――来た。
景ちゃんが教室に入ってきた。今日は礼央くんと一緒だ。
「おはよう」
笑顔で声をかけたら、隣でいちごがちらりとこちらを見たのを感じた。景ちゃんが一瞬目を見開いてから満面の笑みを返してくれる。
「おはよう」
――ああ……、やっぱり好きだ……。
笑顔が自分に向けられたことで、じんわりと胸が熱くなる。この笑顔を見られなくなったら、わたしは一生笑えない気がする。
ちゃんと見上げなかったのは何日かだけのことだったのに、懐かしく感じる景ちゃんの笑顔。こんなふうに笑ってくれるのだから、とりあえずだけれど、避けるのはやめにしてよかった。
近付いてくる景ちゃんにいちごがからかいの言葉をかけている。礼央くんが景ちゃんを庇うふりでさらにからかう。景ちゃんが気の毒になったわたしが別な話題を提供する。久しぶりに四人で会話が弾む。
けれど。
わたしの中にある迷いが消えたわけではない。友だちでいることができればいいのだけれど、今だってどんどん心が引き寄せられて、たくさんたくさん話したい、と思ってしまう。
でも、わたしは普通からはみ出してしまう困った存在だ。そのうえ、浅い考えで景ちゃんを傷付けるようなことをしてしまう。わたしのせいで景ちゃんがまた嫌な思いをしたり困ったりするのは絶対に嫌だ。だから……どうしたらいい?
「ちょっと落ち着いた?」
景ちゃんたちが通りすぎてからいちごにそっと尋ねられた。見返すと、「景ちゃんと話す気になった?」と。いちごにも気付かれていたようだ。ダメなわたし。
「ごめん。気を使わせちゃった?」
「うーん、そんなこと……少しあるけど平気」
にっと笑った顔が親しみやすくて大好きだ。
「紫蘭も景ちゃんも、あたしにとっては信じられる友だちだから」
「いちご……。ありがとう」
信じられる友だち……。
わたしと景ちゃんも信じられる友だちだった。でも、わたしの中に恋愛感情が生まれてしまったからそのままではいられなくなった?
――ああ、分からない。
午前中は迷いの中で過ぎてゆき、お昼休み。静かに考えたくて、ひとりで図書館に向かった。
戸を開けると冷房の効いた空気に包まれた。カウンターにいるのは一年生だ。雑誌コーナーの前はいつものようにくつろいだ雰囲気。書架の間をひとりでめぐっている生徒。机は勉強や昼寝でぽつぽつと埋まっている。
「ふ……」
ぼんやり見回していたらため息が出てしまった。今まで図書館に来てぼんやりしたことなどなかったのに。いつもわくわくしながら本を探していたのに。
「こんにちは」
気付くと雪見さんがそばにいた。穏やかな、落ち着いた微笑みを浮かべて。
「ため息をつくと幸せが逃げちゃうらしいよ」
「あ」
「ぼんやりしているのはめずらしいね」
またいつもと違うことに気付かれてしまった。わたしって、そんなに分かりやすいの?
図書委員の仕事で何度も雪見さんにはお世話になってきたけれど、雪見さんが図書館や本のこと以外を見ているとは考えたことがなかった。でも、たしかにときどき雪見さんに愚痴を聞いてもらったり、嬉しそうに報告しにくる生徒がいる……。
「考えごと? よかったら座ってどうぞ。今日はお客さんが少なめだから」
座席の方を手で示してにっこりした雪見さんを見たら、自分の周りの壁がほろほろと崩れたような気がした。
「なんか……ちょっと凹んでるんです」
思い切って口に出してみた。あんまり深刻にならない言葉を選ぶと、自然と苦笑いが浮かんだ。
「そうなんだ? 何か失敗しちゃったのかな?」
雪見さんの声も表情も静かで明るい。軽い調子の中に気遣いを感じて気持ちが緩む。
「失敗っていうか……、友だちにひどいことをしちゃいました。もともとダメな人間だったのに、もっとダメになっちゃった」
言いながら自覚した。わたしは景ちゃんを傷付けて、ますますダメな人間になったのだ……。
「いやだなあ、ダメな人間だなんて」
「え?」
雪見さんが微笑んでいる。まるでわたしが冗談を言ったみたいににこにこと。これは予想外だ。
「高校二年生で決めちゃうの? そんなの早すぎるよ」
「そ、そうですか……?」
「だって、生まれてまだ十六年か十七年だよね? これからまだまだいろんなことがあって、いろんな人に出会って変わっていくんだよ。なのに、自分の価値を決めてしまうのは早いよ」
「それは……そう、かも……?」
言われてみると、そんな気がしてきた。わたしの一生って八十年? 九十年? その中で、今、十六歳……。
「そもそも人の価値って何? 才能? 誰が決めるの?」
「それは……みんなが」
答えたものの確信はない。そんなわたしに雪見さんがおどけた表情を向けた。
「僕なんか、大人になってからすごくひどい失敗をしたよ」
「お仕事で……?」
「違う違う。他人を傷付けるようなこと」
「そんな。雪見さんが?」
この穏やかなひとが他人を傷付けるなんて。信じられない。
「うん。しかも、自分が何をしたか理解したのは何年も経ってからで。相手が奇跡的にいいひとだったから責められなかったけど、今でも後悔してる。でも、だからってダメな人間にはなっていない……と思うけど、どうかな?」
「雪見さんは全然、その、ダメじゃないです。ほんとに」
真剣に答えると、雪見さんは「よかった」とにっこりした。
「たぶん、ひとの価値って簡単には決まらないんじゃないかな。評価のポイントもいろいろあるしね」
評価のポイント……。
相手や場面によって評価が変わることって、たしかにある。そうは言っても。
「でも、全体的に同じものってありますよね? 雰囲気とか考え方とか……」
「“空気”っていうものかな?」
「ああ、そうです。空気。わたし、そこからはみ出しちゃってることが多くて」
「そうなんだ? あんまり感じたことなかったけど」
それはわたしが気を付けていたからだ――という言葉は飲み込んだ。
「それは苦しいね」
――え?
驚いて見上げると、雪見さんが静かに言った。
「みんなと違うって、なんだか……孤独な気がしない? みんなと一緒にいても」
「そう、です。ええ、そうです」
「自分が言ったことが話の流れに合っていたかどうか、あとで検証してみたりね」
「はい……、します」
雪見さんには分かるのだ。みんなと違うことがどういうことか。
「でも、大丈夫」
力強く、雪見さんの言葉と視線がぶつかってきた。
「今の“みんな”がずっと続くわけじゃないから。学校は特別だよ? 同じ年齢がこんなに大勢で行動する場所なんて、社会に出たらないからね」
「ああ……、そうか」
「それにね、孤独って、自分を育てるきっかけになるような気がするんだよね。もちろん、悲しいっていうのは事実としてあるんだけど」
自分を育てる――。
そんなふうに考えたことなかった。
今までの学校生活の中で、先生がこの言葉を使っていたような気がする。でも、曖昧でつかみどころがなくて、何をしたらいいのかよく分からなかった。でも、孤独が自分を育てる……。
考えこんでいるわたしの耳に、雪見さんの「ほかのひとと違う自分……」というつぶやきが聞こえた。そのままゆっくり言葉が続く。
「みんなと違う自分を自覚する。みんなに合わせるかどうか考える。自分の中の基準を決める。どう生きたいか考える。そんな感じかなあ?」
「それは……つまり、周りに流されるだけじゃなくて……ってことですね?」
「そうそう。自分で選ぶ練習、みたいな。学校を卒業したら、自分で選ばなくちゃいけないことがたくさんあるんだよ」
自分で選ぶ練習……。
ということは、みんなに合わせるかどうかも自分で決めてもいいんだ。つまり、みんなと違うのは悪いことじゃないんだ。それはわたしがわたしであるために必要なこと。
「まあ、学校は集団の力が強いから、みんなと違っているのは負担が大きいよね。でも、負担の少ないグループもあると思うし、ひとりで過ごしたいときにはここがあるから」
雪見さんが館内を見回した。
「そうですね」
そうだ。図書館がある。わたしはここに来るたびに自由を感じていた。ひとりで考えて、選ぶ自由を。
「なんだか元気が出てきました。ありがとうございます」
「そう? よかった。でも、無理しないでね。きちんと相談できる場所もあるからね」
「はい」
ひとりになって書架へと向かいながら、頭がすっきりしているのが分かる。ひとりで考えようと思ってここに来たのだけれど、雪見さんと話せてとてもよかった。
雪見さんはわたしを取り巻く靄を追い払ってくれた。今はわたしの前に広い草原が広がっているように感じる。そしてその向こうには遥かな山並みが。
この世界をどの方向からどこを目指して進むのか、決めるのはわたし。戻ったり、蛇行したり、迂回したり、止まったりすることもできる。途中で誰かと会うかも知れない。そのひとと一緒に行くかも知れないし、すれ違うだけかも知れない。それを決めるのもわたし。
――みんなと違うのは悪いこと?
いいえ。そうじゃない。
――みんなと違うひとはダメなひと?
そう考えるひともいる。でも、そう考えないひともいる。いちごがわたしを好きでいてくれるように。
――わたしは……みんなと同じになりたい?
「ふふ」
笑い声が漏れてしまった。
今までみんなに合わせようと思いながら生きてきた。でも、「同じ」になろうと思ったことは……なかった。
だって、わたしはわたしだから。
読書が好きで、ゲームが好きで、運動が苦手で、メッセージのやりとりで毎回迷っていて、おしゃれの話題にはあんまり興味がなくて、でも見た目は気になって。
勉強は「どうでもいい」って開き直れないからとりあえず頑張っていて、断られるのが怖いから他人に頼れなくて、だからしっかり者だと思われていて、心の中で「それは違うよ」と思っている。
でも、そこそこ優秀って思われたいプライドはあって、けれど、他人に褒められるのは居心地が悪くて、なのに批判を受ける覚悟があるわけじゃない。
滅茶苦茶で、まぜこぜ。でも、これがわたし。
そして、まだ未完成。
わたしは自分を創ることができる。自由に、自分自身で考えて、選んで。
――選んで。
動物園で、景ちゃんは言ってくれた。わたしがみんなと違うから話したくなるって。あのときは変な理屈をつけて自分を否定してしまったけれど、それでも景ちゃんは変わらず友だちでいてくれている。だから。
――ちゃんと話さなくちゃ。
景ちゃんに話そう。なるべく早く。今ならわたしも……覚悟ができた。
景ちゃんが教室に入ってきた。今日は礼央くんと一緒だ。
「おはよう」
笑顔で声をかけたら、隣でいちごがちらりとこちらを見たのを感じた。景ちゃんが一瞬目を見開いてから満面の笑みを返してくれる。
「おはよう」
――ああ……、やっぱり好きだ……。
笑顔が自分に向けられたことで、じんわりと胸が熱くなる。この笑顔を見られなくなったら、わたしは一生笑えない気がする。
ちゃんと見上げなかったのは何日かだけのことだったのに、懐かしく感じる景ちゃんの笑顔。こんなふうに笑ってくれるのだから、とりあえずだけれど、避けるのはやめにしてよかった。
近付いてくる景ちゃんにいちごがからかいの言葉をかけている。礼央くんが景ちゃんを庇うふりでさらにからかう。景ちゃんが気の毒になったわたしが別な話題を提供する。久しぶりに四人で会話が弾む。
けれど。
わたしの中にある迷いが消えたわけではない。友だちでいることができればいいのだけれど、今だってどんどん心が引き寄せられて、たくさんたくさん話したい、と思ってしまう。
でも、わたしは普通からはみ出してしまう困った存在だ。そのうえ、浅い考えで景ちゃんを傷付けるようなことをしてしまう。わたしのせいで景ちゃんがまた嫌な思いをしたり困ったりするのは絶対に嫌だ。だから……どうしたらいい?
「ちょっと落ち着いた?」
景ちゃんたちが通りすぎてからいちごにそっと尋ねられた。見返すと、「景ちゃんと話す気になった?」と。いちごにも気付かれていたようだ。ダメなわたし。
「ごめん。気を使わせちゃった?」
「うーん、そんなこと……少しあるけど平気」
にっと笑った顔が親しみやすくて大好きだ。
「紫蘭も景ちゃんも、あたしにとっては信じられる友だちだから」
「いちご……。ありがとう」
信じられる友だち……。
わたしと景ちゃんも信じられる友だちだった。でも、わたしの中に恋愛感情が生まれてしまったからそのままではいられなくなった?
――ああ、分からない。
午前中は迷いの中で過ぎてゆき、お昼休み。静かに考えたくて、ひとりで図書館に向かった。
戸を開けると冷房の効いた空気に包まれた。カウンターにいるのは一年生だ。雑誌コーナーの前はいつものようにくつろいだ雰囲気。書架の間をひとりでめぐっている生徒。机は勉強や昼寝でぽつぽつと埋まっている。
「ふ……」
ぼんやり見回していたらため息が出てしまった。今まで図書館に来てぼんやりしたことなどなかったのに。いつもわくわくしながら本を探していたのに。
「こんにちは」
気付くと雪見さんがそばにいた。穏やかな、落ち着いた微笑みを浮かべて。
「ため息をつくと幸せが逃げちゃうらしいよ」
「あ」
「ぼんやりしているのはめずらしいね」
またいつもと違うことに気付かれてしまった。わたしって、そんなに分かりやすいの?
図書委員の仕事で何度も雪見さんにはお世話になってきたけれど、雪見さんが図書館や本のこと以外を見ているとは考えたことがなかった。でも、たしかにときどき雪見さんに愚痴を聞いてもらったり、嬉しそうに報告しにくる生徒がいる……。
「考えごと? よかったら座ってどうぞ。今日はお客さんが少なめだから」
座席の方を手で示してにっこりした雪見さんを見たら、自分の周りの壁がほろほろと崩れたような気がした。
「なんか……ちょっと凹んでるんです」
思い切って口に出してみた。あんまり深刻にならない言葉を選ぶと、自然と苦笑いが浮かんだ。
「そうなんだ? 何か失敗しちゃったのかな?」
雪見さんの声も表情も静かで明るい。軽い調子の中に気遣いを感じて気持ちが緩む。
「失敗っていうか……、友だちにひどいことをしちゃいました。もともとダメな人間だったのに、もっとダメになっちゃった」
言いながら自覚した。わたしは景ちゃんを傷付けて、ますますダメな人間になったのだ……。
「いやだなあ、ダメな人間だなんて」
「え?」
雪見さんが微笑んでいる。まるでわたしが冗談を言ったみたいににこにこと。これは予想外だ。
「高校二年生で決めちゃうの? そんなの早すぎるよ」
「そ、そうですか……?」
「だって、生まれてまだ十六年か十七年だよね? これからまだまだいろんなことがあって、いろんな人に出会って変わっていくんだよ。なのに、自分の価値を決めてしまうのは早いよ」
「それは……そう、かも……?」
言われてみると、そんな気がしてきた。わたしの一生って八十年? 九十年? その中で、今、十六歳……。
「そもそも人の価値って何? 才能? 誰が決めるの?」
「それは……みんなが」
答えたものの確信はない。そんなわたしに雪見さんがおどけた表情を向けた。
「僕なんか、大人になってからすごくひどい失敗をしたよ」
「お仕事で……?」
「違う違う。他人を傷付けるようなこと」
「そんな。雪見さんが?」
この穏やかなひとが他人を傷付けるなんて。信じられない。
「うん。しかも、自分が何をしたか理解したのは何年も経ってからで。相手が奇跡的にいいひとだったから責められなかったけど、今でも後悔してる。でも、だからってダメな人間にはなっていない……と思うけど、どうかな?」
「雪見さんは全然、その、ダメじゃないです。ほんとに」
真剣に答えると、雪見さんは「よかった」とにっこりした。
「たぶん、ひとの価値って簡単には決まらないんじゃないかな。評価のポイントもいろいろあるしね」
評価のポイント……。
相手や場面によって評価が変わることって、たしかにある。そうは言っても。
「でも、全体的に同じものってありますよね? 雰囲気とか考え方とか……」
「“空気”っていうものかな?」
「ああ、そうです。空気。わたし、そこからはみ出しちゃってることが多くて」
「そうなんだ? あんまり感じたことなかったけど」
それはわたしが気を付けていたからだ――という言葉は飲み込んだ。
「それは苦しいね」
――え?
驚いて見上げると、雪見さんが静かに言った。
「みんなと違うって、なんだか……孤独な気がしない? みんなと一緒にいても」
「そう、です。ええ、そうです」
「自分が言ったことが話の流れに合っていたかどうか、あとで検証してみたりね」
「はい……、します」
雪見さんには分かるのだ。みんなと違うことがどういうことか。
「でも、大丈夫」
力強く、雪見さんの言葉と視線がぶつかってきた。
「今の“みんな”がずっと続くわけじゃないから。学校は特別だよ? 同じ年齢がこんなに大勢で行動する場所なんて、社会に出たらないからね」
「ああ……、そうか」
「それにね、孤独って、自分を育てるきっかけになるような気がするんだよね。もちろん、悲しいっていうのは事実としてあるんだけど」
自分を育てる――。
そんなふうに考えたことなかった。
今までの学校生活の中で、先生がこの言葉を使っていたような気がする。でも、曖昧でつかみどころがなくて、何をしたらいいのかよく分からなかった。でも、孤独が自分を育てる……。
考えこんでいるわたしの耳に、雪見さんの「ほかのひとと違う自分……」というつぶやきが聞こえた。そのままゆっくり言葉が続く。
「みんなと違う自分を自覚する。みんなに合わせるかどうか考える。自分の中の基準を決める。どう生きたいか考える。そんな感じかなあ?」
「それは……つまり、周りに流されるだけじゃなくて……ってことですね?」
「そうそう。自分で選ぶ練習、みたいな。学校を卒業したら、自分で選ばなくちゃいけないことがたくさんあるんだよ」
自分で選ぶ練習……。
ということは、みんなに合わせるかどうかも自分で決めてもいいんだ。つまり、みんなと違うのは悪いことじゃないんだ。それはわたしがわたしであるために必要なこと。
「まあ、学校は集団の力が強いから、みんなと違っているのは負担が大きいよね。でも、負担の少ないグループもあると思うし、ひとりで過ごしたいときにはここがあるから」
雪見さんが館内を見回した。
「そうですね」
そうだ。図書館がある。わたしはここに来るたびに自由を感じていた。ひとりで考えて、選ぶ自由を。
「なんだか元気が出てきました。ありがとうございます」
「そう? よかった。でも、無理しないでね。きちんと相談できる場所もあるからね」
「はい」
ひとりになって書架へと向かいながら、頭がすっきりしているのが分かる。ひとりで考えようと思ってここに来たのだけれど、雪見さんと話せてとてもよかった。
雪見さんはわたしを取り巻く靄を追い払ってくれた。今はわたしの前に広い草原が広がっているように感じる。そしてその向こうには遥かな山並みが。
この世界をどの方向からどこを目指して進むのか、決めるのはわたし。戻ったり、蛇行したり、迂回したり、止まったりすることもできる。途中で誰かと会うかも知れない。そのひとと一緒に行くかも知れないし、すれ違うだけかも知れない。それを決めるのもわたし。
――みんなと違うのは悪いこと?
いいえ。そうじゃない。
――みんなと違うひとはダメなひと?
そう考えるひともいる。でも、そう考えないひともいる。いちごがわたしを好きでいてくれるように。
――わたしは……みんなと同じになりたい?
「ふふ」
笑い声が漏れてしまった。
今までみんなに合わせようと思いながら生きてきた。でも、「同じ」になろうと思ったことは……なかった。
だって、わたしはわたしだから。
読書が好きで、ゲームが好きで、運動が苦手で、メッセージのやりとりで毎回迷っていて、おしゃれの話題にはあんまり興味がなくて、でも見た目は気になって。
勉強は「どうでもいい」って開き直れないからとりあえず頑張っていて、断られるのが怖いから他人に頼れなくて、だからしっかり者だと思われていて、心の中で「それは違うよ」と思っている。
でも、そこそこ優秀って思われたいプライドはあって、けれど、他人に褒められるのは居心地が悪くて、なのに批判を受ける覚悟があるわけじゃない。
滅茶苦茶で、まぜこぜ。でも、これがわたし。
そして、まだ未完成。
わたしは自分を創ることができる。自由に、自分自身で考えて、選んで。
――選んで。
動物園で、景ちゃんは言ってくれた。わたしがみんなと違うから話したくなるって。あのときは変な理屈をつけて自分を否定してしまったけれど、それでも景ちゃんは変わらず友だちでいてくれている。だから。
――ちゃんと話さなくちゃ。
景ちゃんに話そう。なるべく早く。今ならわたしも……覚悟ができた。