下駄箱で靴を履き替え、倖成と廉斗は中央の螺旋階段を上る。

「砂那と好きな人の話ってする?」
「は?する訳ないだろ。」

実は、先程の依頼から少し気になっていた廉斗。あまりに直球過ぎたのか、倖成は若干呆れながら答える。

「…まぁ、仲良くてもそんな話しない方がいいぞ。相手も同じ奴好きだったらどうする?」
「それは…嫌やなぁ…。もしかして経験談?」
「どうだろうな。」

言葉を濁して、倖成が扉を開ける。

「任務完了…と。」

目の前で止まられたので、廉斗は倖成の背中に正面からぶつかった。
見ると、広い部屋では天音が机に突っ伏したまま寝ているだけで、他には誰も居なかった。
季節はもう冬。テストが近いのでみんな教室で勉強すると言っていたような気がする。もともと真面目な人の多いSSは、朝くらいしか全員が集まる事はない。部活をしている面子もいるので、放課後全員揃うのも週に二回程度なんだとか。
しかし、一番真面目そうな天音が授業に出ていないのは、少し驚いた。起こすのも悪いと思い、廉斗はこっそり寝顔を眺めてみる。
母親がアメリカ人だったという天音は、親譲りの金髪と青い瞳が一番の魅力だ。廉斗が少し撫でてみると、サラサラで柔らかい感触に、ドキドキした。

「寝んの遅かったんかな?」
「まぁ、昨日も遅くまで仕事してたからな。」

昨日はやり残した仕事が沢山あったようで、遅くまでここに残っていたという。
星影学園は21時になると全ての電気が自動で消灯する。そのため、遅く残る場合は倖成がセキュリティを弄ってあげるようだ。

「不器用やのに、頭良いんや。」
「セキュリティって言っても、オンとオフを切り替えるだけだから、誰でも出来る。」

それでも、全く知識がなければセキュリティ画面を開く事も出来ないだろうし、不器用な人なら間違った操作をしてしまうかもしれない。
廉斗なら、そこまでしてパソコンを覚えようとはしない。

「倖成って、天音の事好きなんやね。」
「…なんでそうなるんだよ。」
「だって、好きな人の事は助けてあげたいって思うもん。倖成、今そんな目してたで。」
「……」

倖成は少し驚いた顔をした。その後、フッと笑みを浮かべると、廉斗の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
言葉はなかった。ただ、少し懐かしい感じがした。
そう遠くない昔、こうやって頭を撫でられていた気がする。しかし、はっきりとは覚えていない。

ちょうどその時、タイミング良く予鈴が鳴る。
倖成は天音の肩を揺さぶって起こした。

「天音、そろそろ起きろよ。」
「ん…。」

ゆっくりと目を覚まし、焦点の合わない瞳に倖成の顔が映し出される。まだ寝惚けているのか、その顔は綻んでいる。

「っ…ケホッ…」
「!天音っ。」

天音が何かを言いかけた時、息が詰まるような音がした。喉を押さえて苦しそうに下を向いた天音に、倖成はすぐに駆け寄った。

「ごめ…大丈夫、だから…。」
「…水持って来ます。」

天音の頭を撫でてキッチンに向かう倖成。水を持って来ると言った言葉遣いが、さっきまでとは違った。

「天音、大丈夫?」
「えぇ。ありがとう。」

いつものように微笑まれ、廉斗は安心する。
廉斗が天音の席を見ると、昨日は気付かなかった写真立てが目に入った。
その写真を見て、何故だか頭が痛くなった。

「廉斗?」
「っ…なんでもない。なぁ、この写真って…?」
「あぁ、これは私達初代のSSメンバーよ。」

学園が出来たのは、六年程前の春。
センターに写っている暦の姿が、どこか懐かしい気がした。
暦の左側にいるのが天音で、その後ろに、倖成が二人写っている。

「なぁ、倖成って双子なん?」

廉斗が尋ねると、天音の肩が震えた。廉斗の視界に入っている写真に気付いた天音は、どこか悲しそうな面持ちで写真を見た。

「…そうよ。倖成は双子の兄の方。」
「暦ちゃんの言うてた双子のお兄さんって、倖成の事やったんや。」

廉斗の質問に、天音は無言で頷いた。
倖成の家族は、父親と弟だけ。母親は双子を産んで他界し、父親も後を追うように病気で亡くなってしまった。その時、父親と親しかったという譲に拾われたのだそうだ。

「弟さんは?一緒に学園入ったんやろ?」
「それは…」
「今はここにいない。」

いつの間にか倖成がキッチンから出て来ていた。天音の前に水を置いて、椅子に腰かけた。

「三年前、事件に巻き込まれてな…眠ってる。」

どちらともとれる言い方で誤魔化された気がした。しかし、悲しそうな顔をする倖成に、これ以上話は聞けそうになかった。

「…ごめん…。」
「いや。俺はあの時決めたんだ。…強くなるって…。」
「……」

廉斗も母を亡くしている。昔の記憶が曖昧な中、その時の悲しさや苦しさは今でも覚えている。
過去の話は空気を重くする。出来るだけ、心にしまっておきたいはずだ。二人に悲しい過去を思い出させたと思うと、少し胸が苦しくなった。

「この話は終わりにしましょう。ユキ、お水ありがとう。」
「…いえ…。」

静かに時計の音が聞こえた。気不味い空気が嫌で、倖成の方を向くと、頭に手が伸びて来る。
無意識に目をギュッと瞑ると、その手は優しく撫で下された。
その時、急にバタンッと大きな音がして肩が震える。
音の正体は、勢いよく扉を開けた砂那だった。
驚いたのは音だけではない。砂那は、この寒い時期に上半身裸で帰って来たのだ。汗だくで顔色も悪く、いつもセットされた髪も乱れている。
その様子を見て、何かがあったのだと廉斗でも分かる。
倖成は瞬時に自分の帽子を天音に深く被せた。

「お前、その格好でここまで来たのか?」

その後に、掛けてあったコートを砂那に投げる。しかし砂那はそれを受け取らず、色を失くした瞳をこちらに向けた。

「……」
「おい、大丈夫か?」
「っ…」

どこか様子がおかしく、心配して倖成は砂那の腕を取った。すると砂那は、倖成の懐に入って片腕を抱え、背中を向けて肩に乗せると、そのまま肩越しに投げた。

「っ痛…」
(一本背負い…。)

道場は畳なので衝撃は和らげてくれるはずだが、この部屋の床はフローリング。受け身ですら怪我をしそうな勢いだ。しかし倖成は、持たれた腕に力を込め勢いで砂那を蹴り倒す。そのまま覆い被さって砂那の動きを止める。端から見ると、見てはいけない光景のようだ。

「あいつに何された?!…っ!」

暴れる砂那の肘が、倖成の鳩尾に直撃した。

「ゲホッ…チッ…。」
「ねぇ、大丈夫?」

天音は帽子をずらして二人を見る。
半裸の砂那とそれを抑える倖成。天音にはあまり見せたくない光景だったが、自分よりも大きな二人を隠す事は、廉斗には出来なかった。

「天音‥‥」
「逃げろ。」
「え?」

倖成の言葉を遮り、砂那が逃げるよう助言し押し退ける。天音が驚いた声を上げたのは、ほぼ同時だと思う。
砂那が天音に掴みかかる前に、廉斗の足が動いた。砂那の腕を掴み、後ろに回り込んで捻り上げた。

「ぐっ…」
「なんか、砂那おかしない?」
「そのまま抑えてて。」
「え?」

砂那を抑えた手を緩めようとしたところ、天音に止められた。天音は砂那の顔を両手で包み、顔を近付ける。キスしそうなくらいに近付き、思わず目を逸らしてしまった。
胸がザワザワと騒いでいる。

「ごめんね、砂那…。」

天音の瞳が砂那を捉えた。その瞬間、意識を失った砂那を廉斗は何とか支える。

「廉斗強いのね。ビックリしちゃった。」
「一応、柔道と空手習ってるから。」

崩れ落ちた砂那の体は重くて冷たい。まるで、糸の切れた操り人形のようだ。
天音は心配そうに砂那の頬を撫でる。

「…警察行って来る。あの人なら、なんとかしてくれるだろ。」
「大丈夫?」
「平気。」

倖成は砂那を担いで連れて行った。
シンと静まり返った教室で、天音が「嘘付き…。」と呟いた。どういう意味かは分からないが、倖成の事だろうと察して黙った。
ポツンと残された廉斗に、天音が向き直る。

「今回のターゲットね、マリオネットの能力者だったの。つまり、人を操り人形にする力。」
「誰でも人形に出来るん?」
「いいえ。ユキの情報が確かなら、操れるのは口付けを受けた者だけなんだけど…。」

その情報がどこから仕入れたものなのかは分からないが、それが本当なら、砂那はキスされた事になる。
想像しただけでも鳥肌が立つ。天音も同じ事を考えたのか、苦笑いしていた。

「痛みを与えて気絶させたくらいじゃ、また暴れるかもしれないわね。」
「じゃあさっきのは、痛みの能力?」
「そうよ。癒しの力は触れた人間の傷を癒すけど、痛みの力は私が目を合わせた一人にしか通じないの。」

だから天音は、あの時砂那と目を合わせたのだ。
能力にはタイプが二つあり、身体能力を上げるタイプ“インクリース”と、他人に影響させるタイプ“ギブ”がある。
異例を除いて、インクリースは他人に使えず、逆にギブは自分に効かない。そして、直接人の命を奪う事は出来ない仕組みになっている。
その強さや与え方も、星レベルで変わると言われている。

「痛みの力って怖いなぁ。」
「廉斗もレベル四でしょ。五感のインクリースなんて、そっちの方が怖いわよ。」
「そ?地獄耳とはよく言われるけど。」
「やだやだ、内緒話なんて出来ないわねー。」

廉斗が笑うと、天音も明るく笑った。先程までの緊張した空気が少しだけ中和出来たので、とりあえずは良かった。
先代で辛い思いをしたのなら、今のメンバーでは笑っていてほしい。心からそう思った廉斗だった。




続く.