「さて」
おかしい。
最初は儚く散った初恋物語が始まるはずだと予感していたのに予想外の逃亡劇へと様子を変えてしまった。
砕けたとはいえ恋は恋。
諦めきれぬ想いに身を焦がすのかと思ったが、今の私にあるのは家に帰って隠し撮りで手に入れた先輩の写真や、夜中に書いては引き出しにため込んだポエムまがいの手紙を破り捨てて燃やしたという衝動だけだ。
「とりあえず帰ろう」
大抵のことは家に帰ってご飯を食べてお風呂に入って寝たら解決するのだ。
この騒ぎも明日になれば収まるだろう。
クソ野郎たちはまだ私を探し回っているらしく、校舎内が賑やかだ。片足だけになった上履きを脱ぎ捨て鞄に忍ばせる。
おそらく相手は片足の女を探しているはずだ。それから来客用の玄関に向かう。
天は私に味方しているらしく、誰にも見つからずにたどり着くことができた。
そして何食わぬ顔をして来客用のスリッパを履いた。少なくともこれで私は上履きを忘れたか無くしただけの平凡な女生徒だ。
「・・・誰もいないな・・・」
きょろきょろとあたりを確認しながら下駄箱に近寄る。
先ほどまでとは違い、下駄箱付近は閑散としている。
誰か見張りがいるかと思ったが、幸いなことに誰もない。一安心と胸をなでおろして自分の靴箱に近づいた。
「あ、あの」
「ひいぃぃ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
背後からかけられた声に反射的に土下座する。
謝罪は最初が肝心だって亮介も言っていた。
「いえ、その、私、違うんです」
「へ?」
頭上から戸惑った様子の可愛い声が聞こえる。
あれ?女の子?
顔を上げるとそこにいたのは、可憐な美少女。
「目の保養」
「え?」
「いえ、口が滑りました」
「?」
美少女は困り顔ながらもほほ笑んで首を傾げている。
可愛い。普通に可愛い女の子だ。癒される。こんなに可愛い女の子が私の半径一メートル以内にいるなんて。でもこの子にはどこか見覚えがある。
「あの、さっきはありがとうございました」
「さっき?」
「私、本当に男の人を見る目がなくて・・・先輩が仕返ししてくれて、凄く嬉しかったです」
潤んだ瞳で笑う彼女の顔には見覚えがあった。
「あ、告白少女!」
そう、上履き顔面直撃事件(今命名した)の発端になった人物。
放課後の下駄箱で公然と告白をしたツワモノだ。
「はい、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる美少女からは、やっぱり花のような甘い匂いがした。
こんな最高にいい子にクソ野郎はあんな暴言を吐いたのだ。
顔面に上履き程度で済んで幸運と思ってもらわないと困る。つまり私が責められる理由は何もない。うん、納得した。
「いいのよ!私がやりたかっただけなんだから!」
「私、1年の花村茉莉って言います」
茉莉ちゃん。可愛い子は名前まで可愛い。
「私は2年の冴島ユリカ」
「ユリカ先輩・・・あの、その」
茉莉ちゃんがもじもじと両手をもみ合わせながら上目遣いに私を見つめている。
ほんのり赤い頬はリンゴみたいで本当に可愛い。可愛い女の子最高。
「私と友達になってくれませんか?」
「よろこんで!」
間髪入れずに答えた私に茉莉ちゃんは一瞬たじろいだ気がしたけれど、すぐにふわふわの笑顔で喜んでくれた。
「嬉しい!よろしくお願いします!」
ぎゅっと茉莉ちゃんの両手が私の手を掴む。細くてきれいな指先。可愛い女の子は爪の形まで可愛くできているらしい。私の丸くて形の悪い爪が引き立つぜ。
「こちらこそよろしく」
社交辞令でも嬉しい。可愛い後輩の友達ができたって今度亮介に自慢しまくってやろう。
「あ、あの」
「ん?」
茉莉ちゃんはまだ何か言いたそうにもじもじしている。私の手を握りこむ力が強くなる。如何に可愛い女の子といえども、ずっと手を握られていると不安になってくる。
「お、お姉さまって呼んでいいですか」
わーお。
私それ知ってる。聖なんとか女学園とかで後輩が先輩を呼ぶ時に使うアレでしょ?薔薇の花って柄じゃないから、むしろ豚バラ肉がお似合いですから、私。
「おおおおねい様?」
「はい、ユリカお姉さま!」
まだいいなんて一言も言ってない。
てか、茉莉ちゃんが私を見つめる視線が、妙に熱っぽいよ。いやいや、これは単なる先輩への憧れからくるものでしょ。
「私、目が覚めたんです。人は見た目じゃないって。運命って本当にあるんですね」
うっとりと熱っぽく私を見つめる茉莉ちゃんは握りしめた私の手を真っ白な手が撫でまわしてくる。
「あはははは」
とりあえず、そっと茉莉ちゃんから手を取り返して一歩後ずさる。
そして流れるような動きで自分の下駄箱から靴を取り出しスリッパを収納する。
「じゃ、じゃあ私塾の時間があるから」
「はいお姉さま!お気をつけて!」
可愛らしく手を振ってくれる茉莉ちゃんに大きく手を振ってダッシュで校舎を飛び出す。
塾ってなんだよ、通ったこともないわ。
そっと振り返れば、茉莉ちゃんは下駄箱でまだ私を見送っていた。
夕暮れ校舎にたたずみ手を振る美少女。絵面だけなら少女漫画なのに、私の中でのBGMはホラー調にしかならない。
身ぶるいしてから私は家へと全力疾走した。