「分かりました。ところでもう一つお伺いしてもよろしいでしょうか」

「何だ」

「先ほどの禁色というのは何でしょう」

「……、随分と今更だな。色屋で働いていたのにそんなことも知らないのか。まぁ色のことは専門家(秋月)に聞け」


 なんでもないように言われる言葉が今は叶わないと知っているから、少しきつい。


「見鬼の才がなくなったんです。もう店長には会えません」


 そう告げると帝は怪訝そうな表情を浮かべた。


「どうして私がお前に会いに来たのか、本当に分かってないのか?」

「えっ」

「気づかないのなら選択肢は二つしかないぞ。今のまま生きていくか、あやかしに関する記憶を今ここで全て私に消されて生きていくか。どちらを選んでもいい。どちらを選んでもお前は普通に生きていける」

「私は……」

「あれから季節は随分と移ろいだ。お前の心はどうだ?」


 帝は立ち止まり、私を見上げた。私は彼を見下ろしているはずなのにまるで彼に平伏しているような感覚にさえなる。それは威圧感ではなく、従わなければと思わせるような力だ。だけど。


「どちらも選びません。お願いします。もう一度私と見鬼の儀を交わしてください」


 頭を下げると、帝は楽しそうに笑った。


「確かに秋月が言っていた通りの人間だな」

「え、店長私のことを何て言ってました?」

「聞きたければ直接聞け。願い通りこれから見鬼の儀を交わしてやる」


 角を曲がり辿り着いたのは初めて来る神社だった。どうやら元々目的地はここだったようだ。


「ここは?」

「普段はここは常世へと繋がる路だが、私の力で色屋がある狭間へと繋げてやる。鳥居は路を繋げやすいからな」


 帝というのはそんなこともできるのか。


「そういえば制服とやらは捨てていないか?」

「まさか!捨てるなんてあり得ません!今は家に保管しています。またいつかそれを着られる日がくればと思って」

「そうか。大事にしているのなら織も喜ぶ」

「織?」

「その着物を作った呉服屋の若旦那だ。色も生地も柄も指定されて特注で作るのが大変だったと漏らしていたな。まぁ嬉しい悲鳴のようだったが」

「店長はそんなこと一言も」


 色にだけこだわってくれたものだとばかり思っていたけど、他にもいろいろ考えて選んでくれていたのか。そういうのを押し付けがましく言わないところがなんとも店長らしい。


「秋月の着物はまるで喪服のようだろ。実際あいつの中でそういう意味があるんだろう。昔はもっと様々な色の着物を着ていたが、あの事件以来黒い着物しか着なくなった」


 確かに初めて会った時あの黒はまるで喪服のようだと思った。だけど本当にそんな意味が込められているなんて思いもしない。


「私、店長について知らないことだらけですね」

「知らないならこれから知っていけばいい。簡単なことだ」


 さらりとすごいことを言う。


「仄暗く落ちたあいつの世界を色づけることは私には出来なかった。だからお前に会いに来た。お前の意志が固まっているのなら儀式を行うためにな」

「どうしてこのタイミングで?」

「事情があった。この半年間本当にな。だがあいつをあのまま腐らせるわけにはいかない。──さて、始めようか」


 人通りのない神社の鳥居の前。死角になりそうな木陰に腰を下ろした。私は求められるがままに左腕を差し出す。するとどこからか突然現れた──おそらく従者が差し出した──小刀で、言われるがままに腕を切った。そして帝の小さな猫の腕にも傷をつける。帝は力が強いため意識させれば普通の人間にも見えるらしいので、私と話ができている今はその状態だ。だからこの光景を見られたら動物虐待で通報されてもおかしくないわけで、そのことも含めていろいろな意味の緊張感が入り交じりながら儀式は進んだ。


「血を一滴交換するだけじゃないんですね」

「それでも一応成立はするが、それだと一時的な効果しかない場合が殆どだ」

「だから私は急に見えなくなったんですか」

「そうだ。本来ならあれほど微量の血でそこまで長く見鬼が保たれるはずはないのだが──ああ、そうだな伏木」


 帝が突然何もない空間に向かって話し始めた。いや、そこに誰かがいるのは分かっているのだけどそれでも違和感しかない。


「従者の方ですか?何と?」

「陛下のお力は歴代随一ですからと言っている。まぁ確かにそれが理由だろう。さぁ、これで完了だ」


 帝がそう告げた瞬間、帝の後ろに猫耳が生えた人間──いや、あやかしが二人現れた。急に現れたのではない。私が見えるようになったのだ。彼らは険しい表情でじっと私を見つめているけど何も言わないので、私も何も言わなかった。


「さぁ、鳥居をくぐれば狭間だ」

「行きます。ありがとうございました」

「礼を言わなければならないのはこちらだ」


 その瞬間、帝の姿は猫から猫耳が生えた人間へと変化した。白い毛並みに竜胆の瞳。きっとこれが本来の姿なのだろう。


「秋月のこと、心から感謝申し上げる」


 そうして帝は私に向かって恭しく一礼した。なぜか後ろの従者二人がとんでもない形相をしたため、私はもう一度丁寧にお礼を言ってから足早に鳥居に向かった。


「さて、常世へ戻るぞ」

「陛下は秋月殿の元へはいらっしゃらないのですか?」

「ああ。馬に蹴られたくはないからな」


 ──馬?

 彼らの会話に少し耳を傾けながら、鳥居をくぐった。