全国各地で真夏日を記録する八月。常世は現世に比べればとても涼しいと聞くけど、常世と現世の境にある狭間は現世の影響を受けやすいのか暑い日が続いていた。私はそんな暑さに対抗すべく、十五夜堂の前で打ち水をしていた。ヒヨコさんがいたらきっと嫌がっていたけど今日はまだ来ていない。
と、竹林の奥から誰かが歩いてきたのが影で分かった。その影は不自然なほどやたらと小さい。子供だろうか、いや子供にしても……と思っているとその正体に気づいて目を丸くした。猫だ。三毛猫だ。三毛猫が二足歩行でこちらに向かって歩いてきている。
山影さんのように人間の姿に耳や尻尾がついているそれではなく、完全に猫だ。現世で普通に見かけるような猫だ。だけどまさか普通の猫がこんな風に二足歩行をするはずもなく、あやかしだということはすぐに分かった。
猫は驚く私の目の前までやってきて。
「ここは色屋さんですか?」
喋った。喋る猫は一番最初に見ているから今さらといえば今さらなのだけど、それでもやはり猫の口から「にゃー」以外の流暢な日本語が出てくるのは違和感がある。
「は、はい。色屋です。色をお探しですか?」
「違います」
──ん?
「色をお探しではないのですか?」
「違います。僕が探しているのは花です」
「ここは色屋でして、花屋ではないのですが」
「分かってます」
どうしよう。何だかよく分からないお客さんが来てしまった。もっとちゃんと話を聞かないと事情が掴めない。
「あの、外は暑いですからよろしければ中へどうぞ。お話聞かせてください」
「僕の話聞いてくれるんですか?」
「はい。聞かないと分からないので」
「ありがとうございます!!」
わりと店員として当たり前の対応をしただけなのになぜかものすごく感謝されてしまった。
戸を開けると店長はわざとはだけさせた胸元を団扇で扇ぎ、暑さにうだっていた。もちろんお客様に見せられる格好ではないので「店長、猫のお客様が」と伝えると店長はすぐに「猫!?」飛び上がって身なりを整えた。
確かにここも暑いけど現世で暮らしている私にしてみれば許容範囲といったところだ。だけど店長はめっぽう暑さに弱いらしい。正直私的には気温というより店長の全身黒ずくめのほうが見ているだけで暑い。色屋としてせめて視覚から清涼感を得ることは可能な気がするのだけど、店長はなぜかそれをしない。
「初めまして店長さん」
「ああ、猫。三毛猫……初めましてですね。ああ」
「?」
店長の様子が少しおかしい。暑さで呆けでもしているのだろうか。だけどそれもすぐに落ち着いていつもの店長に戻っていた。
飲むだろうかと思って猫さんに水が入ったコップを出すと、器用に両手を使って人間さながらに飲んでいた。きちんとイスに座っているけど小さすぎてカウンターの内側の店長からは猫耳くらいしか見えていないのではないだろうか。尻尾が左右にパタリパタリと揺れていて、ヒヨコさんがここにいたらさぞ可愛い光景が見られたかもしれない。惜しい。いや、猫は雀を食べる……?と段々と思考がずれかけてきていることに気づいてそれを消し去るように首を振った。
「店長、この猫さんは花を探されているらしいんです」
「ここは色屋なんだが?」
「それは分かっているそうなんですが」
私もそこから先はまだ聞いていないため、視線を猫さんに向けた。
「僕、モモって言います。現世から来ました」
三毛猫のモモ。オスの名前にしては可愛らしい。いやそれよりもオスの三毛猫って確かかなり珍しいのでは。あやかしだから関係ないのだろうか。
「お願いします!現世にある桜の木をもう一度咲かせてほしいんです!」
「は?桜の木を咲かせる?生憎だがここは色屋、俺に花を咲かせる力はない。冷やかしなら帰ってくれ」
今の言葉で完全に畑違いだと思ったのか、店長の接客モードは早々に切れてしまった。私としても桜の木を咲かせてほしいなんてまさかそんなことを言われるとは思いもしない。
だけど彼は折れなかった。
「冷やかしじゃありません。本気でここに来ました!」
「……」
「お願いします!」
モモさんは小さな背中をさらに小さくして頭を下げる。彼はその背に何を背負っているのだろう。
「店長、話だけでも聞いてあげませんか?」
「…………手短に話せ」
溜め息を吐きながらも受け入れてくれる。やっぱり店長はなんだかんだで優しい。モモさんの表情がパァッと明るくなった。
「ありがとうございます!現世に枯れてしまった桜の木があるんです。僕はどうしてもそれをもう一度咲かせてあげたいんです」
「あのなぁ、それは色屋に頼むことじゃないだろ。出来るかは知らんが普通に考えるなら花屋とか再生屋とかの仕事じゃないのか?常世にあるぞ。場所が分からないのなら案内してやろうか」
花屋は分かるけど、再生屋とはなんだろう。