15センチの恋人

おばあちゃんのいない日常が流れていく。お父さんとお母さんは表面上はいつもどおりにしているけれど、夜はわたしに聞かれないように今後のことをいろいろ話し合っているのがわかる。

大人の問題は、高校生のわたしには口出しできることじゃない。シンバとゆっくり話をする気分にもなれなくて、夕食後はすぐにお風呂を済ませて部屋に入り、宿題を済ませて寝てしまうだけの日々が続いた。


 金曜日の夜、夕食が終わってお母さんとテーブルの片付けをしていると、お父さんがわざとらしい笑いを浮かべて言った。


「花音、今ちょっと、大丈夫かな」


 わたしはリビングの、いつもの定位置に座る。お母さんが、お父さんの隣に座る。さりげなく置かれた緑茶の湯飲みから、白い湯気が上がっていた。


「おばあちゃんのことなんだが」

「うん」

「施設に入ってもらおうと思うんだ」


 目をしばたたかせていると、お母さんが前のめりになって言う。


「お医者さんからね、はっきり言われたの。これ以上回復の見込みはない、寝たきりの生活になるって」

「……」

「この家でおばあちゃんの介護をするには、お母さんが仕事を辞めないといけない。お父さんのお給料だけで生活していくのは、大変なの。花音の大学の費用だって貯められないんだから」


 すらすらよどみなく出てくるお母さんの口調が何かの言い訳みたいに聞こえて、それは違う、と言いたくなった。でもそれはわたしが、子どもだからだ。

大人が仕事を辞めて、親の介護をして、家のこともして。それはすごく大変なことなのに、だから二人で話し合って決めたのに、それをわたしがそんなの違う、と言ってしまうのはただのわがままじゃないのか。

 それぐらいわかっていたから、呆けた顔で、小さく頷いた。


「幸い、おばあちゃんの年金に少しだけプラスすれば入れるいい施設が見つかりそうだから、おばあちゃんの心配は花音はしなくて大丈夫よ。また引っ越すことになるのは大変だけどね」

「え!?」


 大きな声が出た。お父さんとお母さんが、びっくりした顔でわたしを見る。


「引っ越しって……なんで!? この家まで、引き払っちゃうの!?」

「だって、花音やお父さんやお母さんのことを考えたら、こんな辺鄙な山奥から学校や会社に行くの、大変でしょう。もちろん、お母さんだってこの家には愛着があるわよ。せっかく越してきたばかりなのに、手放すのが惜しい気持ちもある。大丈夫よ。固定資産税だけ払って、取っておくから」

「そういう問題じゃないっ!!」


 思わず叫んでいると、二人の目が丸くなる。はぁはぁ、息が切れていた。

 シンバと離れる――その大きな事実に、自分でも信じられないほど衝撃を受けていた。


「この家、おばあちゃんの家なのに! せっかく、暮らしやすいようにあちこち手すりまでつけたのに! 夏休みの最後に、みんなで大変な思いをしてやっと引っ越して……それで、いらなくなったらポイ? そんなの、家が可哀相!」


 言えない。本当のことは、言えない。
 小人のことは、誰にも言っちゃいけない決まりなんだから。


「花音の気持ちはわかるけどな」


 お父さんが言った。とても悲しい言い方だった。


「おばあちゃんのことを考えたら、これがいちばんいいんだ。ここを施設に入れる時のおばあちゃんの住所にして、回復したらいつでも戻ってこれる。

お母さんも花音が大学に入れば、仕事を減らして介護に手を回す余裕もできるかもしれないし。まぁ、この不景気だから、ちょっとわからないけれど。お父さんとお母さんの事情もわかってくれないかな、花音」

 そんなのおかしい。
 おかしいよ。

 反抗期真っ盛りの中学生みたいな言葉を、無理やり飲み込んだ。