「こんな油臭いところで……食事を……? 不衛生ではなくて!?」


「枝豆と瓶ビール。豚玉もち明太ミックスのハーフをお願いしますわ」

 抜け目なくお好み焼きが焼きあがる間を繋ぐ酒とつまみを頼み、マリーは鉄板の前に静かに佇む。
 鉄板に、火をつけた。

「……豊かであるということは、金銭があることではなく、土地や家があるということでもないのですわ。地位や名誉があることでもない」

 じりじりと、鉄板が温まる。テーブル横の油を塗りながら、マリーは豊かさについて思索を深めていく。

「それらはただ、与えられたものや得たものがあるということ。与えられたものも得たものも結局は奪われ失われる恐れがある」

 ビールと枝豆が運ばれてきた。コップにビールを静かに注ぐ。液体が7、泡が3の黄金の比率を整え、それを一気に呑んだ。

「奪われず失われず、そして万人に平等に有るものを最大限に楽しむことが豊かさですわ」

 枝豆を口に運ぶ。やはり冷凍ものだ。

「お待たせしましたー」

 ついに現れた豚玉もち明太ミックス、豚肉を横に取り出し、間髪入れずマリーはお好み焼きを混ぜる。混ぜる混ぜる。

「あまねく万人に有る平等な財産、それは時間!」

 焼けた鉄板に、勢いよく流し込んだ。その上に豚を綺麗に並べる。

「広げず、厚めに形成しあとは待つだけ」

 慎重かつ大胆にコテを操作。丸く形成されたお好み焼きの前で、再びマリーはビールを煽る。

「この待つという時間を、いかに楽しめるかが人生の豊かさですわ。アラン男爵……アランの叔父様も『風俗で一番楽しいのは待つ時間なのさ』といってましたし」

 じりじりとお好み焼きが焼けるのを待ちながら、マリーは追加注文をする。

「店員さん、牛スジ煮込み一つ」

 運ばれてきた小鉢の牛スジ。箸で持ち上げるととろりと崩れそうになる。青ネギと共に口に運ぶと、マリーの顔がほころんだ。

「美味しいですわ……ここはお好み焼きに入れる牛スジがあるから牛スジ煮も頼めるのですけど、つまみとして単品で味わうのも乙なものですわ」

 グビグビとビールを空けて、二本目を注文。コップに注ぐ。

「あらもうそろそろ良さそうな頃合いですわね?」

 ヘラで持ち上げお好み焼きの様子を探る。いけそうだ。

「関西ではお好み焼きの裏返しに失敗すると犯罪者並みに罵倒を受けるといいますわ。貴族としてそのような不作法は許されるはずがない……」

 真剣な面もち。一気にヘラを返す。
 お好み焼きはくるりと回り、その裏側を見せた。

「やりましたわ! 綺麗に」

 喜びのあまりヘラを持ったまま振った腕が、テーブル横にあったビール瓶に直撃した。

「あ」

 落ちたビール瓶が床にぶつかる。中身をぶちまけて瓶が割れた。

「あ、あわわビールがドレスについてうわちょっとやばいこれやば」

 シュワシュワと音を立てて床に広がる黄金の液体。油が染み込んでいるためか少しはじかれている。

「ちょっとこれどーしよあーあやば」

「あーお客さん危ないですよー離れててねぇ」

 初老の女性──この店のおかみがほうきとちりとりをもって横に来ていた。慣れた手つきで割れた瓶を片付けモップで後を拭いていく。

「下手にさわると手を切っちゃうからねぇ。お客さんに怪我させたらマズいからさぁ」

「す、すいませんでした……」

 ニコニコと笑うおかみ。嫌な顔一つしない。片手にはビール瓶。

「割れちゃったからねぇ。もう一本、いる?」

「え、いいんですか半分くらい呑んじゃったんですけど……」

「いいよいいよそのかわり元気だしてねぇ」

 おかみの笑顔は、太陽の輝きに匹敵するあらゆる闇を払う笑顔だった。

「うわありがとうございますほんとすいません……」

 丁寧に頭を下げながらビールの栓を抜く。新しいグラスに注ぎ直し、一口啜った。

「ふぅ……おかみさんが仏でほんと良かったですわ……」

 ふと見るとお好み焼きはもう焼けているようだ。仕切り直すため、マリーは気を引き締める。

「ダメですわねこの程度のアクシデントにうろたえるようでは……うろたえない、貴族はうろたえないのですわ」

 卓上のソースに手をのばす。

「『アクシデントを楽しむことは人生を楽しむということ』だと風俗でプレイ中に警察に踏み込まれたアラン叔父様は仰っていましたわ。楽しむの。今を存分に楽しむのよマリー!」

 全面に塗られるソース。重ねられるマヨネーズ。舞い散るカツオ節。
 ざっくりとコテで切る。箸で一口に千切り、食べる。

「豚の脂、明太の塩気、もちの弾力、そしてすべてを一体にまとめあげるソースの味……美味い……美味いですわ!」

 追ってビールでそれを洗い流す。苦味と共にのど奥をつっきる爽快感。
 生きているという喜びが、マリーを包む。

「うっま……熱……!」

 △ △ △

「ありがとうございましたぁ」

 会計を終えて、おかみに見送られ店を出る。
 マリーの足は、少し重かった。

「替えのビール代、会計にきっちりつけられてましたわね……」

 やはり美味い話は無いらしい。

「ですが、最近始めたウーバーイーツのバイトも稼げておりますし、このままいけばまた気軽に飲み歩けますわね」

 あきらめなければ、なにごともうまくいくはずだ、多分。

「『生きることはどんな時でも素晴らしい』」

 それは、マリーが信じている言葉。

「営業中に風俗に行っていたことが警察の踏み込みでバレて、土下座で首をギリギリ回避したアラン叔父様はそう笑って仰っていましたわ。私も、もっと強く素晴らしく生きないと」