第十章 初めての××


 顔を洗ってお母さんの化粧水と乳液でお肌の手入れをして、カラコンを入れて学校用の薄いメイクをした後、パジャマから制服に着替える。ふと天袋を見上げても、シンバの姿はない。

 前はこういう時、しょっちゅうわたしの裸を覗いていたくせに、シンバってまるでわたしに興味がなくなってしまったんだろうか……?

 絶交宣言したあの日から、もう一週間経つ。

 あんな事があった以上、シンバもわたしの前に現れるのが気まずいのかもしれない。わたしだって今、シンバに会ったらどんな顔をしていいのかわからない。あの日から毎日敦彦くんとはラインしてるけれど、そんな事シンバに話したらまたブチ切れられそうだ。

 だいたい、シンバって女心をまるでわかってない。女の子はシンバみたいなものをズバズバ言ういい意味でも悪い意味でもぶっきらぼうな男の子より、敦彦くんみたいな気遣いができる優しい男の子を好きになるものなんだ。

 そもそも、シンバは小人。シンバに恋をしたところで、まるで報われないじゃない!


「花音、悩みごとでもあるのかい?」


 朝食のテーブルで、おばあちゃんに声をかけられる。いつもどおりの、優しい声音。


「べ、別にそんなのないけど……どうして?」
「いつも牛乳、ホットミルクにして飲んでるじゃないか。今日はアイスだよ」


 言われて、トーストを牛乳で流し込んでいる自分に気付く。そうだ、最近は朝冷えるから、牛乳はいつもホットにしてたんだ。あっためるの、忘れてた……。


「これは今流行りの時短だよ、時短! あっためる手間が省けていいじゃない」

「花音は朝から髪の毛のおしゃれしたり高校生なのにお化粧したり、身支度に手間がかかり過ぎなのよ! そんなことしてる暇あったらご飯の支度を手伝ってちょうだい」

「……はーい」


 お母さんのお小言を右から左へ聞き流しながら、ちょっとホッとしていた。勘のいいおばあちゃんのこと。恋愛のことやシンバのことで悩んでいるなんて、思われたくない!

 秋の匀いが濃くなった朝、ブレザーのポケットに両手を突っ込んでバス停を目指す。シンバを胸ポケットに入れて学校に行った日のことを思い出して、少し切なくなる。

 シンバがいないと、心にぽっかり穴が空いたみたい。
 大切なものは失った後に大切だったって気付くって、本当なんだなぁ。


「おはよう」


 いつもの停留所でバスが停まって、敦彦くんが隣の席に座ってくる。あのデートの日以来、こうなるのがなんとなく、習慣になってしまった。

 まるで恋人同士みたい。でも、胸はなぜか全然ドキドキしない。


「花音ちゃん、昨日ラインでわからないって言ってた数学の問題、解けた?」
「うん、大丈夫。ありがとう。今度お礼になんか奢るね」
「えー駄目だよ、女の子に奢らせるなんて! お礼するんだったら、花音ちゃんの時間を借りたいな」


 え? それってどういうこと?
 目を丸くしているわたしに、敦彦くんは鼻の頭をかきながら照れ臭そうに言う。


「今日の放課後、時間ある? 今日は生徒会がない日なんだ」
「あるけど……」
「だったら、二人でどっかで遊ばない?」


 眼鏡の奥の一重の目が、真剣にこっちを見ていて、固まっていた心臓がことりと動いた。

 これはまぎれもなくデートのお誘いだよね? しかもシンバもいないし、今度は正真正銘、二人っきりのデート!!

 ど、ど、どうしよう……。


「嫌?」
 敦彦くんが悲しそうな声を出す。バスはゆるゆると目的地に向かって揺れている。


「嫌……じゃ、ない」
 ようやく振り絞った声は、自分でも情けなくなるほど頼りないものだった。
 敦彦くんの顔がぱあっと明るくなる。


「ほんと? じゃあ今日の十五時半、S駅前で待ち合わせしようよ。あのへんなら美味しいクレープ屋さんとか、ゲーセンもあるし」
「ありがとう」


 敦彦くんって、ほんと優しいなぁ。こういう時、ちゃんとリードしてくれる。女の子を気遣って、思いやってくれる。

 こういう男の子と付き合ったら、幸せになれるのかもしれない……。

 でも、胸の底がズキズキするのは、どうして?