「それで、いつ帰ってくるの?」
いたってのんきに、母ダナエーは俺に問う。
「さあ? 王の結婚式のお祝いに間に合うように帰ればいいらしいけど」
旅の荷造りをしながら、そう答える。そもそも、ヘルメスが会いに行けといったグライアイの住む、オケアノスの洞窟って、世界の果てである。
神の加護? とやらがあるにはあるが、どのくらい日程がかかるかなんて、俺にわかるわけがない。
「あのおやじ、何考えているかわからないから、ディクテュスさんの言うこと聞いて、軽はずみなことするンじゃないぞ」
「わかったわ。大丈夫よ。私は子供じゃないのよ」
くすくすと母は笑う。いや、そもそも、ゴルゴン退治に行かなきゃならなくなったのは、不用意に母が王の招待を受けたからである。
「くれぐれも、変なことすんなよ」
俺は母に釘を刺し、島を後にした。
羽のついたサンダルは、最初こそ使用法に戸惑ったが、さすがにカミサマ製である。履き心地も悪くないし、バランスさえ気をつければ、本当に風のような速さで海原を渡っていけた。
三日ほど何もない海原を歩き続けると、うねる海流の向こうに洞窟が見えてきた。
会いに行けと言われたグライアイは、ゴルゴン三姉妹の妹で、三人の老婆だという話だ。話によると、生まれた時から老婆だという。ゴルゴン三姉妹が少なくとも『昔は美人』だったのと比べると、ずいぶんと気の毒な話である。
「こんちわーっ」
俺はグライアイの住んでいると思われる岩屋の入り口で声をかけた。
「ちょっと、次はアタシの番だよ、かしな」
「ちょっと、まだ、食べているのに……」
「おや、人の声がしたよ、どれどれ」
それは奇妙な光景であった。
薄暗い洞窟の中で、三人の老婆が、食事をしていた。
まだ肉をかじっている老婆には、目がなかった。そして、その口に手を伸ばす、もう一人の老婆には、目も歯もない。
たったひとつの目で俺の方を見ている老婆の口には、歯がなかった。
「ちょっと、お貸しよ!」
いらついて、隣りの老婆の口から歯を取り上げると、顔に何もなかった老婆は口に歯を放り込む。
「客人だ! 若い男だ!」
一つ目の老婆が叫ぶと、今度は目のなかった二人の老婆が、目をつけた老婆の目へと手を伸ばそうとする。
「あの、ですね」
どうやら一つの目と一つの歯を三人で共有しているらしい……さすがにちょっと引く。
「なんだい、二枚目のお兄さん」
「ちょっと、どういうことよ、アタシにも見せなさいよ」
「違う違う、次はコッチの番よ」
こういうのって、かしましいというのだろうか。醜い老婆が、一つの目を取り合って、大騒ぎしている。
「えっと、ヘスペリデスの居場所を知りたいのだが」
俺は、内心、イヤーな気持ちがわきあがるのを抑えながら、ニッコリ笑って聞いてみた。
しかし、老婆たちは、目を取り合うのに必死で、ひとの話を聞こうともしない。
「だーっ、話を聞けって!」
大声で叫んでみたが、醜い争いは収まらない。
さすがに、目玉を三人が奪い合う光景をずっと見ていたら、うんざりした。
俺は、すたすたと老婆に近づいて、ひょいと目玉を取り上げた。
「うわっ、なにしやがる、この小僧!」
「返せ! 返せ!」
悪夢を見そうな様相で、三人の老婆がわめき出した。
「黙れ! 話を聞かぬなら、これは海に捨ててしまうぞ!」
言いながら、俺は岩屋の外まで歩いていき手を海へと伸ばす。
「おのれ、人でなし」
「畜生め」
「おまえなぞ、煮て食っちまうぞ」
ありとあらゆる罵詈雑言を老婆たちは並べたて、俺を非難する。
「聞け! 俺はヘスペリデスの居場所を知りたいだけだ!」
老婆たちはシンと静まった。
「……ヘスペリデスは、西の果て。女神ヘラの果樹園で働いている」
ポツリと老婆が口を開いた。
「西の果て、果樹園ね。なるほど」
俺はふむと頷いて。そういや、グライアイってのはゴルゴン三姉妹の身内である。
直接、ゴルゴンの話を聞いたわけではないが、入れ知恵でもされちゃ、叶わんなあと思う。
俺は、取り上げた一つの目を、しげしげと眺める。
「へえ、よくみれば、とても綺麗な瞳だねえ」
俺はそう言いながら、『歯』を持っている唯一の老婆にその目を返した。
そして、目と歯をつけた老婆の手を取って、そっとその甲に口づける。
「ああ、やっぱり。この瞳と歯をつけたあなたは、完璧で美しい」
俺ができるだけ甘い声で囁くと、その老婆の皺だらけの肌が朱色に染まっていく。
「何よ、アンタ、それはアタシのよっ」
「順番を守りなさいっ、アタシの方が美しいのだからっ」
目と歯を取り合って、三人の老婆が取っ組み合いのけんかを始めた。
「んじゃ、またね。完璧なおねーさま」
俺は無責任にウインクをぶちかまし、グライアイたちの洞窟を後にした。
俺が飛び立った後、何かが海に落ちたような音と、老婆の悲鳴が上がったが……それは、俺の責任じゃないと思った。
いたってのんきに、母ダナエーは俺に問う。
「さあ? 王の結婚式のお祝いに間に合うように帰ればいいらしいけど」
旅の荷造りをしながら、そう答える。そもそも、ヘルメスが会いに行けといったグライアイの住む、オケアノスの洞窟って、世界の果てである。
神の加護? とやらがあるにはあるが、どのくらい日程がかかるかなんて、俺にわかるわけがない。
「あのおやじ、何考えているかわからないから、ディクテュスさんの言うこと聞いて、軽はずみなことするンじゃないぞ」
「わかったわ。大丈夫よ。私は子供じゃないのよ」
くすくすと母は笑う。いや、そもそも、ゴルゴン退治に行かなきゃならなくなったのは、不用意に母が王の招待を受けたからである。
「くれぐれも、変なことすんなよ」
俺は母に釘を刺し、島を後にした。
羽のついたサンダルは、最初こそ使用法に戸惑ったが、さすがにカミサマ製である。履き心地も悪くないし、バランスさえ気をつければ、本当に風のような速さで海原を渡っていけた。
三日ほど何もない海原を歩き続けると、うねる海流の向こうに洞窟が見えてきた。
会いに行けと言われたグライアイは、ゴルゴン三姉妹の妹で、三人の老婆だという話だ。話によると、生まれた時から老婆だという。ゴルゴン三姉妹が少なくとも『昔は美人』だったのと比べると、ずいぶんと気の毒な話である。
「こんちわーっ」
俺はグライアイの住んでいると思われる岩屋の入り口で声をかけた。
「ちょっと、次はアタシの番だよ、かしな」
「ちょっと、まだ、食べているのに……」
「おや、人の声がしたよ、どれどれ」
それは奇妙な光景であった。
薄暗い洞窟の中で、三人の老婆が、食事をしていた。
まだ肉をかじっている老婆には、目がなかった。そして、その口に手を伸ばす、もう一人の老婆には、目も歯もない。
たったひとつの目で俺の方を見ている老婆の口には、歯がなかった。
「ちょっと、お貸しよ!」
いらついて、隣りの老婆の口から歯を取り上げると、顔に何もなかった老婆は口に歯を放り込む。
「客人だ! 若い男だ!」
一つ目の老婆が叫ぶと、今度は目のなかった二人の老婆が、目をつけた老婆の目へと手を伸ばそうとする。
「あの、ですね」
どうやら一つの目と一つの歯を三人で共有しているらしい……さすがにちょっと引く。
「なんだい、二枚目のお兄さん」
「ちょっと、どういうことよ、アタシにも見せなさいよ」
「違う違う、次はコッチの番よ」
こういうのって、かしましいというのだろうか。醜い老婆が、一つの目を取り合って、大騒ぎしている。
「えっと、ヘスペリデスの居場所を知りたいのだが」
俺は、内心、イヤーな気持ちがわきあがるのを抑えながら、ニッコリ笑って聞いてみた。
しかし、老婆たちは、目を取り合うのに必死で、ひとの話を聞こうともしない。
「だーっ、話を聞けって!」
大声で叫んでみたが、醜い争いは収まらない。
さすがに、目玉を三人が奪い合う光景をずっと見ていたら、うんざりした。
俺は、すたすたと老婆に近づいて、ひょいと目玉を取り上げた。
「うわっ、なにしやがる、この小僧!」
「返せ! 返せ!」
悪夢を見そうな様相で、三人の老婆がわめき出した。
「黙れ! 話を聞かぬなら、これは海に捨ててしまうぞ!」
言いながら、俺は岩屋の外まで歩いていき手を海へと伸ばす。
「おのれ、人でなし」
「畜生め」
「おまえなぞ、煮て食っちまうぞ」
ありとあらゆる罵詈雑言を老婆たちは並べたて、俺を非難する。
「聞け! 俺はヘスペリデスの居場所を知りたいだけだ!」
老婆たちはシンと静まった。
「……ヘスペリデスは、西の果て。女神ヘラの果樹園で働いている」
ポツリと老婆が口を開いた。
「西の果て、果樹園ね。なるほど」
俺はふむと頷いて。そういや、グライアイってのはゴルゴン三姉妹の身内である。
直接、ゴルゴンの話を聞いたわけではないが、入れ知恵でもされちゃ、叶わんなあと思う。
俺は、取り上げた一つの目を、しげしげと眺める。
「へえ、よくみれば、とても綺麗な瞳だねえ」
俺はそう言いながら、『歯』を持っている唯一の老婆にその目を返した。
そして、目と歯をつけた老婆の手を取って、そっとその甲に口づける。
「ああ、やっぱり。この瞳と歯をつけたあなたは、完璧で美しい」
俺ができるだけ甘い声で囁くと、その老婆の皺だらけの肌が朱色に染まっていく。
「何よ、アンタ、それはアタシのよっ」
「順番を守りなさいっ、アタシの方が美しいのだからっ」
目と歯を取り合って、三人の老婆が取っ組み合いのけんかを始めた。
「んじゃ、またね。完璧なおねーさま」
俺は無責任にウインクをぶちかまし、グライアイたちの洞窟を後にした。
俺が飛び立った後、何かが海に落ちたような音と、老婆の悲鳴が上がったが……それは、俺の責任じゃないと思った。