騒つく街中で、廉斗は蹲った。人々の声が、煩いくらいに聞こえるから。
蹲った廉斗に視線を合わせて、暦の手が伸びてくる。優しく耳を塞がれ、鼓動が速くなる。
その瞬間、周りの声は小さくなり、近くにいた暦の声だけが鮮明に聞こえた。

『これで平気やろ?』

廉斗が、その笑顔を守りたいと思った瞬間だった。


終業式も終わり、今日から冬休み。寮でうたた寝していた廉斗は、電話の着信音で目が覚める。
懐かしい夢を見ていたためか、寝起きでもイライラしなかった。
発信者を見ると、純也からだ。

「もしもーし。……え、今から?……わかった。」

電話を切って、廉斗は衣装棚から服を取り出した。

学園を出て右側の商店街を抜けた先に、薄茶色の綺麗な建物がある。ここは星影学園男子寮の一つだ。玄関は二階、一階に食堂と浴室、シャワールームがある。
廉斗の部屋は5階。そして、先程電話で呼び出された玄関へと向かう。
待っていたのは砂那と純也。午後を過ぎたというのに、純也は待合のソファに座ってそのまま眠ってしまいそうだった。
純也はSSにいる間もよく寝ていたが、今日も相変わらず眠そうだ。

「そんなんでちゃんとご飯とか食べれてんの?」
「コイツの同居人が世話焼きで、寝惚けた純也の世話をしてんだよ。ま、同居人つっても小学生だけどな。」
「小学生に世話してもらってんのか。」
「…海里はカッコイイ良い奴だ…。」

寝言のように言い机に突っ伏した純也を、砂那が襟首を掴んで起こす。
休日に会ってもいつも通りの雰囲気に、緊張していた廉斗の心は少し和んだ。
壁の名札を掛け替えて、三人で寮を出た。

「それで、どこ行くん?」
「とりあえず要ん家。」

沖田家は雑誌やテレビ等でよく取り上げられているので、廉斗でも見た事がある。

「薔薇の庭園がある所やんな。俺も行ってええの?」
「当たり前だろ。お前ももう俺達の仲間なんだからよ。」

仲間という言葉に、気持ちテンションが上がっている自分がいた。今まで自覚がなかった訳ではないが、改めて口にされると照れ臭い。

「ついでだからお前も手伝え。」
「何を?」
「…12月24日は、天音の誕生日なんだ。」

今日集まった一番の理由はそれだ。
なんでも、天音は個人的なプレゼントは受け取らないそうで、去年からみんなで一つのプレゼントを考えたのだそうだ。

「倖成と和哉は?」

だとすると、その二人は欠かせない存在なのではないだろうか。天音が大事にしていた写真に、あの二人が映っていたという事は、三人はその頃からずっとSSで一緒だったという事だ。みんなで一つのプレゼントというなら、彼等は必要な存在だ。

「…別行動。二人は毎年、この時期になると用事が出来る。」
「それって、彼女とか?」
「まぁ、二人共女いるみてぇだし?今年もいろいろ忙しいんじゃねぇの。」

砂那の当然のような発言に廉斗は驚いた。二人に恋人がいた事だ。SSは思春期の男が多いので、確かに彼女がいてもおかしくはない。しかし、それと同時にどこか違和感も覚えた。

「けど、それにしては‥‥」
「お、見えて来たぞ、玄関。」

廉斗が疑問を言う暇もなく、お洒落な門が見えてきた。
壁が横にずっと伸びていて、廉斗はそこが要の家だと全く気付けなかった。
廉斗は沖田の表札の下にあるインターホンに手を伸ばすが、かなり緊張する。こんなに大きな家に訪問した事がないからだ。
怒られる訳でもないのに、胸がドクンと跳ねる音が聞こえる。

「どちら様ですかな?」

聞こえてきたのは、要ではなくお爺さんの声。戸惑う廉斗の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら、砂那が呆れながら言う。

「新田さん、こいつ始めてなんだから、からかうの辞めてもらえません?」

粗っぽいが、ちゃんと敬語で言う砂那に、“新田”と呼ばれたお爺さんは愉快そうに笑った。お爺さんは少し待つように言うと、すぐに門を開けてくれた。
白い眉と口髭で隠れた表情が穏やかに笑っているように見える。物語に出て来る、魔法使いのような雰囲気だ。

「失礼致しました。どうぞ中へ。」

お爺さんは魔法使いではなく、テレビでもよく見る燕尾服の執事だ。砂那と純也は何度か面識があるらしく、軽く挨拶を交わして玄関へ向かった。
廉斗は少しソワソワしながら辺りを見渡した。

「如何なさいましたか?」
「あ、いや、あったかい庭やなぁって思って。」
「左様でしたか。こちらには薔薇園がございます。年中咲かせる為に、部屋の温度を一定に保っておりますので、お庭もその影響で暖かいのですよ。」

要の祖母は花が大好きで、庭に薔薇園を建てた。友人が友人を呼び、ついにテレビで取り上げられるようになったという。沖田家自慢の薔薇園なのだそうだ。

「裏庭は少し違った印象を受けると思うので、また是非いらしてください。」
「違った印象?」
「廉斗、早く来い。」
「う、うん。」

家に入り、廉斗達が案内された客間は暖かみのあるシンプルな色合いの家具が多く、とても落ち着く空間だった。ちょうど薔薇園の窓から美しい薔薇が見える。
好きな場所にかけて良いと言われて、廉斗は庭の見えるソファに腰掛けた。思った以上にふかふかとした座り心地に驚いた。しばらくその感覚に感動していると、新田が飲み物を用意してくれる。

「要ん家って、お金持ちなんやなー。」
「星影程ではないですが、それなりに裕福な暮らしはしていますね。」

テレビでは薔薇園で有名な沖田財閥だが、実は主に医者の家系だ。要の父は総合病院の院長。二人の兄も医者。要も医療系の選択授業を受けているようだ。母は庭の薔薇の世話をしたり、紅茶や珈琲の豆を作ったりしているそうだ。

「総合病院って言えば、オレも紹介された。」
「僕が能力者という事もあってか、うちの病院は能力者に協力的な病院です。守秘義務は必ず守りますから、安心して頼ってください。」
「病院になんて、世話にならないに越した事ないだろ。それより早く本題に入れよ。」

砂那が廉斗の頭をぐしゃぐしゃ掻き回しながら、話を進めるよう促す。今日の砂那は、どこか廉斗を気にしてくれている気がした。口は悪いが、世話好きで面倒見の良い性格なんだろう。

「天音へのプレゼントやんな。去年は何あげたん?」
「…くま。」
「熊…木彫り?まさか、本物?!」
「ンな訳ねーだろっ。」
「ぬいぐるみでしたね。なかなか苦労しましたけど。」

高級品思考の要。プレゼントには無関心な純也。適当なものしか言わない砂那。そんな三人が真面目に考えた結果、“みんなで天音が好きそうな物を買いに行く”という事に至ったそうだ。

「あんな店、俺は二度と入らねぇぞ。」
「…同じく。」

要が調べ出した情報により、女性に人気の雑貨屋さんに入ったのは良かった。しかし、男三人が店に入って注目を浴びない訳がない。要が率先して店員さんに声をかけて、なんとか買えたのがくまのぬいぐるみ。砂那が心底嫌な顔をして店に入る姿が、容易に想像出来た。

「言っとくが、あんま高いもんは買えねぇぞ。」
「花束は流石に重いですかね…。」
「花か…なぁ、そういえば裏庭って何があるん?」

早速行き詰まったので、廉斗は新田の言葉を思い出して尋ねてみる。要の家の庭と言えば花。何かヒントがあるかもしれない。

「裏庭?あぁ、いいですね。それなら喜んでもらえそうです。」
「え?」
「行きましょう。」

一人で納得してしまった要に誘われて、廉斗達は裏庭にやって来た。暖かかった表の庭とは違い、今度は真冬の寒さを感じる。ジャンバーを着せてもらい、沖田家自慢の裏庭の冷凍室に入った。

「…うわぁ。」

冷凍室なんて一般家庭にはないものなので、廉斗はまるで冒険でもしているかのようにドキドキしていた。そしてその瞬間、あまりの美しさに思わず声を漏らす。
冷凍室の扉は二重。その二つ目の扉を開けると、真っ暗な中に、スポットライトを浴びるように青い薔薇が咲いていた。

「母が作った作品の一つ。我が家では、スノーローズと呼んでいます。」
「…本物の花なのか?」
「プリザーブドフラワーといって、本物の花を乾燥させて作った花なんです。この飾り方は母の趣味ですけど。」

花弁や葉に霜が付き、そこにダイヤモンドダストがキラキラと舞う。まさに雪の花と呼ぶのに相応しい、幻想的な光景だ。

「さみー…俺は先に戻ってっぞー。」

芸術とは縁遠そうな砂那は、寒さに堪えきれず真っ先に部屋を出てしまう。しかし、廉斗と純也はしばらくその美しい光景を楽しむ事にした。


「やっと終わったか。」

部屋に戻ると、ちょうど砂那はソファに寝っ転がっている。

「で、結局それにするのか?」

要が持っている青い薔薇を見て砂那が言う。芸術の中の一つは勝手に弄れないが、そこに飾る前の花を一輪分けてもらったのだ。

「これだけだと芸がないので、少し工夫しましょう。」
「工夫?」

母の芸術に触れて何かのスイッチが入った要は、やる気に満ちた声でそのアイデアを話し出す。
仲間として特別な空間にいるのが本当に楽しいと感じる。廉斗は、ずっとこんな仲間が欲しかったのだ。

しかし同時に、廉斗の中にある感情の一つが、ざわついた気がした。




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