日曜日は朝からデート日和だった。秋晴れのからっと晴れた空に羊雲が浮かび、気温も二十一度、ちょうどいい。山には南向きの暖かな風が吹いていた。部屋の窓を開けると、ざわざわ、庭の木々の梢が揺れる音がする。服は結局、ベージュのニットに紺色のスカートという落ち着いた大人っぽい格好にした。シンプル過ぎるので、胸元をイミテーションパールのネックレスで飾る。


「ちょっと友だちと遊んでくる」
 お母さんにそう言って家を出ようとすると、背中から声をかけられる。


「友だちって、里美ちゃんたち?」
 お母さんはわたしが里美たちと絶交したことを知らない。言えるわけがない。


「そうだよ。いつものメンバー」
「ふぅん。それにしてもあんた、そんな服なんて持ってたのね」


 ちょっとドキッとした。たしかこれ、買ってから一度も袖を通してないやつだけど。友だちと出かけるにしてはこの格好、あまりにも不自然過ぎ?


「美術館にでも行くの?」
「違うけど……なんで?」
「なんか、そういう感じの格好してるから。まぁ、別にいいけど。いってらっしゃい」


 まさかこれからデートに出かけるなんて、そんなことも言えるわけがない。男の子と映画を観に行くなんて言ったら、名前はなんていうのかどこで出会ったのか根掘り葉掘り聞かれるに決まってる。だいたいわたしと敦彦くんは、まだ彼氏彼女って間柄でもない。そもそも、うちは親に恋愛の話をできるような今どきの親子関係じゃないのだ。


 待ち合わせ場所は、バスで四十分のところにあるショッピングモール。洋服や雑貨を売ってるおしゃれなお店やレストラン、スイーツショップがあって、映画館もあるこの街では定番のデートスポットだ。
敦彦くんと決めた目印は、広場の彫刻のところ。三人の子どもが全裸でポーズしている何を意図して造られたのかわからない彫刻の前は待ち合わせスポットで、わたしの他にも人待ち顔の人たちが何人かいた。


 つい、きょろきょろと周りに知った顔がいないかたしかめてしまう。同級生と鉢合わせする可能性もあるし、そうなったら噂になっちゃう。明日、よく知らない女子に昨日一緒にデートしてた子誰、なんて訊かれたくない。


 そんなことを考えたらなんか緊張してきた。わたしはまだ敦彦くんのことをほとんど知らない。そんな相手と、いきなりデート? どんな顔をして敦彦くんの隣に立っていればいいの? 何を話せばいいの? 学校ではほとんど男の子と話さないから、男の子とどんな話をすればいいのかまるで想像がつかない。

 ぽん、と肩を叩かれた。


「待った?」
 振り返ると敦彦くんが立っていた。チェックのシャツのインナーにはロゴ入りTシャツ、ジーパン。普通の、高校生の男の子の私服って感じだ。


「ううん、全然」
 慌ててとってつけたような笑みを浮かべる。ほんとは十分ぐらい待ってたんだけど。待ち合わせの十分前に来てたんだからしょうがない。


「まず映画。チケットは既に予約しておいた。その後ご飯食べて、ショッピングしよう」
 わぁ、さすが男の子。ちゃんとデートプラン決めてきてくれたんだ。敦彦くんって男子校だから全然出会いないって言ってたけど、本当はデートとか慣れてる男の子なのかも。


 「恋人」じゃない、あくまで「友だち」の距離感で並んで歩く。


「花音ちゃんって、私服はお嬢さん系なんだね。もっとガーリー系かと思った」
「男の子と出かけるのって初めてだから何着たらいいのかわからなくって。変かな?」
「そんなことないよ。すごく似合ってる」


 ストレートに褒められて、思わず頬が熱くなってしまう。実はメイクもいつもよりしっかりめにしてるんだけど、敦彦くん、そこには気付いてくれてるかな……?
 そう思った時、バッグの中からびくん、と振動が起こった気がした。
 今の、何……?
 バッグを凝視していると、不思議そうに敦彦くんが言う。


「カバンがどうかしたの?」
「ううん……なんでもない」
「そのカバン、可愛いね。服の色が落ち着いてるから、ピンクで差し色になってるよ」
「高校入学祝いにお父さんが買ってくれた、お気に入りなんだ」


 そんなことを話している間に、さっきの不思議な出来事は忘れてしまった。バッグがひとりでに動くなんて、まさかそんなことあるわけない。と、いうより今は敦彦くんとデートなんだ。デートに集中しないと。

 映画館は、まずまず混んでいた。さすが青春恋愛もの映画、主演の二人も今人気の若手女優と俳優さんなだけあって、観に来ているのは女の子たちばっかり。ここでも知ってる顔がいないか気になってしまう。


「どうかした?」
 落ち着きなくきょろきょろしていると、敦彦くんが訊いてくる。


「いや……同じ町内だし、同じ学校の子がいたら、気まずいなって」
「なんだ、そんなこと。友だちと映画観に来てた、って言えばいいだけじゃない」
「敦彦くんは、そういうの気にしないの? 友だちにわたしと一緒にいるとこ見られて、後で冷やかされたりしたら、嫌じゃないの?」
「嫌なわけないじゃん。花音ちゃんみたいな可愛い子と一緒のところを見られて、なんで恥ずかしく思わなきゃいけないの?」


 可愛い、なんてなんの照れもなく敦彦くんは言った。

 敦彦くんは、わたしと違うんだ。人にどう思われるかばっかり気にして、常に人の顔色を伺って生きてる。そんなわたしよりずっと大人で、自分を持ってる男の子なんだろう。ちゃんとデートプランを考えて来てくれるし、券売機もスッスッとよどみない手つきで操作してるし、頼りがいのある男の子なのかもしれない。


「花音ちゃん、ポップコーンは塩派? キャラメル派?」
「キャラメル派だけど……」
「僕は塩派。じゃあミックスって両方食べれるのがあるから、それにしよう。飲み物は何がいい?」
「ウーロン茶」
「じゃ、買ってくるね。ポップコーン代は僕が出すよ」
「その間、トイレ行ってきていい?」
「もちろん」


 敦彦くんってほんと、優しいなぁ。生まれて初めてのデートでドキドキしてたけど、ちゃんとわたしのこと気遣ってくれるし、紳士的で頼りがいがある。見た目は平均点だけど、付き合うならああいう人のほうがいいのかもしれない。

 そんなことを考えながらトイレに入る。用を足した後個室でスマホの電源をオフにしなきゃとカバンを開けると、底の方で膝を抱えているシンバを発見した。

「ええっ!?」


 思わず大きな声を上げてしまい、慌てて口を閉ざす。シンバは憮然とした顔で、ぴょこんとカバンから飛び出し、わたしの肩の上に乗った。


「なんだよ、あいつ。何が花音ちゃんみたいな可愛い子と……だよ。下心があからさま過ぎて、気に入らねぇ」
「ちょっと、シンバ! なんでついてきてるのよ!」
「花音が心配だからに決まってんじゃん」


 シンバはわたしの肩の上から下り、トイレの奥のトイレットペーパーが置いてある棚のところに腰掛けた。


「手紙もらって、ちょっとラインだかなんだかして、しゃべって。それだけの、どういう奴かもよくわからない男じゃん。変なことしてくるかもしれねぇし」
「変なことしてきたのはシンバでしょ!」
「俺は小人だからいいんだよ」
「小人だって駄目だよ!」
「とにかく。人間の男なんて、そう簡単に信頼できねぇ」


 シンバが神妙な顔で腕組みをした。そんな顔をされても、なんせ身体が小さいからどことなく可愛く見えてしまう。


「今日来たのは、あいつが俺の信頼に足る男かどうか見定めるためだ。俺が認めた男じゃないと、花音は渡さない」
「渡さないって……シンバはわたしのお兄さんかお父さんにでもなったつもり?」
「友だちだよ。友だちの心配して何が悪いんだよ」
「いくら心配だからって、デートについてくる友だちなんていないよ!」
「うるせぇよ。絶対に、あいつに俺がいることは悟られないようにするから。つべこべ言わず連れてけ。どっちみち、ここまで来ちゃったら俺は一人で帰れないんだぞ?」


 たしかに、シンバが邪魔だからってこんなところに置いていくわけにもいかない。ぬいぐるみや人形じゃないんだから。仕方なくわたしは、シンバを手のひらにのせた。


「わかったから、おとなしくしてて。絶対、余計なことしないでね」
「余計なことしないよ。あくまで俺の目的は、監視だ」


 監視って……まるで、敦彦くんが大悪党だと決めつけんばかりの言い方だ。
 シンバをカバンに入れてトイレから出て来たわたしは困った顔をしていたらしく、ポップコーンと飲み物のトレイを抱えて待っていた敦彦くんに不思議そうな顔をされた。


「どうしたの、花音ちゃん。なんかあった?」
「いや……なんでもない」


 実は二人っきりじゃないんだよ、なんて口が裂けても言えない。