないんだけど。
「花音と茉奈もさぁ、早く彼氏作んなよ。男がいるって、いいもんだよ」
自分の名前をいきなり呼ばれて、びっくりする。わたしはぼうっとしながら、今日はシンバから小人の話をもっと聞きたいな、なんて思っていた。最近いつも、暇さえあればシンバのことばかり考えている。
「えぇっと……いや、あの、その。わたしにはまだ、そういうの早いっていうか……」
「何言ってんのー、早くないよ? あたしなんて初彼、幼稚園の年少さんだったんだからねー!」
「あたしは小五!」
「それ、何度も聞いたよー」
二人に合わせて笑っていると、茉奈につんつん、肩を叩かれる。
「花音さ、トイレ行かない?」
「うん」
「いってらー!」
トイレに行くまでのうるさい昼休みの廊下で、茉奈は一言もしゃべらなかった。疲れた様子で短いトイレを済ますと、その割には手を丁寧に洗いながらようやく口を開く。
「里美も鈴子も、毎日彼氏の話ばっか。正直疲れた」
「そう……」
「テンション高くてウザ過ぎ」
人の悪口を聞くと、心にペパーミントの香りの風が吹く。とってもいい匂いなのに、ちょっと切ない。
茉奈はわたしと二人きりの時は時々こういう悪口を言うので、その度に悪い事をしている気分になってしまう。
「彼氏なんて、別にいなくてもいいじゃん! 高校生になっても彼氏ができなくて、何が悪いのよ!」
「そう……だよね」
「同盟、作ろう! 花音とあたしは、彼氏いない同盟!」
廊下にも聞こえるような大きな声だったけど、茉奈がちょっと元気になった気がして嬉しかった。
「わかった。わたしも高校生の間は、彼氏作らない」
「セックスもしない?」
「うん。しない」
「やっぱ花音は、話がよくわかるよね」
茉奈はにんまりと笑った。
どうして女の子のグループって、四人グループでも二対二でごちゃごちゃしちゃうんだろう。小学校の時も中学校の時も、ずっとそうだった。
「花音と話したらすっきりしたー! 教室戻ろ!」
茉奈は明るい顔で、教室に戻っていく。わたしはその左側を、黙って歩く。
昼休みはまもなく終わって、午後の授業がやってきた。大好きな古文の授業なのに、全然集中できなかった。
学校は楽しいけれど、時々しんどいことも起こる場所だ。
帰りのバスの中で、男の子がおばあちゃんに席を譲っていた。
優先席に座っている人が寝ていたから、その前の席に座っていた男の子が立った。いいものを見たな、という気分になった。こういうことがあると、バス通学もそんなに悪いものじゃない。
「ただいま」
家に帰ると、入浴介助が終わったおばあちゃんが窓辺で日向ぼっこをしていた。おばあちゃんはこの場所が大好きだ。まるで猫みたい。
「ただいま、シンバ」
部屋に入ると机の上でシンバが漫画を読んでいた。クラスメイトが次から次へとメールで秘密を暴露されていく漫画だ。怖いのは苦手なんだけど、この漫画だけは面白くて、何度も読んでいる。
「この本、めっちゃ面白いな。花音が読んでる漫画はどれもありえない展開の恋愛漫画ばっかりだけど、これはありえない設定なのに面白い」
「犯人、誰だと思う?」
「今推理してるところ。でも俺は、この友だちが怪しいと思うんだよな」
と、真犯人とは違う女の子を指差す。違うんだけど、ネタバレしたら可哀相だから黙っておいた。
「花音はこれから出かけるのか?」
「ううん、宿題やる」
「花音って真面目だよな、毎日勉強して」
「わからないところがあると、わかるところまで知りたくなるの」
「だから成績、良いんだな」
「まぁ、クラスの中の上らへんだけどね。わたし、馬鹿だから」
「中の上は、馬鹿じゃないだろ」
シンバはちょっと難しい言い回しや人間の恋愛事情にも詳しい。シンバによると小人の世界では、十二歳から『借り』を始める。その前はお父さんやお母さんから、人間のことをいろいろ学ぶんだそうだ。小人の世界には、代々伝わる歴史の教科書や人間の世界の教科書、数学の教科書まであるらしい。
「今日もいつものやつ、ある?」
「あるよ。学校の近所のコンビニで買ってきた」
「よっしゃあ」
ガッツポーズをするシンバが可愛くて、思わず口元がにやけてしまう。シンバの大袈裟な仕草が、最近可愛らしくて仕方ない。一人っ子なのにいきなり、弟が出来たみたいな気分だ。
「麦茶持ってくるね」
「オッケー」
階段を下りる足音が軽い。台所で、鼻歌を唄いながら麦茶を飲む。aikoの「桜の時」。
「花音、何かいいことがあったのかい?」
おばあちゃんが日向ぼっこしながらのんびりと聞く。
「学校でいいことがあったんだ」
さすがに、シンバのことはおばあちゃんにも言えない。そういう決まりなんだから。
「そうかい。学校が楽しいのは、いいことだねぇ」
「なんでいいことがあるってわかったの?」
「花音は子どもの頃から、いいことがあると鼻歌を唄うんだよ」
おばあちゃんは、なんでも知ってるなぁ。敵わないなぁ。そんなことを思いつつ、グラスとおちょこを運ぶ。
「うちのおばあちゃん、離れて暮らしても家が近所だから、保育園の頃は毎日迎えに来てくれたんだ。その時は腰も曲がってなくて、元気いっぱいで歳より若く見えたのに」
麦茶を飲みながら、シンバに愚痴る。
「おじいちゃんが亡くなっても、元気だったの。毎日自転車で、二キロかけて買い物に行けるくらい。このへん山道なのに、上り坂も押して歩かないんだよ。でも、脳出血になってからいっぺんに老け込んじゃった」
「怖いんだな、脳出血って」
「脳梗塞よりはマシだけどね。しかも、繰り返すらしいし……」
シンバがちょこん、とわたしの腕に飛び乗った。そのままてくてく肩まで移動して、髪を撫で始める。
「花音の髪は、すべすべできれいだな。いい匂いがする」
「そう?」
「髪を大切にする人は、心のきれいな人だって母さんが言ってた。花音は心がきれいだから、おばあちゃんもきっとまた良くなるよ」
「……ありがとう」
じわり、目の奥が熱くなって涙をこらえる。シンバはいつもは弟みたいなのに、時々お兄さんみたいに、優しくて強い。
冬の海みたいだった心に春の風が吹いた頃、シンバは机の上に戻った。小人の身体には大きなおちょこで、ごくごく麦茶を飲み、ぷはぁー、と元気に息を吐いた。
「毎回毎回家デートだと、なんか嫌になるよねー。もう、やる事ひとつしかないっつーの!」
「うちもそう。でもそれは嫌だ、たまには公園をお散歩したりとか、それだけでいいって言ったら、近くの公園ぐるっと散歩して、芝生で二人で昼寝したけど」
「鈴子の彼氏は聴き分けいいねぇ。うちなんて、公園でも人気のないところに連れてかれるよ。公園でヤッてみたい、とか言われてー!」
「えーマジ? 野外プレイー!?」
「ちょっと里美、声でかいよっ」
怒りながら楽しそうに笑う鈴子。まるでここは女子校か、と言わんばかりにこういう話を二人は昼休みの教室であけすけにする。まぁ、廊下では男子がキャッチボールをしてはしゃいでいるし、男女混合グループの方がテンション高いから、誰もわたしたちのことなんて気にしてないんだけど。
「花音と茉奈もさぁ、早く彼氏作んなよ。男がいるって、いいもんだよ」
自分の名前をいきなり呼ばれて、びっくりする。わたしはぼうっとしながら、今日はシンバから小人の話をもっと聞きたいな、なんて思っていた。最近いつも、暇さえあればシンバのことばかり考えている。
「えぇっと……いや、あの、その。わたしにはまだ、そういうの早いっていうか……」
「何言ってんのー、早くないよ? あたしなんて初彼、幼稚園の年少さんだったんだからねー!」
「あたしは小五!」
「それ、何度も聞いたよー」
二人に合わせて笑っていると、茉奈につんつん、肩を叩かれる。
「花音さ、トイレ行かない?」
「うん」
「いってらー!」
トイレに行くまでのうるさい昼休みの廊下で、茉奈は一言もしゃべらなかった。疲れた様子で短いトイレを済ますと、その割には手を丁寧に洗いながらようやく口を開く。
「里美も鈴子も、毎日彼氏の話ばっか。正直疲れた」
「そう……」
「テンション高くてウザ過ぎ」
人の悪口を聞くと、心にペパーミントの香りの風が吹く。とってもいい匂いなのに、ちょっと切ない。
茉奈はわたしと二人きりの時は時々こういう悪口を言うので、その度に悪い事をしている気分になってしまう。
「彼氏なんて、別にいなくてもいいじゃん! 高校生になっても彼氏ができなくて、何が悪いのよ!」
「そう……だよね」
「同盟、作ろう! 花音とあたしは、彼氏いない同盟!」
廊下にも聞こえるような大きな声だったけど、茉奈がちょっと元気になった気がして嬉しかった。
「わかった。わたしも高校生の間は、彼氏作らない」
「セックスもしない?」
「うん。しない」
「やっぱ花音は、話がよくわかるよね」
茉奈はにんまりと笑った。
どうして女の子のグループって、四人グループでも二対二でごちゃごちゃしちゃうんだろう。小学校の時も中学校の時も、ずっとそうだった。
「花音と話したらすっきりしたー! 教室戻ろ!」
茉奈は明るい顔で、教室に戻っていく。わたしはその左側を、黙って歩く。
昼休みはまもなく終わって、午後の授業がやってきた。大好きな古文の授業なのに、全然集中できなかった。
学校は楽しいけれど、時々しんどいことも起こる場所だ。
帰りのバスの中で、男の子がおばあちゃんに席を譲っていた。
優先席に座っている人が寝ていたから、その前の席に座っていた男の子が立った。いいものを見たな、という気分になった。こういうことがあると、バス通学もそんなに悪いものじゃない。
「ただいま」
家に帰ると、入浴介助が終わったおばあちゃんが窓辺で日向ぼっこをしていた。おばあちゃんはこの場所が大好きだ。まるで猫みたい。
「ただいま、シンバ」
部屋に入ると机の上でシンバが漫画を読んでいた。クラスメイトが次から次へとメールで秘密を暴露されていく漫画だ。怖いのは苦手なんだけど、この漫画だけは面白くて、何度も読んでいる。
「この本、めっちゃ面白いな。花音が読んでる漫画はどれもありえない展開の恋愛漫画ばっかりだけど、これはありえない設定なのに面白い」
「犯人、誰だと思う?」
「今推理してるところ。でも俺は、この友だちが怪しいと思うんだよな」
と、真犯人とは違う女の子を指差す。違うんだけど、ネタバレしたら可哀相だから黙っておいた。
「花音はこれから出かけるのか?」
「ううん、宿題やる」
「花音って真面目だよな、毎日勉強して」
「わからないところがあると、わかるところまで知りたくなるの」
「だから成績、良いんだな」
「まぁ、クラスの中の上らへんだけどね。わたし、馬鹿だから」
「中の上は、馬鹿じゃないだろ」
シンバはちょっと難しい言い回しや人間の恋愛事情にも詳しい。シンバによると小人の世界では、十二歳から『借り』を始める。その前はお父さんやお母さんから、人間のことをいろいろ学ぶんだそうだ。小人の世界には、代々伝わる歴史の教科書や人間の世界の教科書、数学の教科書まであるらしい。
「今日もいつものやつ、ある?」
「あるよ。学校の近所のコンビニで買ってきた」
「よっしゃあ」
ガッツポーズをするシンバが可愛くて、思わず口元がにやけてしまう。シンバの大袈裟な仕草が、最近可愛らしくて仕方ない。一人っ子なのにいきなり、弟が出来たみたいな気分だ。
「麦茶持ってくるね」
「オッケー」
階段を下りる足音が軽い。台所で、鼻歌を唄いながら麦茶を飲む。aikoの「桜の時」。
「花音、何かいいことがあったのかい?」
おばあちゃんが日向ぼっこしながらのんびりと聞く。
「学校でいいことがあったんだ」
さすがに、シンバのことはおばあちゃんにも言えない。そういう決まりなんだから。
「そうかい。学校が楽しいのは、いいことだねぇ」
「なんでいいことがあるってわかったの?」
「花音は子どもの頃から、いいことがあると鼻歌を唄うんだよ」
おばあちゃんは、なんでも知ってるなぁ。敵わないなぁ。そんなことを思いつつ、グラスとおちょこを運ぶ。
「うちのおばあちゃん、離れて暮らしても家が近所だから、保育園の頃は毎日迎えに来てくれたんだ。その時は腰も曲がってなくて、元気いっぱいで歳より若く見えたのに」
麦茶を飲みながら、シンバに愚痴る。
「おじいちゃんが亡くなっても、元気だったの。毎日自転車で、二キロかけて買い物に行けるくらい。このへん山道なのに、上り坂も押して歩かないんだよ。でも、脳出血になってからいっぺんに老け込んじゃった」
「怖いんだな、脳出血って」
「脳梗塞よりはマシだけどね。しかも、繰り返すらしいし……」
シンバがちょこん、とわたしの腕に飛び乗った。そのままてくてく肩まで移動して、髪を撫で始める。
「花音の髪は、すべすべできれいだな。いい匂いがする」
「そう?」
「髪を大切にする人は、心のきれいな人だって母さんが言ってた。花音は心がきれいだから、おばあちゃんもきっとまた良くなるよ」
「……ありがとう」
じわり、目の奥が熱くなって涙をこらえる。シンバはいつもは弟みたいなのに、時々お兄さんみたいに、優しくて強い。
冬の海みたいだった心に春の風が吹いた頃、シンバは机の上に戻った。小人の身体には大きなおちょこで、ごくごく麦茶を飲み、ぷはぁー、と元気に息を吐いた。