「サイゼリヤ……? いかにも下層民が好きそうなところだわぁ」




「いらっしゃいませーお一人ですね。こちらにどうぞ!」

 店の中は閑散としていた。緑を基調とした看板をぐぐり、イタリアの田舎の食堂をイメージした店内に、ドレス姿が現れる。優雅な、それでいて力強い足取りで店員に案内され、やがて椅子に座る。
 そして、メニューも見ずに言い放った。

「グラスビールをひとつ。マルゲリータピザと辛味チキン。それから小エビのサラダをお願いしますわ」

「はいわかりましたー」

 しばしの間。ドレス姿の貴人、伯爵令嬢マリーはその間をじっと目を閉じて待っていた。
 深く、深く集中している。

「はいお待ちどう様です、こちらグラスビールです」

 置かれた杯を、手にとりそして即座に喉に流しこむ。

 喉の鳴る音が、雄々しく店内に響き渡る。

「ううぅぅ……」

 唸った。貴族令嬢の喉が、魂が、唸った。

「今日は暑かったから染みますわねぇ……」

 彼女は、渇いていた。

「現場仕事が入るとこの陽気……参ってしまいますわね」

 ついこないだは肌寒かったのに、今度はいきなり暑くなった。天然自然だけはいかに高貴なる血筋でも自由には出来ないものだ。

「はいこちらマルゲリータと辛味チキンです!」

「ピザはやはりシンプルなマルゲリータ一択ですわ」

 ピザを一枚手に取る。そしてかぶりつく。パリッとした生地の触感に、熱いチーズ、トマトソースの芳香。
 そして追撃のビール。当然にうまい。

「辛味チキンというサイゼリヤ永遠の定番」

 ほのかな辛味が食欲を倍増させる。手羽の骨際の旨味が脳を焼く。逆らえない快感がマリーを貫いていた。

「そしてビール!」

 そしてやはり追撃のビール。もはやなにもいうまい。

「優勝! 優勝ですわ」

 今日も貴族令嬢マリーは無敵だった。八時間労働の体に染み込むアルコール、カロリー、そして脂質と塩分。すべてが高貴なる彼女を祝福している。

「店員さんストロングゼロひとつ。それからプロシュートと、試しに頼んでみましょうか。エスカルゴのオーブン焼き一つ」

 一つ、冒険をしてみることにした。マンネリな今を撃ち破るものは、いつだって挑戦しかない。

「……エスカルゴってカタツムリですわよね。どんな味なのかしら」

 ナマズやツキノワグマくらいなら食べたことがあるが、カタツムリはさすがに経験がない。

「でもなにごとも挑戦は大事だわ。そう挑戦は大事……履歴書書いて正社員募集探さないと」

 マリーには、挑戦するべき課題が多い。

「……果たしてこのご時世で正社員募集はあるのかしら」

 コロナ不況はまだまた猛威を振るっている。

「というかもう今更正社員狙おうというのがマズいような……」

「はいエスカルゴ、プロシュート、それにストロングゼロです」

 メニューが来る。しばしの沈黙の後、マリーはフォークを取った。
 まずは食べる。食べて呑む。話はそれからだ。
 エスカルゴをたこ焼き器のような独特の形状の皿から持ち上げ、しげしげと眺める。

「まあ、食べられそうな見た目はしてますわね」

 意を決し、口に放り込んだ。

「……あ、エスカルゴおいしい」

 ガーリックと旨味の爆発。なかなかの味わい。

「貝みたいな食感でガーリックバターめっちゃ合いますわ!」

「ストロングゼロとの相性も最高!」

 グビグビと度数9%を呑む。すっきりと洗い流されるエスカルゴの後味。そしてまたエスカルゴを食う。そしてプロシュートを摘まむ。ハムの塩味旨味、たまらない。

「旨いですわ……なにごとも挑戦は大事ですわね。店員さん、カルボナーラ。それとハンバーグ。あとストロングゼロもういっぱいお願いしますわ」

 △ △ △

「やっぱり麺類は豪快にすするのがおいしいですわね!」

 黒コショウを多めに振ったカルボナーラが、豪快なすする音と共に空になる。ねっとりとした卵とチーズのコクを、マリーは存分に味わう。

「今日不足していた肉分もハンバーグで補給!」

 一気に切り分けて、かぶりつく。柔らかな挽き肉の食感。デミグラスの旨味。存分に味わう。

「それをサイゼの聖水ことストロングゼロで流す!」

 ゴキュゴキュと、またも喉が鳴る。

「ふぅー……」

 至福であった。マリーはいま、ローマの風を感じている。


 △ △ △


「ありがとうございましたー」

 店員に見送られ、夜道を歩く。
 春とはいえ夜道は暗い。女性、特にかよわい貴族令嬢には不安もあるが、マリーは伝統派空手を護身用に嗜んでいる。それなりの夢枕漠的な、あるいは刃牙的な展開が飛び込んでこようとも対応できる自信があった。

「とはいえ、夜道が危険なことに変わりなし。ふぅ……ちょっと食べ過ぎてしまいましたわね。ちょっと運動を……? うわなんか踏んだ!?」

 足元に違和感、思わず飛び退いて左手を前に、右手を中段打ちの位置へ。いわゆる基本立ちの構えを無意識に取っていた。

「うう……」

 夜道の中で呻く人影。見慣れた貴族の服、長身の男性が倒れている。

「あそこに倒れているのは……」

 見覚えが、ある。

「大公殿下、またオーギュスト大公殿下ではないですか!?」

「おお君は……伯爵家のところの……」

 肩を貸す。細い体を立ち上がらせる。

「マリーですわ。今度はなにがあったのですか大公殿下様……」

「なぁに、少々の荒波を楽しんできたところさ」

 オーギュストの服は、前よりも煤けていた。だがそれでも立ち居振る舞いには気品が感じられる。老いてなお、この状況でなお、やはりこの方は貴種の中の貴種、貴族の中の貴族なのだ。

 オーギュストの胸ポケットには、雀荘のライターが入っていた。

「……玄人がおりましたの?」

「競馬もパチンコもしまっていたから、一つ雀荘にいってみたんだがこれがなかなかの玄人打ちがいてな……楽しめたよ」

「楽しみ代が高くついたようですわ」

「まあ、これも勝負だ」

「今この時期は賭け場全般が荒れているというのに……!」

「笑ってくれ。老いさらばえると、無駄に自分を試したくなるものだ」

 懐からカップ酒を取り出し、オーギュストが一口呑む。
 春の風の中で、老人は薄く微笑んだ。
 後悔はない。そう横顔が語っている。

「大公殿下様……」

 後悔はない。命を試したのだから。

「ところで、マリー君。三千円ほどまた貸してくれないか?」