バスターミナルからバスに乗って振動に身を任せている間、ずっと心ここにあらずだった。スマホを見ると茉奈から「今日のデートどうだった?」と何件かメッセージが来ていたけれど、それに返信する気力もない。
家に近づくに連れて、山は色づいていく。紅葉の真紅の葉っぱに目を細めるほど、今のわたしにエネルギーは残っていなかった。
雲の上を歩くような足取りで家を目指し、心ここにあらずといった調子で、とぼとぼと階段を上った。二階の自室に引きこもるように入って、机の前に座った途端、涙がぽろぽろと込み上げてくる。
ずっと我慢していた涙が、今になって溢れ出してきた。
「シンバ、そこにいるんでしょう……?」
震える声で、そう言った。
「今もわたしのこと、見てるんでしょう……?」
涙で掠れた声が、嗚咽に変わる。
「だったら、出てきてよ! 友だちなら、こういう時慰めてよ! わたしには、親友はシンバしかいないんだよ!!」
最後は、叫んでた。こんなことになってわたしが頼りたくなるのは茉奈みたいな女の子の友だちじゃなくて、シンバなんだ。
シンバのあけすけにものを言う性格が、こういう時にありがたい。
机の前で、あとからあとから零れてくる涙をティッシュで拭っていると、シンバの気配がした。とんとんとん、と近づいてくる、軽やかな小人の足音。
シンバはひょいっとわたしの肩に乗り、髪を撫でてくれた。
「何が、あったんだ?」
「キス、されそうになった……」
「それで、花音は?」
「逃げ……ちゃった」
「そっか」
泣いているわたしの髪を撫でるシンバの手つきは、小指の爪の先ほど小さいのにすごく優しい。わたし、忘れてた。
シンバがぶっきらぼうで時々グサッとくることを言う子だけど、本当は誰よりもわたしのことを思ってくれてるってこと。
「もうそいつとは会わないのか?」
「会わないって。あれからラインも来てない。ブロックしていいよって言われちゃった」
「良かったじゃねぇか。そいつは潔く身を引いたんだよ」
「よくなんかない! わたし、結果的に敦彦くんを傷つけちゃったんだよ」
あの悲しそうな背中を思い出して、また泣きそうになる。
「わたし……男の子の友だちがほしいって思ってた。シンバじゃなくて、ちゃんとした人間の男の子の友だちが……でも、向こうがわたしのことを恋愛対象として見ている限り、絶対そういうふうにはなれないんだね」
「それがわかっただけでも、いいじゃねぇか」
わしゃわしゃ、シンバがわたしの頭を撫でてくる。犬にするみたいに。
「花音は、優し過ぎるんだよ。いつも他人の顔色窺って、傷つけないように気ぃ遣って」
「それは……今回のことで、すごく自覚した」
「優しさだけじゃ絆は作れないって、よく、わかっただろ」
シンバがぴょんと頭から飛び降りて、机の上に乗る。ターコイズブルーの瞳を細めて、にいっと笑う。
「よかった。なんか俺、ほんと、ホッとしたわ。花音があいつのこと考えてニヤニヤしてるの見てるの、嫌だったし」
「それって、嫉妬?」
「そんなんじゃねぇよ」
シンバはくるりと背を向けている。鼻の頭を搔いているらしい。
「ただ……ただ、嫌なんだ。俺にとって、花音はすごく大切な子だから。花音が遠くに行っちゃう気がして、嫌だったんだ」
それって、どういう意味? 婉曲的な、愛の告白? それとも、友だちとして、ずっと傍にいてほしいってこと?
胸がことことと、オルゴールのような甘い音を立てる。
「だから。だから、これからも、俺ができるようなことがあったら、俺に相談してほしい。花音の幸せは、俺の幸せだから。花音を簡単に、他の男に渡したくないから……!」
「シンバ」
シンバがくるんと振り向いた。真っ白い頬がほんのり赤く染まっている。
「心配しなくても、わたしはどこにも行かないよ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔でにっこり微笑むと、シンバも笑ってくれた。
「どこにも行かない。ずっと傍にいる。約束、しよ」
「指切りなんて、子どもっぽいって言ってたくせに!」
「大切な人とは、指切りしたい時もあるんだよ」
シンバがちょっと照れ臭そうな顔をしながら、右手の小指を差し出した。
触れただけの小指の先っちょに、たしかにシンバの温もりを感じた。
家に近づくに連れて、山は色づいていく。紅葉の真紅の葉っぱに目を細めるほど、今のわたしにエネルギーは残っていなかった。
雲の上を歩くような足取りで家を目指し、心ここにあらずといった調子で、とぼとぼと階段を上った。二階の自室に引きこもるように入って、机の前に座った途端、涙がぽろぽろと込み上げてくる。
ずっと我慢していた涙が、今になって溢れ出してきた。
「シンバ、そこにいるんでしょう……?」
震える声で、そう言った。
「今もわたしのこと、見てるんでしょう……?」
涙で掠れた声が、嗚咽に変わる。
「だったら、出てきてよ! 友だちなら、こういう時慰めてよ! わたしには、親友はシンバしかいないんだよ!!」
最後は、叫んでた。こんなことになってわたしが頼りたくなるのは茉奈みたいな女の子の友だちじゃなくて、シンバなんだ。
シンバのあけすけにものを言う性格が、こういう時にありがたい。
机の前で、あとからあとから零れてくる涙をティッシュで拭っていると、シンバの気配がした。とんとんとん、と近づいてくる、軽やかな小人の足音。
シンバはひょいっとわたしの肩に乗り、髪を撫でてくれた。
「何が、あったんだ?」
「キス、されそうになった……」
「それで、花音は?」
「逃げ……ちゃった」
「そっか」
泣いているわたしの髪を撫でるシンバの手つきは、小指の爪の先ほど小さいのにすごく優しい。わたし、忘れてた。
シンバがぶっきらぼうで時々グサッとくることを言う子だけど、本当は誰よりもわたしのことを思ってくれてるってこと。
「もうそいつとは会わないのか?」
「会わないって。あれからラインも来てない。ブロックしていいよって言われちゃった」
「良かったじゃねぇか。そいつは潔く身を引いたんだよ」
「よくなんかない! わたし、結果的に敦彦くんを傷つけちゃったんだよ」
あの悲しそうな背中を思い出して、また泣きそうになる。
「わたし……男の子の友だちがほしいって思ってた。シンバじゃなくて、ちゃんとした人間の男の子の友だちが……でも、向こうがわたしのことを恋愛対象として見ている限り、絶対そういうふうにはなれないんだね」
「それがわかっただけでも、いいじゃねぇか」
わしゃわしゃ、シンバがわたしの頭を撫でてくる。犬にするみたいに。
「花音は、優し過ぎるんだよ。いつも他人の顔色窺って、傷つけないように気ぃ遣って」
「それは……今回のことで、すごく自覚した」
「優しさだけじゃ絆は作れないって、よく、わかっただろ」
シンバがぴょんと頭から飛び降りて、机の上に乗る。ターコイズブルーの瞳を細めて、にいっと笑う。
「よかった。なんか俺、ほんと、ホッとしたわ。花音があいつのこと考えてニヤニヤしてるの見てるの、嫌だったし」
「それって、嫉妬?」
「そんなんじゃねぇよ」
シンバはくるりと背を向けている。鼻の頭を搔いているらしい。
「ただ……ただ、嫌なんだ。俺にとって、花音はすごく大切な子だから。花音が遠くに行っちゃう気がして、嫌だったんだ」
それって、どういう意味? 婉曲的な、愛の告白? それとも、友だちとして、ずっと傍にいてほしいってこと?
胸がことことと、オルゴールのような甘い音を立てる。
「だから。だから、これからも、俺ができるようなことがあったら、俺に相談してほしい。花音の幸せは、俺の幸せだから。花音を簡単に、他の男に渡したくないから……!」
「シンバ」
シンバがくるんと振り向いた。真っ白い頬がほんのり赤く染まっている。
「心配しなくても、わたしはどこにも行かないよ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔でにっこり微笑むと、シンバも笑ってくれた。
「どこにも行かない。ずっと傍にいる。約束、しよ」
「指切りなんて、子どもっぽいって言ってたくせに!」
「大切な人とは、指切りしたい時もあるんだよ」
シンバがちょっと照れ臭そうな顔をしながら、右手の小指を差し出した。
触れただけの小指の先っちょに、たしかにシンバの温もりを感じた。



