翠玉と、同じ髪型。同じ服装。
小柄な――翠玉もずいぶん小柄だが――娘である。年の頃は、あまり変わらないように見えた。
「三家の呪いは、江家が主導したものではないか!」
円らな瞳が愛らしい娘である。それがきりりと凛々しい眉を吊り上げ叱責してきたのだ。翠玉は驚き、清巴を見て「どういうことです?」と聞いた。
清巴は「ご紹介します」と困り顔で、娘を腕で示した。
「こちらは、劉家のご息女で、劉李花様です。翠玉様と同じように、呪詛の件を解き明かすべくこちらにいらっしゃいました」
やはり、同じ三家の出身だった。
視線を李花に戻せば、その表情に友好の兆しは見えない。
「あ……えぇと、その、よろしくお願いします」
「並べられるのも不愉快だ。劉家は潔白。それを証明するためにここへ来た」
李花は「絶対に、邪魔は、するな」と翠玉を指さして念押ししてきた。
こうなると、翠玉も黙ってはいられない。
「江家とて、呪詛には無関係です!」
「盗人猛々しい。江家のせいで、我らがどれほどの苦渋を舐めさせられたか!」
売られた喧嘩は受け流す主義だが、呪いの話は別問題だ。
「江家は決して呪詛など――」
「黙れ! 劉家は江家に騙された――」
ふたりの間に、清巴が割って入る。
「ご両者、そこまでに」
互いに眦を吊り上げていた翠玉と李花は、ふん、と音を鳴らして鼻息を吐き、そっぽを向きあった。
(黙らせるには、事実を明らかにするのが一番早い)
改めて強く決意し、
「清巴さん。祈護衛に伝わる資料を、なんでも構いませんので見せてください」
と翠玉が言えば、
「江家に見せる必要はない。私が調べます」
と李花も言い出す。
キッとふたりの視線がぶつかった。
そこに清巴が割って入る。
「わかりました。斉照殿をご案内したのち、内密に、祈護衛の書庫へご案内しましょう。見聞きしたものに関しては、くれぐれも他言無用に願います」
「「もちろんです」」
翠玉と李花は声をそろえ、また、ぷいと互いに背を向けた。
清巴の先導で、ふたりは廊下に出る。
扉に近い位置にいた翠玉が先に出ようとすると、李花が腕で遮り先に出る。
三度繰り返したが、バカバカしくなってきた。
(子供でもあるまいし!)
いちいち取りあっていられない。翠玉は、おとなしく李花の後ろに続いた。
細い廊下に出れば、いくつもの扉が並んでいる。
「ここは斉照殿の裏手です。我々の宿舎は別にありますが、女官と宦官が十名ずつと、専属の衛兵も五名詰めております。専属の衛兵の持つ長棒には緑の布が巻かれておりますので、見分けが必要な際にはご参考になさってください。夕になると外部の者が出入りいたしますのでご注意を。一夕の鐘でご政務を終えられた明啓様が、外城からお戻りになりますと、お食事を運ぶ宦官が大挙して押し寄せます。三夕の刻を過ぎますと、ほぼ全員が下がりますので、その間だけは、人の耳にお気をつけください」
細い廊下の角を曲がると、今度は広々とした廊下に出た。
窓が大きく、広いだけでなく明るい。なにやら、高価そうな青い壺が対で置いてある。
「斉照殿の中央にあるのが、央堂。お食事などは央堂でなさいます。その左右に、書画骨董を収める部屋がひとつずつ。右鶴の間と、左亀の間。奥にあるのがご寝所です。――この扉の向こうは中庭で、桜簾堂はそちらに」
清巴が示したのは、青い壺の横にある扉だ。
すぐに清巴は反対側にある扉を示して「こちらです」と言った。
「これより、斉照殿の外に出ます。くれぐれも、慎重な行動を。おふたりは、離宮から来た女官、ということにいたします。なるべく口を開かぬように」
念を押したあと、清巴は小さな扉を開けた。
ぱっと視界が開ける。
(こんな小高い場所にあったのね)
昨夜は必死であったし、あたりは暗かったので、建物の記憶は曖昧だ。
白い石畳の階段を見下ろし、それから振り返って斉照殿を見上げる。
山吹色の瓦が、朝の光を美しく弾いていた。
(なんと美しい……)
再び視線を下げれば、白い石畳が続いている。
石畳の果てには、ぐるりと方形に内城を守る塀がある。
瓦はすべて山吹色である。壮観だ。
階段の手すりには緻密な彫刻が施され、獅子の彫像は、今にも動き出しそうな躍動感がある。
物見遊山に来たつもりはないが、なにを見てもいちいち感動してしまう。
階段を下り、彫刻を左右に見つつ進めば、斉照殿と向かいあう形で建つ建物が近づく。
対になっているのか、ふたつの建物は形がそっくりだ。
「あちらの月心殿は、未来の皇后陛下がお住まいになる殿です」
清巴は、左手に月心殿を見ながら説明をした。
「皇后陛下は、まだ決まっていないのですか?」
翠玉が聞けば、清巴は「はい」と答えた。
「現在、三名の姫君が入宮されていますが、正式なご婚儀は陛下の加冠ののち。立后はご即位の年の末と決まっております。今は慣例に従い、仮に夫人、とお呼びしている段階です」
月心殿を越えれば、いくつもの殿が規則的に並んでいる。
どれも同じ、山吹色の瓦の建物だ。
「これが、姫君たちのお住まいですか……」
「妃嬪の殿は、九つ。ひとつの殿には、四つの房がございます。入宮なされた順に北から埋めて参りますので、今はどなたもそれぞれの殿の、北の房にお住まいです」
琴都一の薬問屋は、今年六人目の妻を迎えたと話題になっていたが、比べれば、薬問屋もかすむ。皇帝は皇后以外にも、最大三十六人もの妻が持てるらしい。
広大な居城に、莫大な人の力と富をつぎ込んだ建物。美しく着飾る妻たち。
宇国に殉じた江家との間には、とてつもなく大きな隔たりがある。
とうに知っていたつもりだったが、目の当たりにすれば、いっそう隔たりは強く感じられた。
なんとも言えない気分で、翠玉は歩を進めていく。
「先帝陛下には、亡くなられた太后陛下の他、三十一人の妃嬪がおられました。お子を産まれてご存命なのは四名のみ。今は皆様が万緑殿においでです」
「……他の、皆様は?」
「先帝陛下の喪に服されるべく、髪を下ろされ、郊外の寺院にてお過ごしです」
後宮の妃嬪の思いなど、知る由もない。
だが、美しく着飾る毎日から一転、髪を下ろして祈りに生きる日々へ。その落差は、さぞ大きいだろう、とは思った。
その時――しゃらん、しゃらん、と遠くで鈴の音が聞こえてくる。
別の方向から、しゃらん、と音が重なった。
「あの音は――」
「夫人のお通りを知らせる鈴でございます。音が聞こえましたら、速やかに道の端へ移動してください」
翠玉は戸惑った。もう十分なほど広い道の端を歩いているつもりだ。
「もっとですか?」
「もっとです」
清巴は少し屈んで、さーっと後向きに端まで移動した。
翠玉と李花も、それに倣う。
しゃらん、しゃらん、しゃらん――さらに三つめの音が重なった。
さらさら、と軽い音が聞こえてくる。
音は近づいてきた。衣ずれの音と、涼やかな金属の音。きっと身に着けた宝飾品のぶつかる音だろう。
ほんのりと、得も言われぬ上品な香りが鼻をくすぐる。
(まるで天女だ)
目の端に映る紅色の袍は、目が眩むほど豪奢であった。
ちらりと見えた沓にまで、びっしりと刺繍が施されている。
だが――
(なにをそんなに急いでいるの?)
行列の足の動きは、速い。
優雅な姫君が、どういうわけか下町の女たちと同じように、足を急がせている。
好奇心に勝てず、少しだけ首を傾け、様子をうかがう。
複雑に結われた、艶やかで豊かな髪と、きらびやかな袍だけが見えた。
鈴が無数についた棒を持つ者。大きな朱色の日傘を持つ者と、小さな山吹色の日傘を持つ者。なんとも華やかな行列である。
「紅雲殿にお住まいの、徐夫人です」
小声で、清巴が言った。
その声に、また別の鈴の音が重なる。
まったく同じ編成の、色違いの列が、紅色の列の横に並ぶ。
こちらは菫色の列だ。日傘も、淡い青と紫である。
「菫露殿にお住まいの、姜夫人です」
駆け比べでもするように、ふたつの列は進んでいく。
その二列の速度が、やや落ちたところで、間に入った別の一列が抜き去った。
こちらの列は、白い。
「白鴻殿にお住まいの、周夫人です」
三人が三人とも、背が高く、すらりとして姿がいい。後ろ姿しか見えずとも、康国における、美の見本を眺めている気分だ。
賑やかな三列は、角を曲がって視界から消えていった。
「なにやら、お忙しそうでございますね」
「夫人の皆様は、万緑殿にご挨拶にうかがうのが朝の習いです」
万緑殿は、先帝の子を産んだ太妃たちの住まいだ、と聞いたばかりである。
毎朝毎朝、眩いばかりに着飾り、駆け比べをしながら姑たちに挨拶するらしい。
(ご苦労なことだ)
三人の夫人を見送ったのち、一行はまた歩きだした。