暁の空がほんのりと明るくなるころ。
 俺は、アテナとの約束通り風の丘へとやってきた。ゆっくりと闇に落ちていた空と海の境界線が、しだいにはっきりとしはじめ、ものに色がつきはじめる。
 不意に、ひゅーっと大きな風が吹いた。
「よっ、兄弟!」
 俺は突然背中をどつかれた。振り返ると、朱金の淡い光をはなつ男がニヤリと笑っている。
 顔は、男の俺が見てもどきりとするくらい、すうっとした端正な顔。無駄のないすらりとした体形で、筋肉質な上半身を露出させている。
「えっと、ヘルメスさま?」
「そうだよ、ペルくん、かたっ苦しいなあ。兄弟じゃん。楽に行こうぜ」
 バンバンと人の肩を叩きながら、ヘルメスは笑う。
「メデューサ退治、命じられちゃったンだって? 気の毒に」
 全然気の毒なんて思っていない口調だ。
「アレさ。あの化け物、アテナが作っちゃったやつなんだ。ほら、アテナって乙女じゃん」
 と言われても、同意できるほど俺はアテナを知らない。
「メデューサってさ、昔はすっごい美人だったわけ。ンで、アテナの神域で、ポセイドンのおっちゃんとよろしくしちゃっててさー」
「はあ?」
「まあ、そんで、アテナとしては聖域穢されたってプッツンしたわけなんだよねー」
 アテナの逆鱗に触れたメデューサは、醜い姿に変えられて。それに思わず抗議した彼女の二人の姉たちも、ついでに化け物にしてしまった、と、ヘルメスは話した。
 いや、メデューサはともかく、姉達までって、どーなんよ。神様って、マジ、怖い。
「というわけで、姉の因果が弟にってやつだよねー」
 しみじみとヘルメスが呟く。
 どんな因果だ。
「さすがにさー、半神のペルちゃんに押し付けるだけじゃかわいそうだから、ボクも手を貸してあげるよ」
 ひょいっとヘルメスが白い羽のついたサンダルを取り出した。
「これを履くと、風のように空が飛べる。海を飛んでいくといい」
「飛ぶって、どこへ?」
 俺の問いに、ヘルメスはすうっと暁の海を指さした。
「オケアノスの洞窟に住む、ゴルゴンの姉妹、グライアイに会いに行け。そしてヘスペリデスがどこにいるか聞くといい」
「ヘスペリデス?」
「ニンフだよ。メデューサを倒すのに必要な道具を持っている」
 ヘルメスはニヤリと笑った。
「もちろん、ペルちゃんなら、そんな道具無くてもイケルとは思うけど、ほら、失敗したら困るし」
 ほほえみの中に、なんとなく寒気を感じさせるプレッシャーをにじませる。
「ん、じゃあ、そーゆーことで。ボク、忙しいから、頑張ってねー」
 ヘルメスは言いたいことだけ言うと、ふわりと風に乗って天へと昇っていく。
 俺は、彼が残していったサンダルをじっと見る。
「どうやって使うか、説明くらいしていけよ……」
 神が勝手なのか、俺の兄姉が特別に勝手なのか。いずれにしても、親切じゃねえなあと、俺は思わず呟いたのだった。