第六章
夏の暑さが薄まって朝や夕方に尖った風が吹く頃、わたしは学校をズル休みした。身体がだるい、風邪をひいたかもしれない、と言うと、お父さんとお母さんの対応はそっけないものだった。お父さんは近頃夜冷えるからなぁ、なんて能天気な声を出すし、お母さんは学校に電話しておくから体温だけ測ってベッドで寝てなさい、とぱっきり言って、二人ともさっさと仕事に行ってしまった。おばあちゃんも、今日はデイケアだ。
茉奈へのシカトは、ずっと続いていた。もう、学校に行きたくない。里美と鈴子の前でへらへら笑っているのも、茉奈の悪口を言う里美たちに合わせるのも、ひとりでいる茉奈を遠くからじっと見ているだけなのも、嫌だった。
エアコンをドライにして、タオルケットにじっとくるまっていると、熱はないはずなのに本当に頭痛がしてきた。救急箱はリビングに置いてあるけど階段を下りるのも面倒だった。
頭痛はどんどんひどくなって、次第に頭がのぼせてくる。これはまずい。本当に風邪を引いたかもしれない……。
次第に意識は朦朧として、夢と現実の間を行き来する。目を瞑ると、うっすら白い世界の中でぱちぱち火花が舞った。呼吸がだんだん浅く、荒くなっていく。
「大丈夫か?」
声がして目を開けると、シンバがこちらを覗き込んでいた。
「お前、熱あるのか? 顔真っ赤だぞ」
「そう……かも……」
「ちょっと待ってろ」
そう言うと、シンバはたたたっ、とベッドの上を駆けていって、屋根裏へ戻っていった。
五分ほどして再びやってきたシンバは、大きな葉っぱを抱えていた。
「山でしか採れない葉っぱだ。これを噛むと、熱に効く」
「ありがとう……」
弱弱しく顔を動かすわたしの口元まで、シンバが自分の身体より遥かに大きい葉っぱを持ってきてくれる。
葉っぱをゆっくり口の中で噛むと、次第に頭がはっきりして、のぼせた脳が冷えていくのを感じた。これ、なんの葉っぱか知らないけど本当に効くんだなぁ……
「楽になったか?」
「うん。ありがとう。小人に看病される日が来るなんて、思わなかった」
「友だちだからな。これくらい、当たり前だろ」
シンバがにいっと白い歯を見せる。泣きたくなるほど眩しい笑顔に、涙腺が熱くなる。
シンバは男の子だけど、小人だけど、まぎれもなくわたしの今いちばんの友だちだ。わたしがずっと欲しかった「親友」という関係を、シンバの間では築きかけられている。
「熱があって、学校休んだのか?」
シンバが訊く。わたしは首を横に振る。
「ズル休みしちゃった。学校、行きたくなくて」
「いじめがまだ続いてるからか?」
「よくわかったね、シンバ」
「花音が考えてることは、だいたいわかるぞ、俺」
シンバの前なら、すべてをさらけ出せる――そう思って、次の言葉を口にする。
「わたし、最悪なんだよね。シンバの言うとおり。彼氏いない同盟まで作った茉奈のこと無視して、いじめて、里美と鈴子の機嫌ばっかり窺って……茉奈のことは大事なのに、里美や鈴子に嫌われるのが怖い」
「なんでそんなに、人に嫌われるのが怖いんだ?」
「……わからないけど、とにかく怖い。人から嫌われるっていうのは、心の中でその人に殺されるってことだもん、わたしにとっては」
枕元であぐらをかいているシンバが、ふうとため息をつく。
「里美や鈴子に嫌われるのと、茉奈に嫌われるのと、どっちが辛いんだ?」
「どっちも辛いよ」
「でもお前は、本当は茉奈を庇いたいんじゃないのか?」
「そう……だけど……」
「その気持ちがあるなら、そう行動しないと、後悔するぞ」
断言する口調で、まっすぐシンバが言った。
「花音って、今まで嫌なことから逃げてばっかりだっただろ?」
「たしかに……小一の時は体育が苦手だから運動会に出たくなくて、運動会休んだりとかした。今日みたいに、仮病使ったの。かけっこだと、絶対ビリになっちゃうもん」
「嫌な時は、逃げてもいいんだ」
シンバが正反対のことを言う。
「でも、逃げちゃいけない時もある。父さんが言ってた」
「逃げちゃいけない時って……どんな時?」
「わかんねぇのか、お前。今だよ。今、茉奈を助けなかったら、花音は一生苦い思い出を心に閉じ込めて生きていくことになるぞ? 高校の時、友だちを裏切ったって」
じわり、心臓が熱くなって、涙が込み上げてくる。
わたしは茉奈を裏切りたくない。
茉奈に味方したい。
わたしは茉奈の友だちだよ、って言ってあげたい。
「里美も鈴子も、所詮うわべだけの友だちだったってことだよ。適当に話合わせて、げらげら笑って。本当の友だちは、勇気出さないとできないんじゃないのか」
「ありがとう……シンバ」
お礼を言うと、シンバは太陽みたいな笑顔でわたしを見た。
シンバは男の子なのに、小人なのに、なんでこんなに気持ちが通じ合うんだろう。嬉しいことも悲しいことも好きなことも嫌いなことも、シンバになら、全部言える。
そうか。シンバは、親友なんだ。
「葉っぱ噛んでたら、楽になった。今、お菓子持ってくる。キッチンにあるから」
「まだたぶん熱あるから、ふらつくなよ。階段でコケたりしねぇようにな」
「わかってるって!」
少しだけ軽くなった身体で、部屋を出る。
夏の暑さが薄まって朝や夕方に尖った風が吹く頃、わたしは学校をズル休みした。身体がだるい、風邪をひいたかもしれない、と言うと、お父さんとお母さんの対応はそっけないものだった。お父さんは近頃夜冷えるからなぁ、なんて能天気な声を出すし、お母さんは学校に電話しておくから体温だけ測ってベッドで寝てなさい、とぱっきり言って、二人ともさっさと仕事に行ってしまった。おばあちゃんも、今日はデイケアだ。
茉奈へのシカトは、ずっと続いていた。もう、学校に行きたくない。里美と鈴子の前でへらへら笑っているのも、茉奈の悪口を言う里美たちに合わせるのも、ひとりでいる茉奈を遠くからじっと見ているだけなのも、嫌だった。
エアコンをドライにして、タオルケットにじっとくるまっていると、熱はないはずなのに本当に頭痛がしてきた。救急箱はリビングに置いてあるけど階段を下りるのも面倒だった。
頭痛はどんどんひどくなって、次第に頭がのぼせてくる。これはまずい。本当に風邪を引いたかもしれない……。
次第に意識は朦朧として、夢と現実の間を行き来する。目を瞑ると、うっすら白い世界の中でぱちぱち火花が舞った。呼吸がだんだん浅く、荒くなっていく。
「大丈夫か?」
声がして目を開けると、シンバがこちらを覗き込んでいた。
「お前、熱あるのか? 顔真っ赤だぞ」
「そう……かも……」
「ちょっと待ってろ」
そう言うと、シンバはたたたっ、とベッドの上を駆けていって、屋根裏へ戻っていった。
五分ほどして再びやってきたシンバは、大きな葉っぱを抱えていた。
「山でしか採れない葉っぱだ。これを噛むと、熱に効く」
「ありがとう……」
弱弱しく顔を動かすわたしの口元まで、シンバが自分の身体より遥かに大きい葉っぱを持ってきてくれる。
葉っぱをゆっくり口の中で噛むと、次第に頭がはっきりして、のぼせた脳が冷えていくのを感じた。これ、なんの葉っぱか知らないけど本当に効くんだなぁ……
「楽になったか?」
「うん。ありがとう。小人に看病される日が来るなんて、思わなかった」
「友だちだからな。これくらい、当たり前だろ」
シンバがにいっと白い歯を見せる。泣きたくなるほど眩しい笑顔に、涙腺が熱くなる。
シンバは男の子だけど、小人だけど、まぎれもなくわたしの今いちばんの友だちだ。わたしがずっと欲しかった「親友」という関係を、シンバの間では築きかけられている。
「熱があって、学校休んだのか?」
シンバが訊く。わたしは首を横に振る。
「ズル休みしちゃった。学校、行きたくなくて」
「いじめがまだ続いてるからか?」
「よくわかったね、シンバ」
「花音が考えてることは、だいたいわかるぞ、俺」
シンバの前なら、すべてをさらけ出せる――そう思って、次の言葉を口にする。
「わたし、最悪なんだよね。シンバの言うとおり。彼氏いない同盟まで作った茉奈のこと無視して、いじめて、里美と鈴子の機嫌ばっかり窺って……茉奈のことは大事なのに、里美や鈴子に嫌われるのが怖い」
「なんでそんなに、人に嫌われるのが怖いんだ?」
「……わからないけど、とにかく怖い。人から嫌われるっていうのは、心の中でその人に殺されるってことだもん、わたしにとっては」
枕元であぐらをかいているシンバが、ふうとため息をつく。
「里美や鈴子に嫌われるのと、茉奈に嫌われるのと、どっちが辛いんだ?」
「どっちも辛いよ」
「でもお前は、本当は茉奈を庇いたいんじゃないのか?」
「そう……だけど……」
「その気持ちがあるなら、そう行動しないと、後悔するぞ」
断言する口調で、まっすぐシンバが言った。
「花音って、今まで嫌なことから逃げてばっかりだっただろ?」
「たしかに……小一の時は体育が苦手だから運動会に出たくなくて、運動会休んだりとかした。今日みたいに、仮病使ったの。かけっこだと、絶対ビリになっちゃうもん」
「嫌な時は、逃げてもいいんだ」
シンバが正反対のことを言う。
「でも、逃げちゃいけない時もある。父さんが言ってた」
「逃げちゃいけない時って……どんな時?」
「わかんねぇのか、お前。今だよ。今、茉奈を助けなかったら、花音は一生苦い思い出を心に閉じ込めて生きていくことになるぞ? 高校の時、友だちを裏切ったって」
じわり、心臓が熱くなって、涙が込み上げてくる。
わたしは茉奈を裏切りたくない。
茉奈に味方したい。
わたしは茉奈の友だちだよ、って言ってあげたい。
「里美も鈴子も、所詮うわべだけの友だちだったってことだよ。適当に話合わせて、げらげら笑って。本当の友だちは、勇気出さないとできないんじゃないのか」
「ありがとう……シンバ」
お礼を言うと、シンバは太陽みたいな笑顔でわたしを見た。
シンバは男の子なのに、小人なのに、なんでこんなに気持ちが通じ合うんだろう。嬉しいことも悲しいことも好きなことも嫌いなことも、シンバになら、全部言える。
そうか。シンバは、親友なんだ。
「葉っぱ噛んでたら、楽になった。今、お菓子持ってくる。キッチンにあるから」
「まだたぶん熱あるから、ふらつくなよ。階段でコケたりしねぇようにな」
「わかってるって!」
少しだけ軽くなった身体で、部屋を出る。



