「せっかくだから少し寒いけれどお花見しましょう。あれ、この場合雪見になるのかしら?まぁどちらでも良いことよね」
「小原さん、先に着替えたほうがいいのでは」
「あ、そうね。興奮しすぎて忘れていたわ」
茶目っ気のある人だ。それから二人で着替えて縁側に座った。着替えるときにそれとなくヒヨコさんとモモさんも拭いてあげたから大丈夫だろう。ヒヨコさんは相変わらず私の頭の上に乗り、モモさんは縁側に座る小原さんの膝の上で丸くなった。きっと普通の猫だったときもそこがモモさんの特等席だったのだろう。
季節外れの雪と季節外れのお花見。まるで現実ではないような時間だ。
「お花見といえばお団子よね」
「もしかしてこれ手作りですか」
美味しそうな三色団子だ。
「ええ。まだ主人も桜も元気だった頃、毎年これを作ってここでお花見していたの」
「そうなんですね」
小原さんが用意してくれたお皿と湯飲みはそれぞれ五つずつある。私と小原さんと、多分一つはご主人のお供え分だろう。それならあと二つは。
「これは?」
「これは主人の分で、あとはモモとあの桜の木の分よ」
「僕の!?」
名前を呼ばれたモモさんが飛び上がって喜んだ。だけどヒヨコさんが慌ててそれを止めた。
「おい食うなよ!」
「え!」
「当たり前だ!急に団子が浮かんで消えたらばあさん驚いて死ぬぞ!」
「そ、それは嫌です!うう~~三七子さんのお団子~~」
なんとも恨めしそうだ。あとでうまく理由をつけて貰って帰って食べさせてあげよう。
「モモちゃんってたくさん食べる子でした?」
「そうなのよ。いつもニャーニャー鳴いて私におやつをせがんでくるようなやんちゃな男の子だったわ。健康のために主人はあまりあげすぎるなって言うんだけど、おねだりが可愛くてついあげてしまっていたわ」
「私も実家に猫がいるので、お気持ち分かります」
「あらそうなのね。モモは主人が拾ってきた猫なの。可哀想に、捨て猫だったのよ。ずっと動物なんて飼ってきたことがなくてあの人は動物が嫌いだと思っていたから、拾ってきて飼うと言い出したときは驚いたわ。昔気質でぶっきらぼうだけど、根は優しい人だったからきっと放っておけなかったのね」
昔の思い出を語るその横顔には楽しさと切なさが共存している。
「だけどモモはすぐにあの人の忘れ形見になってしまった」
「……っ」
「モモがうちに来たのはあの人が病気で余命宣告を受けてすぐのことだったから」
小原さんの目から涙がこぼれ落ちた。それを見てモモさんは慌てて拭うように涙を舐めようとするけど、モモさんはあやかしが見えない小原さんに触れることはできない。どちらも見えてしまう私にはそのすれ違いがたまらなくもどかしい。
「ごめんなさい。楽しいお花見にするはずが」
「いえ。もう最後ですから、たくさん話したいことを話してください」
「ありがとう。山岡さんもたくさんお団子食べてね」
涙を拭い、小原さんは笑う。
「ありがとうございます。あの、少し気になっていたんですがどうして名前がモモになったんですか?オスでモモって珍しい気がするんですが」
「それね、いつも呼びやすいからモモって呼ぶのだけど本当はモモセっていう名前なの。主人がつけたのよ」
「モモセ……」
猫につけるにしては珍しい名前のような気がする。
「由来は聞いても教えてくれなかったわ」
「僕知ってます!」
モモさんが小原さんの顔を見上げながらそう告げた。たとえ聞こえていなくても今彼が話しかけているのは私ではなく小原さんだ。
「誠一郎さん、自分はもう長く生きられないから、お前はあの桜の木みたいに長生きしてずっと三七子さんの側にいてやってくれって僕に言ったんです。それこそ百年でも生きろって。お前の名前にはそういう願いがこめられているんだぞって」
百年──ああ、百世。
「でも誠一郎さんが死んで、桜も枯れて消えちゃって、僕も死んじゃって。何も叶えてあげられなかった。約束守れなかった。悔しかった。だからせめて三七子さんが僕たちの思い出が詰まったこの場所を出ていく前に、願い事を叶えてあげたいって思ったんだ。僕、誠一郎さんのことも三七子さんのことも大好きだから」
「……っ」
ああ、ダメだ。ずっと必死に耐えていた涙がこぼれてしまった。悟られないように横を向いたけどきっと小原さんには見られてしまった。
「山岡さん?」
小原さんは心配そうに私を見つめる。勝手に押し掛けて勝手に話を聞いて勝手に泣いて心配をかけている。
「っ、すみません、大丈夫です」
伝えてしまいたい。伝わらないかもしれないけど、その全てを今このまま伝えてしまいたい。根拠を提示できない言葉はただの妄想や空想と変わらないと分かっている。それでも今聞いた言葉を贈られるべき相手に贈りたい。届けたい。今の私にはそれができる。届くはずのない言葉を届けられたらどんなにいいだろう──。
「小原さん、実は私モモさんのことが見え」
「早苗、伝えるべきを間違えるなよ」
ヒヨコさんが私の頭を軽く突いたことで、私の意識は強制的に引き戻された。ハッとした。
〝僕もこの桜の木にいたあやかしもずっと幸せだったよって、それだけ伝われば十分です〟
「山岡さん?今なんておっしゃったの?」
「あ……」
きっとそれは私が勝手に取捨選択していいことではないのだろう。伝えた言葉も伝えなかった言葉も、きっとそのどちらにも意味はあるのだ。
「その、モモさんが夢に出てきたときにこう言っていたんです。僕もこの桜の木もずっと幸せだったよって。信じてもらえるか分かりませんが」
「信じるわ」
「えっ」
「だって事実は小説より奇なり。そうでしょう?」
小原さんは涙を浮かべながらそう言ってお茶目に笑った。