翌朝は、冷たい雨が地上を濡らした。いやいやながら降り注ぐ雨は、誰かの涙みたいだった。気温もこの時期にしては寒くて、半袖のブラウスを慌てて長袖に代えた。昨日気まずく別れてしまったシンバは朝、いつものように枕元で飛び跳ねて起こしてくれることはなかった。

 バスに揺られて学校に向かう間、窓を叩く雨はどんどん強くなっていった。がらがらだった車内はだんだん満員に近づいていって、湿気で車内の空気は膨らみ、天気のせいか乗客はみんな疲れた顔をしている。
 わたしの顔も、たぶんやつれて見えるだろう。


「おはよー! 花音―!」
 教室に入るなり、ハイテンションでわたしを手招きする里美。その隣では鈴子がにやにや笑っている。


「花音、茉奈からライン来た?」
 鈴子に訊かれた。わたしは首を横に振る。


「来てないけど……」
「そっか。あたしには、すごかったよ。なんでグループライン外したの、って。一分毎にライン来るんだよね。マジ、ストーカーみたい」
「キモー!」


 里美が嬉しそうな大声を出して、わたしは無理やり口元を笑いの形に歪める。

 シンバが言うように、こんなの、絶対間違ってる。里美たちがやってることは、いわゆるシカト。シカトだって、立派ないじめだ。小学校の時も中学校の時も、仲良しグループでシカトされてる子がいたことはあった。そういうのはふいに突然始まって、いつのまにか自然と終わっているんだけれど、シカトが始まると、俯いて机に座っている仲良しだった子の横顔を、何もできずにじっと見ているのが辛かった。

 だからって、こんなことやめようよ、なんて言える勇気は、わたしにはない。


「あ、茉奈、来た」


 そう言う鈴子の視線の先に、教室のドアをくぐった茉奈がいた。目印のツインテールが、心なしかいつもより、位置が低い。
 茉奈は口をへの字に結んで、こちらへ歩いてくる。


「ねぇ、なんであたしのことグループラインから外したの?」
 尖った声が震えていた。足元を見つめる瞳は、揺れていた。


「あたし、なんか悪いことした? 里美や鈴子や花音を傷つけるようなこと……」
「さあねー? 自分の胸に訊いてみればー?」

 里美が言って、鈴子が笑う。
 わたしは、固まっていた。下を向く茉奈に、なんにもしてあげられない。なんにも言えない。
 こうなったからには、里美と鈴子につくしかないに決まってる。でも、茉奈が可哀相過ぎて、胸がひりひりする。


「ねぇ、トイレ行こうよー!」
 里美が立ち上がって言う。
「いいね、行く行く!」
 と、鈴子がメイクポーチを取り出す。
「花音も行こ、トイレー!」
 里美の声は明るいのに、有無を言わせぬ険しさがあって、嫌だ、なんて言えなかった。
「じゃあ……わたしも行こうかな」


 こんな時にまがいものの笑いを浮かべてしまう自分が、大嫌いだ。
 里美と鈴子と、三人で朝の教室を出た。一瞬振り返ると、茉奈は里美の机の前で佇んだまま、じっと下を向いていた。



 昼休みは、当たり前のように里美と鈴子と三人でお弁当を広げた。里美のお弁当はお料理好きのお母さんが毎朝手作りしていて、人参が星の形にくり抜かれていて可愛い。

「鈴子―、人参、食べてよー!」

 里美は高校生にもなって人参が嫌いで、それをよく鈴子に押し付けている。いつもの、昼休みの光景。


「嫌だよ。あたしだって嫌いなんだから、その人参。やたらと甘くって」
「そうそう、野菜のくせにやたら甘いって、嫌だよねー! 花音は食べる?」
「う……うん……」


 ほんのりレモンと蜂蜜の味がする、甘い人参を口に放り込まれる。
 三時間目の移動教室の時も、四時間目の体育の授業も、わたしたちは茉奈をハブにした。ひと言も声はかけなかったし、バスケのグループ決めの時に入れてあげなかった。いじめに関わっている、という罪悪感で甘い人参が喉の奥で苦くなる。


「ねぇーねぇー今日、久しぶりにみんなでカラオケ行かないー? もちろん茉奈はハブで、鈴子と花音とあたしと三人たけで!」
「いいね! いっぱい歌いたい曲ある!!」
「駅前のカラオケ屋なら、アイス食べ放題だよー!」


 茉奈のことを無視して、繰り出されるいつもの会話。茉奈がいないのを気にしているのは、わたしだけだ。


「……ちょっと、トイレ行ってくる」


 お弁当を食べ終わったところで席を立つと、カラオケの話から彼氏の話に以降していた里美と鈴子は、別段気にもせずに笑顔で見送ってくれた。


 廊下をひとりで歩き、教室にいない茉奈を探す。茉奈は今、どこでお弁当を食べているんだろう? 茉奈には他のクラスに特に親しい友だちはいないはずだし、この学校には学食もない。窓の外に目をやると、中庭の葉っぱが赤く色づき始めた桜の木の下、茉奈がひとりでお弁当を食べていた。もぐもぐ、もぐもぐ、ひどくまずそうな顔で。

 ほとんど走るようにして階段を降り、中庭に向かう。近づいたわたしの足音に茉奈が気付き、顔を上げる。一瞬、茉奈の目が広がる。


「……何しにきたの」
「いや、ちょっと、茉奈のこと心配で……」
「ふぅん。心配、か」
 自販機で売っているいちごミルクをひと口飲んだ後、茉奈は続ける。


「いったい、何がどうなってんの? なんであたし、急に無視とかされてんの?」
「それは……里美と鈴子が、ちょっと、機嫌悪くなっちゃって」
「あたしの何が悪いの? どこがそんなに気に入らないの?」
「……よく、わからない」


 長い間の後、茉奈がふうとため息を吐いた。


「花音は、あたしの味方だと思ってたんだけどな」
「ごめん……」
「別にいいよ、謝らなくて。本当に悪いことしたなんて思ってないでしょう?」


 強い口調に、何も言えなくなる。わたしは、シカトなんてしたくない。茉奈をいじめたくない。里美と鈴子に、やめようよ、って言いたい。そんな言葉、どれも茉奈の耳には届かない気がした。


「花音はあたしより、里美と鈴子の方が大事なんだよね。がっかりした」
「……」
「別に平気だよ。ぼっちでも。あたし、花音なんかに頼らない」


 意志のこもった拒絶だった。風が吹いて、さらさらと桜の葉が鳴った。


「もう、行きな。一緒にいるとこ、里美たちに見られたらまずいでしょ」


 うん、とも、ううん、とも言えず、わたしはくるりと茉奈に背中を向けて、歩き出す。

 シンバの言う通り。わたしは、最悪だ。