──半年が過ぎた。

 あれから何をしても見鬼は戻らなかった。見鬼がなければ狭間にもいけないようで、何度鳥居をくぐっても見慣れた竹林は現れなかった。

 あの日鳥居の外に飛ばされていたのは見鬼を失ったからだろう。どうして失ってしまったのかは分からないけど、突然得たものだ。突然失っても仕方がないのだろう。

 そう自分に言い聞かせて平生を装って、それでも心にはポッカリと大きな穴が開いたようで本当は何もかも儘ならない。あの非日常がいかに日常になっていたのかを痛感した。もしかしてあれは壮大な夢落ち……と思ったこともあったけど、唯一手元に残った若苗色の着物だけが記憶を現実と繋ぎ止めてくれた。

 それからしばらくして金銭的余裕がなくなってきて他のバイトを始めた。やっぱり普通の労働はこうだよなぁと労働のなんたるかを考えながら私は忙しなく働いた。


 三月。冬の雪と春の桜が共存する不思議な季節。なんとなく足が向いて私は木ノ坂町へ赴いていた。

 小原さんの家は既に引き払われ、枯れ木だった桜の木もそのままでは危ないからか切られていた。やはりあれが最後のタイミングだったのだ。

 あれは見鬼がなければなし得なかったこと。決して長い時間だったわけではないけど、確実に私の世界を変えた時間だった。


 ──ああ、干渉に浸ったって仕方ないのにな。


 そう大きく深呼吸をしたとき。


「半年前、この辺りに雪の桜が降ったそうだ。さぞ美しい光景だったんだろうな」


 後ろで誰かが話している。それ私も見ましたよと思いながら振り向くとそこには誰もいなかった。あれ、まさかの幻聴。私もついにここまできてしまったのだろうか。


「下だ」


 再び声がして下を向くと足元にいたのは白猫だった。


「猫……」

「愛らしいだろ?」

「!!」


 私はこれでもかと目を見張る。だって今喋ったのは紛れもなくこの白猫だ。


「な、何で、え!まさか見鬼戻った!?」


 慌ててキョロキョロと周りを見渡すけど他のあやかしの姿はない。ここに他のあやかしはいないという可能性は十分にあるけど、猫は極めて冷静な様子で「戻っていない」と言った。


「それならどうして」

「それよりまず先に確認したいんだが、お前が色屋に勤めたという娘か?」

「なんで」

「答えよ」


 理由は言わないけど答えろと。その横暴さには過去に嫌な思いをしたから素直に答えるのは少しだけ悔しくて、だから。


「猫さん、綺麗な竜胆色の瞳ですね」


 そう言った瞬間なぜか突風が吹いたけど白猫が「やめろ」と言った途端にやんだ。

 ゾクリとした。まさか私に見えていないだけで他に誰かいるのだろうか。


「なるほど。許可されない者が帝の色に触れるのは不敬だとは教わらなかったようだな。本来なら死罪に値するが私を助けてくれたことをもって一度目は許そう」

「帝?助けた?」

「そうだ。私が常世の帝だ」


 猫は私から視線を外してゆっくりと歩き出した。状況が分からない私はその後をついていくしかない。


「なんでそんな偉いあやかしが……助けたって何……?」

「本当に覚えがないか?この愛らしい猫に」


 あやかしってわりと自己肯定感が高いことが多い気がする。余計なことを考えていたとき、ふとあの日の光景がよみがえった。


「もしかしてあなた、あの時私を引っ掻いた猫!?」


 完全にうっかりどころではない傷跡を残していったあの猫。つまり私が見鬼の才を得ることになった原因だ。


「そうだ。あの時はすまなかった。他のあやかしに襲われていたのだ。お前がちょっかいをかけてきたお陰で隙ができて逃れることができた。遅くなったが礼を言う」

「い、いえ」


 横暴なあやかしかと思ったけどそうでもなかった。むしろ帝と言っていたし、こんなに偉いあやかしに頭を下げさせて私の方が大丈夫なのかと心配になる。


「だけどどうして今ここに」

「その前に少し昔話に付き合ってくれるか。お前がよく知るあやかしの話だ」

「はい」

「飽月。名を秋月と名乗っているな」


 思わず息を呑む。店長の話だ。


「色屋のことは昔から呉服屋を通じて懇意にしていた。その頃は店を構えずに客からの紹介でのみ商売をしていた。秋月の力が真実どう言うものか聞かされているか?」

「色を移す力だと」

「あいつがその力を使ってあやかしを消したことも聞いているな」

「はい」

「その理由は?」

「教えてもらっていません。話せないように呪いがかかっていると言っていました」

「ああ。その呪いをかけたのは私だ」

「どうして帝さんが」

「簡単なことだ。あやかしを消す原因を作ってしまったのが私だからだ。私は帝という立場上、敵が多い。秋月と商談を交わしている際にあやかしに襲われた。秋月は私を助けるために咄嗟にそのあやかしから色を奪ったのだ」


 自分のためではなく、店長は助けるためにその力を使ったのか。


「それならどうして口封じするようなことをしているんですか。それに加え店長は色を奪う力までとられています」

「知っている。それも私が奪ったのだからな」

「えっ」


 確か店長は店主に力を奪われたと言っていた。繋がる。だけど繋げていいのだろうか。全ての辻褄を合わせるならこのあやかしは。


「帝さんって、まさか色屋の店主なんですか……?」

「そうだ」

「やっぱり!」


 まさかそんな大物があの店の後ろ楯にいたなんて。

 と、そのとき後ろから車が走ってきて私は慌てて帝を抱き上げた。帝は目を丸くしたあとで笑った。


「大丈夫だ。それよりも迂闊なことをしてあまりこいつらを煽るな。今にも食らいつきそうな顔をしている」


 やはり誰かいるらしい。しかも複数。