第八章 友だち以上恋愛未満

 敦彦くんと電話した次の日の朝、洗面台の前でやたらとそわそわしていた。
 この後バスの中で敦彦くんに会うんだから、いい加減なメイクや髪型じゃ駄目だ。髪はブローだけでもよかったんだけど、コテを使って軽く巻く。

メイクはいつも通りナチュラルに、でもアイメイクだけはきちんと。わたしはそんなに可愛くないけれど、目はぱっちり二重だから、そこは気に入っている。きちんとアイラインとマスカラで彩れば、モテ系ナチュラルデカ目の完成だ。


 もしかしたらこの後、敦彦くんに会えるかもしれない……そんな気持ちでバスに乗る。敦彦くんがいつも乗る停留所は、昨日ラインで教えてもらった。バスの中で、朝の支度でバタバタしているであろう敦彦くんから、小刻みにラインが来る。


『今朝ご飯食べてるところ。この後すぐ家出る』
『敦彦くんの家は、バス停から何分なの?』
『徒歩二分だよ。すぐに着く』
『いいなぁ。わたしは、いちばん近いバス停まで十分もかかるんだ』


 他愛無いやり取りに嫌でも心が昂るのは、今まであまりにも男の子に接してこなかっただろうか。シンバ以外の男の子が考えていることなんて、わたしにはわからない。

 バスが停まって、何人かの人が降りて行って、わたしの隣の席が空白になった。バス停のいちばん前に並んでいた敦彦くんが、こっちを見ておはよう、と手を上げ、隣に座る。

 えー、いきなり隣? ドキドキしちゃうんですけど……

「今日はあったかいね」
「うん。ブレザー、いらないほど。ブラウス一枚でじゅうぶん」
「この季節って、ほんと寒暖差が激し過ぎて嫌になるよね。いきなり夏になったり、そうかと思えば冬だし」
「わたしが住んでる山の方なんて、特に大変だよ。街中と気温が、五度くらい違うから。この前、風邪引いちゃった」


 天気の話は、お互いよく知らない者同士にはちょうどいい。そのまま勉強のことや友だちのことなんかで盛り上がった後、さりげなく訊いてみる。


「敦彦くんは、男子校だよね? 男子校の人って、恋愛とかどうしてるの?」
「どうもなにも、男子ばっかりだもん。出会いなんて、全然ないよ。クラスでも彼女が欲しくて、合コンしたり、女子校の文化祭行ったりしてる奴いるけど、僕はそういうの苦手だし」
「わたしも、合コンはちょっと苦手かな……」


 高校生になったばかりの頃、里美たちに誘われて一度他校の男の子たちと合コンして、カラオケで盛り上がったことがある。どの子もいかにも女の子に慣れているって感じで、歌もよく知らない流行りの曲ばかりで、とてもついていけなかった。

 わたしが好きなアーティストは、ミスチルとaikoと椎名林檎。「カプチーノ」を歌うと、里美に「今どき椎名林檎とか遅れてるよねー」なんて言われてしまった。


「花音ちゃんは、S高でしょ? 小学校の友だちで、S高行ってる奴、何人か知ってるよ」
「えー、そうなの? でもわたし、クラスの男の子でさえ名前と顔が未だに一致しないんだよね……よほど目立つ人じゃない限りは。たぶん、知らないだろうなぁ」
「花音ちゃん、男子に興味、ないの?」

 微笑みながら、でも真剣な目で敦彦くんが問う。答えに困る。

「別に……興味がないわけじゃ、ないよ。小学校の時も中学校の時も、好きな人はいたし。でも今は、いない……かな」
「いないんだ。じゃあ僕にも、花音ちゃんを振り向かせられる可能性があるってことだね」
「どうして?」
「僕のことを知ってもらえれば、好きになってくれるかもしれないじゃない?」

 敦彦くんは眼鏡の奥の細い目で、小さくウインクをしてみせた。

 学校につくなり、茉奈に報告だ。茉奈は手紙のことも知ってるし、昨日長々とラインに付き合ってくれた。わたしと同様、恋愛経験のない茉奈だけど、茉奈なりに真剣に相談に乗ってくれる。


「要は、付き合うことにしたんだ?」
 チョコレート菓子をぽりぽり食べながら、茉奈が言う。茉奈のお菓子の食べ方は、まるでリスみたい。ぽきぽきぽき、とチョコの部分を齧るように食べる。


「付き合うっていうか……まずは、お友だちから」
「へぇ。でも、向こうはそれ以上を望んでるわけでしょう?」
「そりゃあ……ね」
「だったらいずれ、そういう事になるよ。いいなーぁ」


 そう言って、チョコのなくなったクッキーの部分を一気に齧る茉奈。


「里美たちに遅れてるのは別に気にならなかったけど、花音にまで遅れてるとなると、さすがにあたしも気にしちゃうよ。里美も鈴子も恋愛充実してるし、独り身はあたしだけかぁ」

「大丈夫だよ。茉奈、可愛いもん。そのうち彼氏、できるって」

「えー? あたし、ブサイクだよ? メイクしないと、未だに小学生に間違えられるし」

「茉奈はそこがいいんだって。茉奈みたいに小動物系の可愛い子が好きっていう男の子もいるから」

「なるほど……小動物系、か」


 茉奈はそう言って、またお菓子に手を伸ばす。お菓子をたくさん食べるとすぐ太ってしまうわたしは、いくら食べても太らない体質の茉奈がちょっと羨ましい。

 一日じゅう、上の空で過ごした。授業を受けていても、茉奈とトイレに行く時も、掃除をする時も、ふいに頭に浮かぶのは敦彦くんのこと。敦彦くんは今頃、何をしてるだろう。わたしのこと、友だちに話したりしてるんだろうか? 敦彦くんのことを好きになったわけじゃないのに、そんな事をつい、考えてしまう。

 シンバに言われた。恋する乙女の顔をしてるって。
 そんなんじゃないのに。

 帰りのバスに揺られる間も、敦彦くんの乗る停留所を通り過ぎる時、敦彦くんが乗ってこないか気にしていた。まだ学校にいるせいか、ラインは来ない。バスを降りた時、スマホがぶるんと震えた。

『委員会で遅くなっちゃった。これから塾』
 敦彦くん、委員会ってことは学級委員か、生徒会をやってるんだろうか。いかにも真面目な彼らしい。

『お疲れ。敦彦くんは頑張り屋だね』
『そうでもないよ。委員会も塾も、親に言われたからやってるだけ』
『親、そんなに厳しいの?』
『厳しいよ。星が丘入れたんだから大学は国立目指せって言われてる』
『大変だね』

 星が丘は、高校一年生から大学受験を意識しなきゃいけないらしい。うちの学校でも進路指導はあるし、「将来の夢は三年生になってからじゃなくて、今から考えてください」と先生も言っていた。でも、ほとんどの子は将来のことなんてまだろくに考えていない。

里美はネイリスト、鈴子はアパレル関係に行きたいって言ってたけれど、茉奈は将来の夢は考え中だって言ってるし、わたしも同じだ。

 高校生になったからって、急に大人になれるわけじゃない。