「街中華……? こんなすす汚れた店に私のような貴族が入ると思っているのかしら……」



「はいいらっしゃぃぃ」

 のれんをくぐると、プルプルと震える老婆が出迎えた。割烹着を身につけた彼女は座席を示す。

「好きなところどうぞぉ」

 手が震えてるので具体的どこなのかよくわからない。
 貴族令嬢は、無言のまま適当にあたりをつけて席についた。マリーの表情には緊張が漂っている。慎重、かつ無言に手書きのメニューを見つめた。

「なんにぃしましょうかぁ」

 老婆の言葉にしばしの無言。やがてマリーはゆっくりと口を開く。

「ビール、瓶でお願いしますわ」

「うちアサヒしかないんですけどいいですかぁ」

「じゃあそれで」

 とんと、ビールの瓶とコップが置かれた。マリーは呑む、前にまず瓶の持ち上げて凝視する。

「……ビールの賞味期限は新しめですわね。客の回転がしっかりしてる証拠ですわ」

 客が来ない店は、仕入れた酒が古い場合が多い。サーバー洗浄をきちんとしているかわからない店に入ったならば、生ではなく安定した瓶ビールを選ぶという酒飲みの基本的なテクニックがある。
 だがそれはあくまで瓶ビールの鮮度まで落ちていないことが前提のものだ。いい加減な個人店では古い瓶ビールが来ることも念頭にいれねばならない。

 この店はちがうようだが。

「この適度な床とテーブルのヌルヌル具合……」

 ハイヒールを床に滑らす。ここまでのヌルヌル加減は一朝一夕で作れるものでない。振られた鍋と蒸発したラードが形作る実績である。

「ここまでのこの店の『当たり店』の確率は四割といったところですわね…」

 コップにビールを注ぐ。コップはきちんと凍ったものだった。
 少なめに注いだビールをくっと一息に飲み干した。
 ほう、と優雅に一息つく。

「新規開拓……ギャンブルですわ」

 マリーは今、はじめての店にいる。

「うちの近くで少し気になっていたんですけれどとうとう入ってしまいましたわ」

 駅から少し離れた立地である。なかなか昔からやってる店のようだったが、入る機会がついぞなかった。

「外の食品サンプルの埃のかぶり具合になかなかのヴィンテージを感じましたけれど、こういうともすれば小汚……じゃなかったヴィンテージ感のある街中華に旨いところがあるのも事実」

 個人店の街中華。たいていは値段もそこそこでまず外れがないジャンルである。
 マリーは街中華を愛していた。煤けた店の雰囲気や、ぬるむ床と、なぜか似た傾向になりやすい漫画の品揃えと、店内のテレビで見る甲子園中継と、そしてタンメン。
 だが愛しているからこそ視点は厳しくなるものだ。外れないジャンルといえど、煮え湯を飲まされることもある。マリーは油断はしない。常に残心を持つことが貴族のふるまいである。
 
「積んである漫画本が結構充実していてゴルゴ13に刃牙が多めにそろってるのもプラスポイントといったところでしょうか……」

 マリーの評価方法は加算方式である。
 グビリとビールを飲み、思考を冷やす。

「あー、ビール旨い……」

「床のヌルヌルは油を多く使う中華を料理し続ければ、油の蒸発で自然とそうなってしまうもの…つまり繁盛の証、客の回転の証拠ですわ」

 グラスを持ったまま、ゆっくりと店を見渡す。

「見渡すと客と撮った写真も多い。しかも古めだわ。ポラロイド写真なんてひさしぶりにみましたわよ……それだけ長く親しまれているということ。プラスポイントにボーナスもつけていいですわね」

 傍らの壁に貼られた写真を少しめくって裏の壁を見る。茶色の壁の色がその下だけ真っ白だった。壁の色は年季の色だった。

「しかし貴族たるもの慎重さを忘れてはならない。まずは小手調べですわ。おばちゃん、餃子一枚」

「はぁい」

 愛嬌よく、老婆の店員が答えた。

△ △ △

「はい餃子ねぇ、あとこれサービスでメンマあげるからぁ」

「あ、ありがとうございます……」

 運ばれる餃子をつまみ、酢醤油で食う。はじける旨味そしてにんにくの香味。
 なかなかの味だ。

「旨い……ニンニク入り肉野菜半々のクラシカルな餃子ですわね…なにより焼き加減が絶妙ですわ。メンマのも味付けも既製品ではなく手作り……」

 しゃくしゃくとメンマをかじる。心地よい歯ごたえにビールも進む。

「あの造っている料理人はお爺ちゃんだけ……夫婦だけで営んでる中華料理屋ですのね」

 厨房の奥、まるで店そのものと一体化するように鍋を振る古老がいた。

「当たり、ですわね、この店は……」

 マリーは確信する。ならば攻めの一手あるのみ。

「おばちゃん、生姜焼きと焼売」

「はぁい」

「当たりとわかれば様子見は不要、推されてるメニューからちょいちょいつまみましょうか」

 壁のメニューを見る。炒め系がオススメのようだ。

「こういう定食屋がメインの店で呑むのもいいものですわ……特に日が高いうちからは……」

 今日もマリーは夕方前上がりだ。
 やはり酒は昼に限る。夜に呑むのは不健全、不健康だ。太陽を拝みながら呑むのが人間らしい生き方というやつである。

「はい生姜焼きと焼売ねぇ」

 キャベツ千切りと共に盛られた薄切りバラ肉の生姜焼き、醤油ダレの照りの良さがすでにただ者ではない雰囲気である。
 三個入りの焼売。でかい。つまり強い。

「一口に生姜焼きと言っても薄いバラ肉か厚めの一枚肉かなどで店により方向性が全く変わる料理ですわ。ここは薄いバラ肉を玉ねぎと炒めるご飯との相性重視派ですのね」

 口に運ぶ。甘めの味付けに生姜の風味がしっかりと利いている。炒められた玉ねぎの甘味と豚バラの脂の甘味の三重奏が旨味をさらに引き上げる。

「だが飯に合うものは酒にも合って当然……! 追ってビール!」

 キャベツ千切りでさっぱりとさせ、ビールで流す。そしてまた肉。ループ発動である。

「おばちゃん、ビールもう一本!」

 やはり一本では足りない。

「あいよー今出しますねー」

 運ばれるもう一瓶。即座にグラスに注ぐ。

「そして焼売。この大きめながらも不揃いなところはまさしく手作り……! からしと醤油をを多めにつけて」

 大ぶりをガブリと食いちぎる。炸裂する肉汁にのけぞる。

「ミートオブジャスティスッッ!」

 正義はここにあり。

「餃子は野菜多めが飽きが来ずに楽しめるものですが、やはり焼売は肉多めでダイレクトに肉の旨さを楽しむのが本道……!!」
 
 餃子は本来野菜料理である、とは某格闘漫画で言われていたことだが、焼売は違う。蒸したことによる肉と脂の旨味を上品かつダイレクトに味わう肉料理だ。

「さらに追ってビール!」

 ぐいと、またグラスを明かした。

「チャイナとゲルマンの融和……!!」

 もはや自分がなにを言っているのか自分でもよくわからない。

「炒めも蒸しもなかなかもレベル。ここの店主なかなかの古老とみるべき……」

 しみじみと冷静にふり帰る。焼き(餃子)良し、煮込み(メンマ)良し、炒め(生姜焼き)良し、蒸し(焼売)良し。隙がない、まさに野武士のような隙の無さ。

「競争激しい飲食で、老齢となるまでこの仕事を続けられるのはまさに腕があるから……リスペクト、その年季と腕前マジリスペクトですわ」

「この尊敬をいかにして店主
に伝えるか……」

 マリーは悩む。この気持ち、いかにして店主に届けるか?

「すみません、五目あんかけ焼きそば、大盛りで」

 △ △ △


「あいよー、おまちどうさんねぇ」

「片面をバリッと焼き上げた麺に醤油味のあんが染み込んでますわねぇ!! 期待通りですわ!」
 
 ずるりのあんかけの絡んだ麺をすすり込む。白菜、豚肉、人参玉ねぎ、キクラゲ、そして思ったより大ぶりの海老だ。登頂部にうずらの玉子がある。
 濃いめのあんかけに焼いた麺がしっかりも絡み、すする度に幸福が訪れる。
 そして卓上の酢の小瓶を取り豪快に回しかけた。

「そこに酢を大量に! そしてからし! 一気にすすり込む! 欲望へダイレクトアタックですわ!!」

「追ってビール!!」

 豪快に最後の一杯を飲み干す。喜びである。純粋な歓喜だけがそこにあった。

「ふぅー……」


 △ △ △

「ありがとうございましたぁー」

 見送りを背に受けてマリーは街を歩く。
 見知らぬ戦場であった。だが今日もマリーは勝ったのだ。

「ふぅー、新規開拓は成功ですわね。やはり貴族令嬢たるもの慎重さは重要ですわ」

 額の汗を拭う。知らぬ店とは常に真剣勝負である。もう夏も終わり、いくらか涼しい風が吹いていた。

「……それにしてもああいう老夫婦だと跡継ぎはいるのかしら。息子や娘さんは見かけなかったけど」

 後継者問題は街中華業界だけではない。日本という国全体の問題である。貴族たるもの、先を見据えなければならない。

「跡継ぎがいなければ店は……今も色々なところがコロナで閉まってますものね。あの店もいつまで行けるものか」

 いつでも行ける、いつでも食べれる。そう客が油断していくつもの店が閉まっていった。店は生きている そしていずれ消える。いつかはない。今この時にいくべきなのだ。

「というか、そもそも今の私の仕事のほうが不安定というかそういえば来週の仕事の予定まだ入ってなかったような……正社員の就活もストップしたままだし……」

 とりあえず他人より自分の足元を見ておけ貴族令嬢よ。

「……今は帰って呑みましょう。呑んで忘れましょう」