15センチの恋人

 昼休み、二人で中庭でお弁当を広げながら、茉奈としゃべる。バイトのシフトを減らし、その分家庭教師に来てもらっているという茉奈の髪は、トレンドマークのツインテールをばっさり切って、さっぱりしたショートボブになっていた。医学部を目指す、高校生のうちは勉強に集中する、と決めているから、そうしたのかもしれない。


「脳出血って繰り返しやすいんだってさ……茉奈、そういうのわかる?」

「うーん、うちは医学部志望っていってもまだ高校生だし、専門的なことは全然わからないよ。ただ、親戚で、脳梗塞でまだ三十代だったのに杖つく生活になっちゃった人がいたんだよね。あれは大変だった。脳とか神経とか、そっちの病気って、怖いよね」


 味のしないおにぎりを齧りながら、茉奈の言葉に首を縦に振る。わたしたちはまだ若いからわからないけれど、命を脅かす大病って歳をとれば誰もが無関係じゃいられなくなるもの。脳出血や脳梗塞の他にも、世の中には癌や心臓病など、おそろしい病気が数多くある。


「そういうの、ぜーんぶ治してあげられるお医者さんになりたいなって思うけど、実際は難しいんだろうな。大きな病気だと、治療方針で揉めることもあるしね。

医療ミスって言葉でひとくくりじゃできないけれど、病院がもっとちゃんとした治療をしていたら……って考えると助かった人って、世の中にたくさんいると思うんだよね」

「時々医療系のドラマ観るから、茉奈の言うこと、ちょっとわかる気がする」

「でしょ? だから、花音のところも、とにかくお医者さんとちゃんと話すことが大切だと思うよ。花音が直接話すのは子どもだからって相手にされないかもしれないけど、お父さんとお母さんと、三人で、ちゃんと治療方針を話し合って、後悔しないようにして」

「……ありがとう」

 小さな声で頷くと、茉奈はにっと唇の端を持ち上げて、ぽんぽん、とわたしの頭の上を二回叩いてくれた。
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 いつもと違う方向のバスに乗ると、当たり前のようにいつもと違う景色が流れていく。今日は秋にしては寒い日で、ほとんどの人が厚着をしていた。

黒いスカジャン。グレーのパーカー。カーキのトレンチコート。病院につく前に、雨が降り出した。陰鬱な灰色に覆われた空から生み出される雨が、くすんだ世界を滲ませる。

 おばあちゃんが入院している病院は、市内でいちばん大きい大学病院だ。おばあちゃんの部屋は、七階の個室。廊下でネームプレートを確認してから、そっと部屋に入る。


「おばあちゃん、来たよ」


 ベッドの上で窓の外をぼんやりと見ていたおばあちゃんが、こっちを見た。そしてにっこり、左半分が麻痺した唇で笑った。


「おやまぁ、きれいなお嬢さんねぇ」


 胸の中にきれいに積み上げられた色とりどりの煉瓦ががたがたと崩れていく。

 小さい時、あやとりを教えてくれたおばあちゃん。小学校の時、学校で好きな男の子の話をこっそり打ち明けたおばあちゃん。つい最近まで、背筋をぴんと伸ばして、自転車で毎日買い物へ行っていたおばあちゃん。

 お母さんから、おばあちゃんの脳には既に認知の兆候があるとは聞かされていた。

 だからこういうことだって、覚悟しなきゃいけなかったのに。


「どこの高校だい? 可愛い制服だねぇ。どこから来たのかねぇ?」


 優しい声を聞いていられなくて、わたしは逃げるように病室から飛び出していた。