「なんで上履きの片方だけなくすのよ」
「それには深い事情がありまして」
「また何かしでかしたんじゃないでしょうね」

 完全に私が悪いと決めつける口調でママが目を吊り上げている。
 愛娘が上履きを片方なくしたと報告してきた場合、普通ならいじめとか疑って心配してもらえると思うんだけど。

「日頃の行いよ!」
「はっ!心を読まれた!」
「顔を見れば何を考えているか位わかるわよ」

 何年あんたの親をやってると思ってるのと言われたので、素直に私の年を答えたらさらに怒られた。理不尽だ。
 もろもろの小言はついてきたが何とか新しい上履きを買うお金は手に入れた。
 明日の放課後に買いに行くべきかと思ったが、上履きなしで過ごすほうがずっと怪しい。
 ならば今日中に買って明日から新品の上履きで過ごしたほうがいいだろう。

「ママ、上履き買ってくるね」
「もう暗いんだから、早く帰ってくるのよ」

 ダメと言わないあたり、うちの親は放任だなぁと思う。

 近所にある二十四時間営業のスーパーには確か上履きが売っていたはずだ。
 自転車を飛ばせば五分もかからない。さっさといってさっさと帰ろう。
 そう思って玄関を開け、自転車の鍵を開けていると、背後に人の気配を感じた。
もしかしてママが心配してついてきてくれたのかと振り返ると、そこにいたのは。

「やあ」
「っ・・・・・・・!」

 人間、本当に怖いときは声が出ないって本当ね。
全力で叫んだつもりなんだけど、情けない感じの声しか出なかった。

「これ、君のだよね」

 差し出されたのは片足の上履き。めっちゃ見覚えある汚れ方をしたそれを凝視する私の目は顔から零れ落ちていないだろうか。
 そこに立っているのは紛れもないクソ野郎もとい、私の初恋の相手、成島弘人先輩だ。

「俺、サッカー部の成島弘人っていうんだけど」

 知ってます。生年月日も身長も好きな色も食べ物も、苦手な科目は数学で好きな授業は体育だってことも存じ上げております。
ちなみに好きなアイドルは地下アイドルの「みなみん」で、こっそり切り抜きを生徒手帳に挟んでいるのも知ってます。

「は、はあ」

 我ながら間抜けな返答しかできない。
 初めてまともに会話しちゃったよへへへとうっかり喜んでしまっている。
 忘れたか、こいつは顔だけクソ野郎だぞ!

「これ、君のだよね」
「!」

 さわやかな笑顔に白い歯。
 一目ぼれした時と変わらぬイケメンが目の前でほほ笑む。
 私のなくした片足だけの上履きを持って。私達、まるでシンデレラと王子様ね、なんてモノローグ頭に流れかけるが、必死に頭を振って振り切る。
 これは少女漫画ならキラキラとした背景で彩られるシーンなんだろうけど、描くならば黒ベタに雷が躍る背景がふさわしい。
 なぜながらその上履きは私が先輩の顔にジャストミートさせた上履きなんだから。

「いや、違います」
「ここに『さえじまゆりか』って書いてあるんだけど」
「はぐう!」

 ママが!持ち物には!全部名前を書きなさい!って言うから!めっちゃ言うから!

「違います。私は『さえじまゆりか』ではありません」
「でもここ、冴島さんの家だよね」
「・・・私は冴島・・・みさえです」
「みさえちゃん?」
「そう、みさえです」

 何だよみさえって。思い切りひきつった笑顔になっているであろう私を見つめ、成島先輩はふうんと目細めた。

「そっか、人違いならしょうがないね」

 嘘だろ、何とかなったぞ。ありがとう、みさえ。
 どこの誰は知らないが、名前を貸してくれてありがとう。

「じゃあこの上履きは君のじゃないんだね」

 成島先輩は上履きを鞄にしまい込む。
 え、持って帰っちゃうの?なんで?捨てて!捨てるなら私に頂戴!そうすればこの上履き代は丸ごと私の懐に収まるというのに!お菓子!お菓子がたくさん買えちゃうよ!

「よだれ出てるけど」
「気のせいです」

 危ない危ない。
 お菓子の魅力で選択を誤るところだった。ここで成島先輩に私の正体がばれたらお菓子どころじゃないだろう。落ちつけ私。

「夜遅くにごめんね、ユリカちゃん」
「いえ、お気遣いなく・・・あ」

 にやりと成島先輩が笑った。イケメンが笑うと綺麗すぎて怖いって本当なんだ。
 わーこわーい。
 私の青春が音を立てて壊れていく未来が目に浮かぶ。
 サッカー部のイケメンエースというヒエラルキーのトップに歯向かった私の残りの学園生活は地獄と化すだろう。

「やっぱり君がユリカちゃんだったんだね」

 血みどろの未来を妄想している私に成島先輩が近づく。
 やはり倍返しだろうか。外を歩いてきたスニーカーは勘弁してほしい。いや、サッカーのスパイクよりはましかもしれない。
 どちらにしても嫁入り前の若い娘なんで顔だけは勘弁してください。ボディにしてください。

「ユリカちゃん」

 先輩の手が私に伸びる。
 衝撃に備えてぎゅっと目をつぶるが、いくら待っても何も飛んでこないしぶつかってこない。
 もしかして目を開けるのを待って攻撃してくるつもりだろうか。恐ろしい。恐ろしい男だ。

 覚悟を決めてそっと目を開く。

「・・・!」

 そこに待ち構えていた光景は想像の斜め左上を行くものだった。